marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

『黒富士』柄澤 齊

黒富士
『ロンド』の作者が満を持して書いた長篇第二作である。北斎の「赤富士」のように、墨一色で描かれた富士の絵をめぐるミステリかと思って読みはじめたのだったが、どうやら違っていたようだ。富士山を舞台にした伝奇ロマンとでもいえばいいのだろうか、国枝史郎の『神州纐纈城』とガストン・ルルーの『オペラ座の怪人』を足して二で割ったような按配である。一応謎解きめいた趣向も凝らしてあるので、ミステリ仕立ての読物と位置づけてもまちがいではないだろう。

作者は木口木版画の第一人者として知られる。処女作『ロンド』は、如何にも芸術家が書きそうな名画をめぐる探偵小説であった。処女長篇とは到底思えない文章力に驚かされたのを覚えている。ぐいぐいと読者をひっぱってゆく筆力は今回も変わらない。いや、むしろ強度を増しているといっていいだろう。というのも、前作が端正な佇まいを見せる古典的な探偵小説のスタイルを踏襲していたとすれば、今回のそれは、むしろバロック的なゆがみやひずみを強調した伝奇小説を意識して書かれていて、そのドライブ感はいや増さるものがある。

主人公空木蓑太は、俳句結社を主宰する俳人である父の命を受けて、父の借り物を書家で三峰苑苑主黒戸彷尊に返しに行く途中、富士の樹林に踏み迷い野犬に襲われそうになる。蓑太を救ったのは山麓に店を開くラーメン店で働く三人の老女とその店を営む早月千鶴だった。三峰苑に行くのなら娘の亜梨亜を連れ帰ってほしいと千鶴に頼まれた蓑太は、ナギという道案内の男の住む場所に連れて行かれる。そこは富士の風穴と厖大な廃棄物の山で造られた迷宮であった。

早月家は病院も経営する地元の有力者であったが、富士山麓に霊園と書道道場を営む黒戸彷尊とはビジネス以外にも因縁があり、互いを非難しあっていた。亜梨亜の写真を見せられた蓑太はその美しさに一目惚れし、亜梨亜の力になろうと勇んで三峰苑に出かけるのだった。彷尊と千鶴の宿縁が事業拡大の勢力争いと絡んで対立の構図を描く。そこに筋肉の化け物のようなナギという男と三峰苑の後継者の位置をねらう物阿弥が加わり、事態は一気に加速する。

黒戸彷尊を有名にしたのがカレンダーに印刷された平仮名の稚拙な詩というあたりで、著名人を揶揄しているのが分かるが、売り切れ御免で後を引く無類に美味いラーメン店だとか、金持ち目当てのクリニックや富士の名水といった俗っぽい話が次から次へと繰り出される。そこにもってきて墨を飲み、獏を飼い、死装束にへのへのもへじを墨書した褌姿の黒戸彷尊とか、とてもラーメンとは思えない味ながら、一度食すと必ずまた食べたくなり、店頭に行列が並ぶラーメンを鱗模様の能衣装を纏い角のない般若のような顔をして客に供する千鶴だとか、どれも一筋縄ではくくれない怪人奇人のオン・パレード。

失踪する華麗な電飾をつけた霊柩車や、マネキンやフィギュア、人体解剖模型など満載のメリー・ゴー・ラウンド、廃棄物の鉛管や塩ビ管で造られた巨大なパイプオルガンといったサイバー・パンクめいたガジェットの数々に、エロスとタナトスが相克する呪わしい血の因果はめぐる。おどろおどろしい展開もさることながら、富士火口をスノー・ボードで滑走したり、銃撃戦やヘリによる脱出といったハリウッド映画顔負けの演出はエンタテインメイトを意図した味付けが濃厚である。

文字通り、デウス・エクス・マキナ機械仕掛けの神)が登場し、すべてはカタストロフの様相を見せて終焉する。手品めいた仕掛けの謎解きはあるものの、全部が全部合理的に解明されるとは言い難い。むしろ非合理が堂々としゃしゃり出て何が悪いというような開き直りすら見えるところが、評価の分かれるところだろう。伝奇ロマンとして読むには俗臭が強すぎるし、型破りのミステリとして読むには謎の提出とその解決が弱い気がする。作者の意図が奈辺にあるかは知らないが、物語の全編にまるで主役のように登場するのが近頃話題になっている日本屈指の名峰、富士である。予想される環境破壊やごみ問題、さらには地震や噴火の可能性を併せ持つ富士山の世界自然遺産登録に警鐘を鳴らす異色の問題作として読めば時宜にかなうのではなかろうか。