marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

第33章

一週間後、ハリウッド界隈はスモッグに悩まされていた。ただ、マーロウの家のあるローレル・キャニオンあたりは何の理由によるものかは知らないが、いつもよく晴れて、空気は澄んでいた。そんなある日、ロジャー・ウェイドから電話があり、ランチを共にする約束をした。その後、ニュー・ヨーク時代のテリーを知っている男から電話があった。その頃、テリーはポール・マーストンという名前で、従軍徽章をつけていたという知らせだ。
この章も清水訳には欠落が目立つ。俗語表現が多いのも特徴で、わずらわしい軽口は、逐一訳すに及ばず、と判断したのかもしれない。
電話の男が当時のテリーがいつも酔っていたことを評して、“ He was sure on the sauce. ” という。村上版では「あの時は彼はすっかり酒浸りだった。」という訳になっているが、清水版では、この部分が抜けている。なんでもないような一文だが、実は後でこれがきいてくる。
テリーの着けていた従軍徽章について、ロイという電話の男は、“ Their version of the ruptured duck. ”とつけ加えている。清水氏はカットしているが、村上氏は「こっちでいう名誉除隊章みたいなもんだね」と、ちゃんと訳している。“ the ruptured duck ” は直訳すれば「破裂鴨」。名誉除隊賞の図柄から、そう呼ばれているらしい。この従軍徽章も、作品の中で重要な役割を果たしている。「破裂鴨」のほうではない。本物のほうだ。
その後、ロイはニュー・ヨークでテリーを見かけていない。西に移り住んだからだ。“ I came west ”という教科書英語みたいな一文だが、清水訳では「僕は西部へきてしまったのでね」。村上訳は「こっちはそのあと西海岸に移ったからね」だ。たしかに「西海岸」は、ウェスト・コーストであって、アメリカで「ウェスト」といえば西部にちがいない。けれど、「西部」と訳されると、西部劇の影響からか、テキサスあたりを思い浮かべてしまう。あとで、こちらでテリーを見かけていると言っているので、テキサスくんだりに行ったわけではないことが分かるから、別に問題はないのだけれど。
ロイが、テリーの妻のことを評して“ somewhat wild daughter ”と呼んでいるのも清水氏は無視している。村上訳では「跳ね返り娘」となっている。ご乱行は世間に知れ渡っていたことがここからも分かる。こちらで再会したとき、テリーは君に気づかなかったのか、というマーロウの問いにロイが答えて
“ Like I said, he was always pretty well lit back in New York. ” というところがある。
清水訳「いつかも言ったように、ニュー・ヨークではいつも酔っぱらっていたんです。」
村上訳「さっきも言ったように、ニュー・ヨークでは四六時中酔っぱらっていたからね。」
清水氏の「いつかも言ったように」が苦しい。この男がマーロウと話すのは初めてのはず。村上氏のように「さっきも言ったように」とするためには、“ He was sure on the sauce. ” を訳しておく必要があったのだ。清水氏も「聞いたことのない声だった」と訳しているのだから、この不整合に気づかないはずはなかったと思うのだが。
末尾の文も、清水版ではきれいにカットされている。「警官は楽な稼業ではない。」というのは決めゼリフとして決まってはいるのだが。村上版では「警官の仕事もなかなか骨が折れる」に続けて「誰にへつらい、誰をいたぶればいいか、簡単には見きわめられないのだから」と最後まで訳されている。原文は以下の通り。
“ A difficult thing, being a cop. You never know whose stomach it’s safe to jump up and down on. ”
蛇足ながら、前の章に続きこの章でも、テリーの妻の所有する銃、つまり殺害に使用された凶器だが、モーゼルP.P.K.7.65ミリと書かれているが、ご存知のとおり、P.P.K.はワルサー社製の拳銃で、モーゼルではない。イアン・フレミングの007シリーズにおいて、ジェイムズ・ボンド愛用の銃として知られているので、今では誰でも知っていることだが、原文にモーゼルとある以上、翻訳者が勝手に訂正することはできない相談なのだろう。チャンドラーともあろう作家が何でこんな初歩的なミスを犯したか。銃器には詳しくなかったのかもしれないが、編集者や出版社は専門家だ。気がつかなかったのだろうか。どうにも腑に落ちない。