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読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

『アヴィニョン五重奏Ⅱリヴィア』ロレンス・ダレル

アヴィニョン五重奏II リヴィア (アヴィニョン五重奏【全5巻】)
ロレンス・ダレルには、『アレクサンドリア四重奏』という代表作がある。一冊ごとに独立した小説として読める四篇の小説が、それぞれのパートをつとめることで、四篇を重ね合わせて読むと、単独で読んだ時とはちがって、一段と厚みのある作品世界が現れてくる。四重奏という名の由来だ。

アヴィニョン五重奏』は、その表題からして『アレクサンドリア四重奏』の意匠を継いだものである。登場人物のひとりで、第二作『リヴィア』の主人公ブランフォードは、構想中の小説について次のように語っている。因みに『ムッシュー』とは、『アヴィニョン五重奏』の第一作である。

「さて、未来の向かう先を垣間見た私の目には、良き古典的順序に並べられたサイコロの五の目の小説群が見えた。五冊の小説が、そのために編み出された謎め いた五点形に従って書かれている。こだまがそうであるように、互いに依存してはいるが、ドミノのように連続して端から端に並んではいない――同じ血液型に 属しているだけだ。五枚の鏡板があり、君の手による、あちこちが軋んだ『ムッシュー』は、他の四冊においてまた練り直される一群の主題を提示するにすぎな い。」

一人奏者がふえただけではない。登場人物が四篇に共通する「四重奏」に比べ、「五重奏」は格段に複雑な構成を持つ。一作ごとに主たる登場人物が異なる上に、微妙に異なる名前になっていたりする。実在の人物だけではない。ここでブランフォードが君と呼びかけているロビン・サトクリフは、ブランフォードが創り出した架空の人物でありながら、作中で創り主であるブランフォードと俗にいうタメ口をきいたりする。 いまでこそ、自己言及的なメタ小説は当たり前になったが、当時としては革新的な手法であったと思われる。それも災いしたのか、「五重奏」の方は、「四重奏」ほどの評判を呼ばなかったようだ。近年「四重奏」の改訳版が装いも新たに出版され、好評のうちに迎え入れられたことに気をよくしたのか、未邦訳だった「五重奏」が新しい訳者を得て訳出されたことはまことにめでたい。

『リヴィア』は、第二次世界大戦で背中を負傷し、松葉杖が手放せない作家ブランフォードが、コンスタンスの死を知らされる場面からはじまる。コンスタンスは、ブランフォードのオックスフォードの学友ヒラリーの姉であり、アヴィニョン近郊の城館テュ・デュックの当主であった。ブランフォードは、まだ戦争の始まる前、コンスタンスにはじめて会った頃を回想する。ヒラリーとブランフォード、それにもう一人の学友サムの三人は、卒業前の夏の休暇をテュ・デュックで過ごすため、南仏プロヴァンスに向かう。そこにはコンスタンスの妹のリヴィアも合流することになっていた。

『リヴィア』は、主として大戦前の不穏な時代を背景に、若者たちが青春を謳歌するアヴィニョンの夏を描いている。青春群像の常として、恋愛がからんでくるのだが、そこはダレル。通常の男女による三角関係などではお茶をにごさない。同性愛に近親相姦がからんでくるから話は厄介になる。それだけなら、ややこしくはあっても恋愛譚ですむ。そこに、ナチスに資金援助をしようというユダヤ系英国貴族ゲイレン卿や、その商売仲間であるエジプト王子ハッサド、卿の甥で領事代理のフェリックス、卿に雇われテンプル騎士団の隠し財宝探索を行う数学者カトルファージュがからんでくるから、話は一挙に面白くなる。

ブランフォードは二人の美人姉妹に惹かれるが、リヴィアは本来レズビアンであるのに、姉をとられることを恐れ、ブランフォードに近づく。二人は結ばれるが、リヴィアは同性愛相手がいるジプシーの集団や娼館通いをやめない。苦悩するブランフォード。政治に興味を持たないブランフォードは主に恋愛路線をひた走り、ゲイレン卿やハッサド王子が脇で夜会や大饗宴を主催し、上流階級の頽廃的な歓楽を演じて見せる。教皇庁のあったアヴィニョンは、あの歌に歌われた「アヴィニョンの橋」だけではなく、ポン・デュ・ガール教皇宮殿など見所の多い町である。その恰好の舞台背景を得てダレルの筆は冴える。特にポン・デュ・ガールを臨む貸切のオーベルジュで開かれるハッサド王子の狂宴は見ものだ。当夜の晩餐の献立表まで付記されているから、同好の士は是非参照されるとよかろう。

ユダヤ人をまとめて一箇所に隔離するという計画を、土地なき民であるユダヤ人がひとつの国家を建設するシオニズムとからめて、ユダヤ系の資産家から金を掠め取ろうとするナチス。隠された財宝を虎視眈々とねらう英国貴族。儲け話に一口乗ろうとする不能に悩むエジプト王子。いかにもダレルらしい胡散臭くも豪華な顔ぶれと、金はないが能力と未来だけは持ち合わせる若者たちが出会うとき、物語は動きはじめる。南仏プロヴァンスの荒れ寂れた城館、エジプト風の怪奇な意匠に改装された貴族の別荘で繰り広げられる愛と欲望のアラベスク文様。

作家ブランフォードのメモに記される箴言風の文章、たとえば「歴史とは、流しをゆっくりと伝って落ちていくねばねばの粥のようなものだ――その無限なる遅さ!」のような名文句が頻出し、読むことの愉しみを味わわせてくれる。この一冊だけでは、全容をうかがうことは難しいが、既刊の『ムッシュー』、それに続く未刊の三冊を読み合わせることで、どんな小説世界が現れてくるのか、愉しみはつきない。