marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

『はまむぎ』レーモン・クノー

はまむぎ (レーモン・クノー・コレクション)
『はまむぎ』は奇妙な小説である。書いたのはレーモン・クノー。バスの中で見かけた男についての些細な出来事を書いたメモ風の文章を99種の文体で書き換えて見せるという軽業めいた『文体練習』という作品の作者である。そのクノーの、これが処女作というのだから、作風が少々風変わりであってもいっこうに不思議ではない。
たしかに普通の小説ではないが、よくある実験小説にありがちなこれ見よがしの文体や構成を駆使したひとりよがりの退屈な代物ではない。出だしこそ、とっつきにくいものの、主人公が「人影」と呼ばれる二次元的存在から、「平べったい存在」というふうに厚みを帯びた存在に、そしてエティエンヌ・マルセルという名を持った立体的存在へと変化するにつれ、小説は俄然面白さを増してくる。
「観察者」を自称する作者の分身と思える人物も、観察対象が存在の厚みを増すにつれ、単なる観察者の位置を逸脱し、ピエール・ルグランという名を持つ登場人物へと変化する。話し相手に「へえ。小説家ですか?」と訊かれたのに対して、「いやいや、作中人物ですよ」と返答するのが笑える。小説の登場人物が、自分で自分のことを「作中人物ですよ」といけしゃあしゃあと口にしてみせるのだから、クノーはこれがメタ小説であることをはじめから明かしているわけだ。
小説は最後の方でイタリアを想定したエトルリアとフランスの戦争を扱うあたりから一挙に寓話めいた相貌をとるのだが、ジョイスに学んだという構成に寄せる関心は徹底しており、張りめぐらされた伏線といい人物の巧妙な出し入れといい、構成は首尾一貫して崩れを見せない。ウロボロスの蛇のように、末尾の部分が幕開けの部分を飲み込むような円環的構造は、物語の無限循環を呼び起こし、眩暈すら覚えるほどだ。その一方で、言葉遊びに興じたり、字体を使い分けてみたり、犬の視点で語ったりと、小説的な冒険も『ユリシーズ』を想起させる奔放さだ。
パリ郊外の荒廃した住宅地や化学工場からの悪臭が漂う空き地を主な舞台とし、いかにもそんな界隈に住んでいそうな、小市民やいわくありげな人物が運命的に出会い、他人宛ての手紙の盗み読みや、盗み聞き、勝手な思い込みによる宝探しに振り舞わされる騒動を風刺的タッチで描いたこれは、ある種のピカレスク・ロマンであり、実存主義を茶化した形而上学的小説でもあり、貧しき人々の生活を描いたリアリズム小説の側面も持つという、何ともいわく言いがたい小説である。
牛の胃袋やら、木炭の釘を周りに纏いつかせた古靴のようなステーキだとか、とても食べられそうにないおぞましい料理や安酒を出す食堂に集う、奇妙に滑稽でそのくせリアルな生活臭漂う庶民階級の人々と、さえない銀行員である主人公エティエンヌの突然の形而上学的覚醒、作者の分身であるピエールの生きながらの死者をもって任じる虚無的なブルジョワぶり、悪戦苦闘を繰り広げる悪役クロッシュ夫人のしたたかな悪漢ぶりと、映画『地下鉄のザジ』の原作者らしい人物造形の巧みさが際立つ。
レーモン・クノー・コレクションと銘打った全13巻のシリーズ第一巻。『文体練習』も新訳が用意されているようで、今後の刊行が待たれる好企画である。