柴田元幸が自ら選び訳したヘミングウェイの短篇集。時代的には初期の短篇集『われらの時代』から晩年の未完の長篇『最後の原野』まで、舞台も時代も異なる作品を集めた19篇から成る。
熱狂的なファンは別として、髭面の写真に「パパ」という愛称、それに映画化された『老人と海』他の長篇しか知らない読者だったら、ちょっと意外な読後感を持つのじゃないだろうか。「へえ、ヘミングウェイって、こんな話を書く作家だったのか」って。
訳者もあとがきで触れているように、まずアフリカ物がない。ガルシア=マルケスがその短編作法を激賞したという「雨のなかの猫」を除けば、男女の関係を中心に据えたものも見あたらない。「代わりに、何らかの意味で壊れた人間を描いた、悲惨さを壮絶なユーモアで覆ったように思える作品」が多く採られている。登場人物でいえば、ヘミングウェイの分身的存在であるニック・アダムズを主人公とする作品が八篇と、半数近くを占めている。
作品の多くは雑誌掲載作だが、ニック・アダムズ物の内四篇は、訳し下ろしである。特に初期の作品に属する「心臓の二つある大きな川」第一部、第二部と「最後の原野」は読み応えがある。「心臓の二つある大きな川」は、フィッツジェラルドが「何も起こらない物語」と言ったと伝えられる通り、男が独り、川べりでキャンプするだけの話だ。いかにもヘミングウェイらしいストイックな文体を駆使し、テントを張り、鱒を釣り、火を熾し、調理し、食べる、その様子をまるで何かの儀式でもあるかのように厳密な手順を何も足さず、何も引かず、淡々と叙述する。読者は息をつめ、その様子に見入るしかない。
また、未完の作でもあり、長篇でもあることから、短篇集に入れることを躊躇しながらも、訳者がどうしても入れたかった「最後の原野」は、「ヘミングウェイの全短篇のなかで、この作品が一番、書きたいことをそのまま書いているかのような切迫感と、にもかかわらずどう終えたらいいかわからないかのような行き詰まり感とが、同時に生々しく伝わってくる」作品だ。まちがいなくハックルベリー・フィンの末裔であるニックとその妹リトレス。血のつながった兄と妹の、兄妹愛という言葉では言い表すことができない深い絆を軸に据え、北米の原生林を背景に、追われる二人の逃避行を抑制をきかせたリリシズムと仄かなユーモアを湛えた筆致で綴った魅力溢れる長篇小説(未完)である。思っても詮無いことながら、続きが読みたい、と激しく願った。
今もっとも脂ののった訳者によるヘミングウェイの新訳短篇集である。中には掌編と呼んでいいスケッチ風の小品も含まれる。原書が手に入ったら、チャンドラーやカーヴァーが影響を受けたその文章と手だれの翻訳を読み比べてみたい誘惑に駆られる。