marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

『ラスト・チャイルド』 ジョン・ハート

ラスト・チャイルド (ハヤカワ・ポケット・ミステリ 1836)
事件が解決され、犯人が誰か分かった後、もう一度はじめから読み返すのが好きだ。張られた伏線も、ミスディレクションも、手に取るようによく分かるから。しかしながら再読したくなる小説はそう多くない。大抵は犯人の隠し方に無理があったり、語り手が重要な手がかりを充分明らかにしていなかったりして、不満が残る。しかし、なかには再読可能な作品もある。ミステリとしては瑕瑾があっても、それを問題にしたくないほど読ませる力を持つ作品が。

これもそういう作品の一つである。『終わりなき道』、『川は静かに流れ』に次いで、ジョン・ハートを読むのはこれで三作目。それまで読んだ二扁は再読しなかった。アメリカ探偵作家クラブ賞をとった『川は静かに流れ』は、『終わりなき道』よりは良かったが、人間の描き方に不満が残った。この作家は、殺人という罪を犯す人間は、外見はどう見えていても、実のところはみな異常者だと思っているのではないだろうか、という疑念がぬぐえず、三度目の正直を期待しながら読んだ。

ジョニーは十三歳。双子の妹アリッサは一年前に誘拐された。母キャサリンは、娘が戻らないのは迎えに遅れたあなたのせいだと父を責めた。優しかった父は家を出た。働き手を失い、家庭は崩壊する。貸家に移った母子を家主である町の有力者ケンが蹂躙した。母はドラッグと酒で心と体を支配され、息子は絶えず暴行を受けた。ジョニーは神に祈った。母が薬をやめ、家族が戻り、ケンが死ぬことを。神は答えなかった。聖書を焼き捨て、ジョニーは犯罪常習者を監視する。

一方、担当刑事のハントもすべてを犠牲にしてアリッサの行方を追っていた。そんな夫に業を煮やした妻は離婚。一人息子は心を閉ざしていた。父と子という主題は、この作品でも大きな役割を果たしている。事件から一年後、ジョニーは一人の男が何者かに殺されるところを目撃する。男は、死ぬ前に「あの子を見つけた」、「連れ去られた少女」、「逃げろ」とつぶやく。必死で逃げるジョニーの前に巨漢の黒人が現れる。男は逃走中の服役囚だった。男の耳には声が聞こえた。「少年をつかみ上げよ」という神の声が。

少年の冒険活劇という側面がこの作家にはめずらしく作品に明るさを呼び込んでいる。親友ジャックとつるんで学校をサボり、酒やタバコをやり、無免許で車を転がす少年像は、トム・ソウヤーとハックルベリー・フィンの系譜に連なるものだ。不良っぽいが、知識欲があり、図書館の本は延滞せず、何度も借り直すという律義さも持っている。インディアンの儀式に必要な羽をとるために鷲と格闘する勇気もあれば、餓死する運命にある雛鳥に心を痛める優しさも併せ持つ。

一つの事件を追うのではなく、一見関係のない複数の事件が起き、それらがからみ合うプロットがよくできている。少女誘拐事件はジョニーの活躍もあって意外な展開を見せるが、妹は依然として見つからない。組織力のある警察機構より、十三歳の少年が一歩前を行くというのは、どう考えても無理があるが、ハントはことごとく少年たちの後手に回る。そんなハントに代わり、事件解決に力を発揮するのがネイティヴ・アメリカンと黒人の混血、リーヴァイ・フリーマントルという大男。

アメリカという国の歴史や宗教を背景に取り込むのは、この作家のよく使う手だが、今回は奴隷解放の先駆者であった一人の男と彼が救った黒人奴隷の子孫(ラスト・チャイルド)がキー・パーソンになっている。神の前の平等は奴隷制度には都合が悪い。白人は自分たちの信じる神を黒人が信仰することを禁じた。白人に隠れてキリスト教を信奉した人々は、ハッシュ・アーバー(隠れ教会)と呼ばれる森の奥や湿地に集っては祈り、神を讃える歌を歌った。ゴスペルの始まりである。

救った側と救われた側のラスト・チャイルドの遭遇が奇蹟を起こす。今さらノックスの十戒ヴァン・ダインの二十則を持ち出すと笑われるかもしれないが、超自然的な力や、妹の事件の解決の仕方についてミステリとして気になるところはある。ただ、そこが小説のミソなので、結果論になるが、英国推理作家協会賞最優秀スリラー賞を受賞しているのだから、問題ないということにしておこう。個人的にはジョン・ハートの作品では、今まででいちばん面白く、後味もいい。ミステリという狭い枠にとらわれることなく、楽しんで読める作品になっている。