アメリカの雑誌≪ニューヨーカー≫に載った短篇の中から、原則として未訳の物を編んだアンソロジー「ベスト・ストーリーズ」の第三巻。1990年から現在までを扱う最終巻。何といっても収録された作家の顔ぶれがすごい。豪華すぎるメンバーのラインナップと背番号代わりにタイトルを紹介しよう。
ウィリアム・トレヴァー 「昔の恋人」
アリス・マンロー 「流されて」
アニー・プルー 「足下は泥だらけ」
ミュリエル・スパーク 「百十一年後の運転手」
トバイアス・ウルフ 「疑わしきは罰せず」
ジョナサン・レセム 「スーパーゴートマン」
ジョナサン・フランゼン 「気の合う二人」
スティーヴン・ミルハウザー 「ハラド四世の治世に」
ジョン・アップダイク 「満杯」
ジョイス・キャロル・オーツ 「カボチャ頭 ボスニアの大学院生の訪れを受けた未亡人の話」
ジュリアン・バーンズ 「共犯関係 離婚した弁護士の話」
スティーヴン・キング 「プレミアム・ハーモニー」
ゲイリー・シュタインガート 「レニー♡ユーニス」
カレン・ラッセル 「悪しき交配」
編者若島正のドヤ顔が見えてきそうではないか。いずれ劣らぬ短篇小説の名手ウィリアム・トレヴァー、アリス・マンローが肩を並べ、ミュリエル・スパークとジュリアン・バーンズがいっしょにベンチ入り。オールスター・ゲームの監督気分でオーダーを組みたいところだが、残念ながら、打順は雑誌に発表された年代順。そうすることで、洒落た都会小説を得意とする≪ニューヨーカー≫も時代に合わせて変化してきたことが分かる。
「昔の恋人」は、三人の女と一人の男の長年にわたる関係を男の妻の視点から描く。夫の恋人から来た手紙を盗み見て、女の友人の死を知る。死んだ女も夫を愛していたが、後見人の位置に甘んじることで、夫への愛を隠していた。四十年前の情事に始まる夫とその恋人、そしてその友人との歳月を、見たこともない二人の女の容姿、服装から会話まで想像の中で振り返る。他の女への愛を口にする男と結婚を続けてきた妻が、夫への愛を隠し続けた女の死に感じるものとは。いかにもトレヴァーらしい苦味の効いた一篇。
「流されて」は、集中最も長い。オンタリオ州カーステアズで司書をしているルイーザに海外から手紙が届く。時は1917年。相手は負傷した従軍中の兵士で、故郷の図書館で見かけた司書に宛てた手紙には貴女の写真が欲しい、とあった。戦争が終わり帰還兵の名の中に男の名前はあったが、彼は図書館には現れなかった。
50年代、心臓の治療に訪れた街のバス停留所で、ルイーザはかつて手紙をくれた相手に声をかけられ、あれからの自分に起こったことを語って聞かせる。しかし、男の話は自分の知る「実際に起こったこと」とは食い違う。もしかしたら、それが「起こりえたこと」なのか。だって、男はとうに死んでいるのだ。男は幽霊なのか、ルイーザが心の中に抱くわだかまりが、時を超えて形をとって現われたのか?自他ともに認める実務的な性格で、両大戦間を生き抜いてきた女性の胸の裡のどこかに巣食っていた、愛についての複雑な心理を描いて圧倒される。
「起こりえたこと」と「実際に起こったこと」という異なる現実を扱った、この中篇は描かれる挿話の配置が時系列がバラバラで、何度読み直しても全部分かったような気がしない。それでは面白くないかというと実に面白い。訳者である若島は、「アリス・マンローの短篇を読むのは、小さな苗木が根を張り、枝を伸ばし、葉を繁らせて、一本の大樹に成長していくのを目の当たりにするような稀有な体験」と評しているが、まさにこれはそういう一篇である。
ミュリエル・スパークの「百十一年後の運転手」は、作家が自分の伝記の資料にと、探し集めた写真の数が思っていたより少ない。記憶にある何枚かはなぜ消えたのか?謎の解決が作品のタイトルになる粋な仕掛けだ。スティーヴン・ミルハウザーの「ハラド四世の治世に」は、訳者柴田元幸の言う通り、お得意の「たぐい稀な技能を有する芸術家がはじめは世に崇められるが、次第にあまりに作品が高尚になって世間から理解されなくなるというパターンの話」。精密な細密細工職人の超絶技巧を描いているときのミルハウザーの幸せそうな顔が目に見えるようだ。
これら、偏愛の作家たちの作品は期待通り。しかし、アンソロジーの良いところは、それまで知らずにいた作家を発見できるところだ。評者にとってはアニー・プルーがその一人。映画化された『シッピング・ニュース』、『ブロークバック・マウンテン』は二本とも寂びれた地で寡黙に生きる男の姿を描いていて共感を覚えたものだったが、うかつなことに原作者にチェックを入れることを怠っていた。ロデオ競技の一つ、猛牛に乗っている時間の長さを争うブルライディングを仕事にする男の生き方を乾いた筆致でつづった「足下は泥だらけ」には痺れた。
牧場育ちながらそれを嫌い、町で息子を育てた母。それなのに、息子はバイト先で経験したロデオに魅せられ、ブルライダーの道を選ぶ。母はなぜ牧場を嫌うのか?自分を駆り立ててやまないこの「血」の疼きはどこから来るのか?次のロデオ会場を目指して夜の道を行く男たちの孤独な生き方が胸を打つ。これが≪ニューヨーカー≫?って訊きたくなる、ウェスタン臭がプンプン匂ってくる男臭い一篇。これは掘り出し物だった。
90年代に発表された作品に偏った評となったのは、評者の歳のせい。後半の作品もひと癖もふた癖もある名品ぞろい。お気に入りの作家のものは当然ながら、今まで知らなかった作家にめぐり合う愉しみもある。アンソロジーの愉楽に耽るにはもってこいの一冊である。