村上春樹が「ぼくは三度読んで、そのたびに興奮した」と絶賛し、ル・カレの最高傑作としたのが本作『スクールボーイ閣下』(原題“ The Honourable Schoolboy ”)だ。前作『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』に継ぐスマイリー長篇三部作の第二作。単行本で二段組530ページという堂々の大長篇である。これを読んだあとでは、前作『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』が、習作であったかと思えてくるほど、その完成度は高い。
アメリカ情報部の壁に掲げられている大統領の写真がニクソンからフォードに変わるという記述から時代は1970年代半ば。当時インドシナ半島は、将棋倒し的な共産化を恐れたアメリカのベトナム戦争介入やラオス・カンボジア侵攻に揺れていた。そんな時代の英領香港を舞台に、前作『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』にもちらっと顔をみせていた親スマイリー派の現地工作員ジェリー・ウェスタビーが大活躍する本格的なスパイ小説。
原題のオナラブル(高貴なる)というのは、公・候・伯・子・男の爵位のうち伯爵から男爵までの子弟につける尊称で、ジェリーが歴とした貴族の出であることを示す。スクールボーイ(小学生)というのは、英国情報部(サーカス)の所謂「崩壊」後、新聞記者をやめ、トスカーナで無聊をかこっていたジェリーの半ズボンスタイルからついたあだ名。
二部22章構成で、舞台はロンドン、香港、カンボジア、ラオスと変転し、南シナ海に浮かぶ蒲台島でクライマックスを迎える。主にロンドンを舞台とする情報戦を指揮するのは、壊滅状況にあるサーカス建て直しを任されたジョージ・スマイリー。配下には前作に継いで登場する側近のピーター・ギラム、モスクワ観測者コニー・サックス、雑用係フォーン、それに今回から加わった中国観測主任ドク・ディサーリス。
幹部に二重スパイがいたという非常事態の事後処理中とあってサーカスは休業状態。「情報機関の仕事は追いかけっこをすることでなく、顧客に情報をとどけること」である。情報を「生産しないということは取引きできないということであり、取引きできないということは死ぬということである」。というわけで、スマイリーが追うのは、モスクワ・センターからインドシナ経由で香港の資産家ドレイク・コウに信託勘定という形式で送られた五十万米ドルの持つ意味。いったい何の代金か。その秘密を探るのがジェリーの役目。鍵を握る二人の男を追って戦渦のインドシナに飛んだジェリーを待っていたのは人殺しも厭わぬ組織の隠蔽工作だった。
コウには幼い頃に別れたきりの弟がいた。レニングラード大学で造船を学んだネルソンは文化大革命下の中国で親ソの烙印を押され辛酸をなめたが、その力を認められ今は中国共産党の実力者となっている。英国に二重スパイを送り込んでいたカーラが、これを見過ごすはずがない。それに気づいたスマイリーは、米国情報部(カズンズ)の協力を得てネルソン捕獲を企てる。
前作『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』を企業小説と評したが、本作もスマイリーが担うストーリーは企業小説として読むことができる。サーカスという倒産寸前の会社更生を任されたスマイリーが、持てる資産を活用して双務取引きをならわしとするカズンズをはじめとする姉妹機関に提供しようとする交換商品がネルソンだ。スマイリーには予算削減のあおりを食って放り出された末端の工作員を養う責務がある。愛妻と別れ、サーカスの屋根裏部屋に寝泊りしてまで再建に奔走するスマイリーの姿には鬼気迫るものがある。
そんなスマイリーを敬愛しながらも、作戦の過程で無残に殺された犠牲者のことをジェリーは忘れられない。長年の苦労の末ようやく再会が叶う兄弟を引き裂く結果になる幕切れも納得できない。サム・コリンズによって麻薬の運び屋にされ、男たちの間で使い回しにされた金髪の美女リジーも見捨てては置けない。ジェリーは、任務終了後即日ロンドン帰還を命じられながらそれに背き、香港洋上蒲台島に向かう。
「高貴なる」スクールボーイとあだ名されているのは単に出自がいいからというだけではない。全能の師スマイリーに「あんたは間違ってるよ、大将(スポート)。どういうふうにか、どうしてかはわからないが、あんたは間違ってる」と言ってのけるジェリーには、スマイリーにはない無垢の心、謂うならば「永遠の少年」性とも呼ぶべき性向が備わっている。多くの人に愛される男が持つものだ。それが、組織の持つ非常さを肯んじ得ない。
前作がフーダニットのミステリだったとしたら、ジェリーの活躍する本作の後半はハードボイルド探偵小説だといえるだろう。村上春樹が三度読んだのもよく分かる。チャンドラーはマーロウを「卑しい街をゆく高潔の騎士」に喩えたが、ジェリーはリジーに対して、自分のことを「正義の騎士」(ギャラハッド)に喩えている。殴られ、蹴られ、ぼろぼろになりながらも、塵埃と反吐の臭いに塗れた香港の裏通りを駆け抜け、囚われの思い姫を救出に来た白馬の騎士のつもりなのだ。この甘さは致命的だ。
スマイリーは分かっている。「いまや自分の奮闘努力は、野獣と悪党のあいだをおのれの力不足がひとり勝手に歩いているといったていのものになってしまい、そこにジェリーのような無邪気な精神をむざんにまきこんでいるのではないか」「いまのわたしにわかっているのは、自分が世の中すべてを陰謀という見地から解釈することを覚えたということだけだ。それはわたしがきょうまで生きるに用いた剣であり、いま周囲を見まわすとき、いずれわたしの命を奪う剣でもあることがわかるのだ。わたしは彼らがこわい。だが、わたしも彼らのひとりなのだ」。ジェリーが父とも慕うスマイリーが生きている世の中は、こういうところだ。到底ジェリーのようなスクールボーイが生きられるところではない。
『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』(新訳版)と同じ村上博基氏の訳だが、新訳に比べるとたしかに読みやすい。作者が分量を気にせず、書きたいことをたっぷりと書き込んでいるので、人物の輪郭がくっきりし、陰影も濃い。要所要所を締める香港、インドシナ半島の風景描写も異国情緒に溢れ、魅力満載の仕上がりとなっている。ただ、ジェリーが会話の中に挿む「豪儀」や「大将」という言葉はいまや死語だ。村上春樹がいうように、翻訳には賞味期限があるのだろう。新訳までは望まないが、古びた言葉の錆を落とす程度の手当てが望まれるところ。文庫版では、そのあたりの配慮がなされているのだろうか。