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『黒澤明と三船敏郎』 スチュアート・ガルブレイス4世

黒澤明と三船敏郎
黒澤の映画をリアルタイムで見はじめたのが、『影武者』あたりだからか、ずっと仲代達也に肩入れしてきたのだが、ある時期から古いモノクロ時代の黒澤を見て、圧倒的に三船敏郎のよさが分かってきた。『七人の侍』や『羅生門』の三船も野生的で他にかけがえのない役者なのだが、しみじみその好さが伝わってきたのが、『椿三十郎』だった。演技者としての三船が、人間的な深みや包容力を表現できるまでに成長したことを物語っているのだろう。『用心棒』の人気に気をよくして、あわてて作った続編ということもあるのだろう、黒澤も肩の力が抜けており、ほどよいヒューモアが漂っていてあまり気張りすぎていないところがかえって好ましい。

無論、三船の演技は演出家としての黒澤の力によるところが大きい。三船は役者になりたくて撮影所に入ったのではない。満州で写真館を営む家に生まれ、軍隊でも撮影班に所属していた。その関係で東宝の試験を受けたのだが、撮影の方に空きがなく、ニューフェイスの方に回されたのだ。入社さえしたら転属できると聞かされていたらしい。試験の際、面白くもないのに笑えるか、といって暴れた逸話は有名だが、それが山本嘉次郎監督や黒澤の目にとまり、『銀嶺の果て』に抜擢されることにつながるのだから、人生というのは面白いものだ。

黒澤明三船敏郎の関係というのは、監督と主演俳優というだけではない、切っても切れない類のものだ。たしかに、黒澤がいなかったら三船敏郎という役者は存在しなかったろう。一方、三船がいなかったら、『羅生門』や『七人の侍』が、あれほどの話題を呼んだだろうか。『影武者』は、勝新太郎の降板を受けて、仲代が代役を勤めたのだが、初めから、あの盗賊役を三船がやっていたら、どうだったろう。三船なら、影武者になる盗賊も、武田信玄もどちらも見事に演じ分けたと思う。勝は盗賊にはぴったりだが、智将武田信玄の風格が伴わず、仲代は信玄ははまるが、盗賊が醸し出す道化役らしい面白さが不足していた。彼のせいではない。キャスティングの問題だ。黒澤と三船の関係が上手くいっていたら、完璧のキャスティングが可能だったものを。

黒澤の監督した映画一本、一本についてのフィルモグラフィーがあって、それに関わるように同時期の三船の出演した映画や海外での活躍が語られる形で書かれている。黒澤についてはこれまでにいくらでも書かれているし、『蝦蟇の油』という自伝もある。しかし、三船については、あれほどの役者としては驚くほど資料に乏しい。それは、三船敏郎という役者を日本は黙殺してきたということになろう。この本の中でも、長男の史郎のインタビューがそのほとんどを占め、役者仲間の貴重な思い出話が、その穴を埋めてくれている。

黒澤についてはほとんど知られた話ばかりで、『トラ・トラ・トラ!』の日本編監督降板の経緯について、青柳というプロデューサーの関与が日米間の理解の妨げになっていたことが明らかにされていることと、甥に当たる井上マイクという人物がかなり重要な役割を担っていたことがインタビューを通じてわかることぐらいが新味か。息子である久雄より、よほど核心に触れる話をしているのだが、今まであまり注目されてこなかった人物だけに、少し奇異な感想を持った。

黒澤明の映画がキネマ旬報のベストテンで、なかなか一位を取れなかったことが意外な感じがして、日本ではあまり理解されていなかったのか、と思ったのだが、参考にその年のベスト3に挙げられた作品名を見て驚いた。木下恵介小津安二郎川島雄三、といった監督の代表作が目白押しではないか。当時の日本映画界がどれだけ良質な作品を次々と生み出していたのかということにあらためて驚くとともに、隔日の感を覚えた。

著者ははっきり、二人の側に立って書いているので、気持ちよく読めるのだが、引用されている当時のアメリカの映画評は、かなりひどい。無論、中には優れた評者もいるのだが、はじめから、ハリウッド映画の下手な物まね、猿まね、と決め付け、ろくに作品を見ようともしないで低い評価をくだす評者もいて、「世界の黒澤」などという掛け声は、どこの国の話か、と思わされた。逆に、三船については、アメリカでの厚遇の例がいくつもあって、不遇な時期にはずいぶん慰められたであろう、と思った。

五社協定東宝争議、独立プロブームといった当時の日本映画界の流れの中で、三船プロを存続させていくため、社長業のかたわら、テレビやCM、つまらない映画に顔を出して日銭を稼ぎ、会社につぎ込むことで、役者としての価値を下落させていった晩年の三船に対し、ジョージ・ルーカスやコッポラ、スピルバーグといった監督の応援を受け、復活を果たしていった黒澤。徐々に距離が生まれ、二度と一緒に仕事をすることがなかった二人の晩年を思うにつけ、この国の映画界の衰退と国力の翳りを思わないわけにはいかない。三船敏郎という役者については、単独で詳しい評伝、フィルモグラフィーが書かれるべきだろう、とつくづく感じた