marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

『戦時の音楽』レベッカ・マカーイ

戦時の音楽 (新潮クレスト・ブックス)
ごくごく短い掌篇から、かなり読み応えのある長さのものまでいろいろ取り揃えた十七篇の短篇集。ニュー・ヨークの高層ビルの一部屋に置かれたピアノから突然バッハ本人が出てくるという突拍子もない奇想から、旱魃の最中に死んでしまったサーカス団の象の死体の処理に村中が知恵を絞るフォークロア調の話、自分の身代わりに連行された教授に成りすまし、教授の友人や教え子に手紙を書いて送ってもらった金で暮らす料理人の話等々。

時代も舞台もいろいろだし、現代に生きる女性の一人称限定視点だったり、三人称客観視点だったり、断章形式だったり、一篇まるごとテープ起こしだったり、と語り方も千差万別。それではばらばらで統一が取れていないのではと思われるかもしれないが、不思議なことに、一篇一篇は異なっているのに、こうやって一冊にまとまると、どこかで何かが響きあっているような奥底に流れる基調音がある。

原題が<Music for Wartime>。その訳が『戦時の音楽』というのだからほぼ直訳だ。たしかに、多くの作品に音楽や音楽家、絵画や画家、役者に作家といった芸術家が配されている。正面から戦時を描いているわけではない。戦争が我が身に迫ったとき、ユダヤ人のように迫害される側の人々がどうなったのか、ということを突き詰めようとしている。運よく逃れた者もいれば、殺された者、投獄された者がいる。その責めは誰が負うのか。

戦争が終われば本当の意味で平和がやって来るのかどうか。「これ以上ひどい思い」のアーロンの父は若い頃ジュリアード音楽院に招かれ、アメリカに渡る。その後ルーマニアに残った家族全員が殺される。恩師のラデレスクは捕らえられ右手の中指を切り落とされるが、チャウシェスク政権が崩壊して放免される。アーロンはラデレスクの弾くヴァイオリンの音に耳を澄ませ、それらの物語を聴いている。

父には仲間や恩師、家族を捨てて一人生き残ったことについての罪悪感があったことにアーロンは気づく。アメリカ生まれのアーロンは無辜であり、無垢のはずだ。しかし、感受性の強いアーロンは経緯について何も知らないまま、人々の不幸に反応してしまう。ユダヤ人の虐殺のあった公園を通りかかった時には寒気を感じる。そんなとき父はアーロンの頭に手を置きながら「これ以上ひどい思いをせずにすみますように」という言葉をまじないのようにつぶやく。

この「無垢」と「罪悪感」というのが短篇集を貫く主題。主人公たちは何もしていないのに、夫とうまくいかなくなったり、次々と不運に見舞われたりする。9.11以来、信仰が揺らいだという夫と離婚した「私」は、ある日ピアノの中から現れたバッハと暮らすうちに、高層ビルの窓から下を見たバッハの恐怖を知る。そして夫の不安に思い至る。無意識がバッハを呼び出し「葛藤」が発展的に解消されてゆく過程をユーモラスに描く「赤を背景とした恋人たち」。マカーイは絵と音楽を競演させるのが好きだ。ここではバッハの音楽にシャガールを併せている。

「絵の海、絵の船」は、雁と間違えてアホウドリを撃ち殺してしまう話から始まる。アレックスはカレッジの英文学科の教師。ラファエル前派のミューズ、ジェーン・モリスに似ているのが自慢なのだが、婚約者のマルコムは容姿を誉めてくれない。そんなある日、レポートでは優秀なのに授業ではしゃべらないエデン・スーを呼び出し、このままでは成績にひびくと注意する。その際「韓国では」と口に出したのが問題となる。スーはミネソタ生まれの中国系アメリカ人だった。人種による偏見だと委員会に訴えたのだ。

苦慮するあまり、ついつい酒を飲みすぎて、授業にも出られなくなり、なお悪いことに再度エデン・スーとぶつかってしまう。任期なしの専任教授になることも難しくなったアレックスだが、それを婚約者に相談することができない。ついには酔った勢いで婚約解消まで申し出る羽目に。心配してくれる詩人のトスマンにも冷たい態度をとる。事態が収まるところに収まってから彼女は振り返る。

「年下の同僚たちにその話をするときは、アホウドリから始まり、エデン・スーが中心となり、誰もが知っているトスマンの死で終わった。要点、つまり話の教訓は、人はいかに先入観を持ってしまうのか、犯した間違いがどれほど致命的になりうるかということだった。何かを見極めそこねると、それを傷つけたり、殺してしまいかねないし、そうでなくても救えなくなってしまうのだと」

チェロ奏者のセリーンは新しい絵に引っ越したばかりだ。その家の前には十字架が立っていた。交通事故の犠牲者を悼むものらしい。それだけでなく、月命日ごとに家族が二人やって来ては、ぬいぐるみと造花の花壇を拡張させてゆく。死を悼む行為に反感を抱きたくはないが、はっきり言って醜いもので芝生を奪われるのは嫌だ。四重奏団の練習にやって来るメンバーもいろいろ案を出すが、どれも功を奏しそうにない。石碑か何かに替えてもらえるなら協力するというメモを貼り付けたが、二人はせせら笑って破り捨てる。

ここへやってきたのは逃げるためだった。セリーンは一度結婚に失敗している。強迫症という持病もある。頑丈な家を買ってそこに籠れば誰にも孤独を邪魔されない。そう思ってやって来たところに十字架が突き刺さった。そんな月命日の夜、扉を叩く音がする。遺族の顔が思い浮かぶ。思い切って扉を開けると第一ヴァイオリンのグレゴリーだった。解決策を持ってきたという。セリーンはどうやってこの苦境を乗り切るのか、というのが「十字架」だ。

罪悪感という主題を奥深く沈めていながら、どれも読後に癒されるような思いが残る。音楽と美術がいつも寄り添っていることも救いになっているようだ。カメオ出演のようにスチュアート・ダイベックが登場人物の一人として作中に紛れこんでいるのも楽しい。これが第一短篇集という、信じられないレベルの達成を見せる短篇小説の新しい名手の誕生である。