marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

『アヴィニョン五重奏Ⅰムッシュー』ロレンス・ダレル

アヴィニョン五重奏I ムッシュー ---あるいは闇の君主 (アヴィニョン五重奏【全5巻】)
五つの小説はいつも誰かの死を告げる知らせからはじまるのだろうか。本作では、友人ピエールの死を知らされたブルースが思い出の地アヴィニョンに向かう。ピエール・ド・ノガレは、ブルース・ドレクセルの無二の親友にして、妻のシルヴィーはピエールの妹であった。三人は古い城館ヴェルフイユに籠り、世間から隔絶した愛の三角関係を生きようとしていたのだ。
またしても、というか、こちらの方が先に書かれているのだから、こちらがオリジナルと言いたいところだが、小説の最後で、この三人は作家ブランフォードの創作した人物ということが知れるので、ややこしいのだが、兄妹と兄の親友による三角関係という主題はここにはじまっていた。
ピエール・ド・ノガレは、フィリップ端麗王の命を受け、テンプル騎士団に異端の汚名を着せた張本人ギヨーム・ド・ノガレの末裔に当たる。文書保管室に残された資料をもとにテンプル騎士団についての論文を書くため、ヴェルフイユには三人の友人トビーが度々訪れてもいた。
小説は、グノーシス主義を奉じたピエールの遺言により、名家の跡取りの葬儀とも思えぬ簡素な埋葬の儀式に違和感を覚えるブルースの目を通して描かれる。その侘びしげな葬列と対比して描かれるのは、かつてのクリスマス、城館の主人と客、そして使用人たちが一堂に会した晩餐の情景だ。南仏プロヴァンスの地味豊かな食材を生かした料理と酒のもてなし。紀行文にも才筆を振るったダレルの情景描写の冴えが見られるところだ。
あるいは、第二章「マカブル」。グノーシス主義オフィス派の祭司アッカドによって導かれるアレクサンドリア近郊のオアシス、マカブルにおける秘密の儀式の情景。砂漠のオアシスに建てられたモスク内での秘儀参入の儀式に招かれた三人は、ひそかに投じられた麻薬のせいかオフィス派の守護神である大蛇に巻きつかれるという幻覚を見る。医師でもあり、懐疑的なブルースとはちがってピエールは、グノーシスに執心していた。実はテンプル騎士団の異端の汚名はグノーシス由来のものであったらしいことが分かっていたのだ。
この宇宙が偽の神によって創られた悪の世界であり、真の宇宙に到達するためには、現実世界を否認しなければならないという根本的に反世界的な教義を持つグノーシス主義の発生は古い。北部とは異なり、地中海に向かって開けた南仏にはもともと異教的な信仰が根深く残っていた。裏切り者の末裔として生まれた出自ゆえに、ピエールは反宇宙的二元論の思想を有するグノーシスに惹かれた。その行き着いたところが自らの生の放棄であった。
砂漠のオアシスに一夜だけ開かれる祭めあてのバザールの喧騒。それと対比される人気のない海岸に打ち寄せる波で水浴びをし、導師アッカドによる解義を受ける静謐な時間。『アレクサンドリア四重奏』を思い出させるエジプトの風景描写に見られるロレンス・ダレルの卓越した文章技術。本を読む、ということが単にストーリーを追うのではなく、本来はその文章を味わうことであったことを再確認させてくれる。
小説の最後は、ブランフォードの視点でつづられている。長年の友人である老公爵夫人に草稿を読ませる約束を果たすため、輿にのって向かう先はヴェネツィアにあるクアルティーラの地下室。トゥと呼ばれる公爵夫人は、『アヴィニョン五重奏Ⅱリヴィア』に登場するコンスタンスその人であることが、ここで明らかにされる。このように、あらためて二冊を読み比べることで、ブランフォードにD老人と呼ばれる作家ダレルの目論見が少し分かる。それぞれ異名の登場人物を持つ複数の小説群が、全く別のものというわけではなく、尻尾をかみ合うウロボロスの蛇のように、ⅠはⅡに最後尾で接続されている。
それだけではない。ブランフォードはD老人の被造物であり、ロブ・サトクリフはブランフォードの被造物。さらにはブロッシュフォードなるロブ・サトクリフの被造物までが登場する。すべて作家自身の複数の鏡像である。万華鏡の中に封じ込められたセルロイドの色板が、全く同じものであるのに少し回転を加えると全く異なる図像を生じさせるのに似たロレンス・ダレルの詐術的文学技法。少しずつずれを含んだ繰り返しのもつボレロ効果。ピエールの死は自殺なのか他殺なのか。手を下したのは誰か、といったミステリ要素にテンプル騎士団グノーシス主義といったオカルティズムの要素が塗され、謎解き興味も存分に味わうことができる。シェイクスピアや聖書をはじめとする文学的引用もふんだんに用意され、中には『ヴェニスに死す』のモデル「コルヴォー男爵」の名前まで見られるという文学好きには堪えられない出来となっている。