marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

『十二の遍歴の物語』G・ガルシア=マルケス

十二の遍歴の物語 (新潮・現代世界の文学)
ガルシア=マルケスの訃報に接し、その死を悼んで何か書きたいと思ったが、『百年の孤独』はもとより、すでに多くの著書や関連する書物について書いてしまっている。そこで、あらためて翻訳された書名を眺めわたしてみたところ、未読の短篇集を一冊見つけ出した。それが、この『十二の遍歴の物語』である。

書物の成立の経緯については、作家自らが冒頭に置かれた「緒言―なぜ十二なのか、なぜ短篇なのか、なぜ遍歴なのか」のなかで意を尽くして述べている。七〇年代初期バルセロナに暮らしていたときに見た夢がきっかけで、短篇集のアイデアをメモとして子どものノートに書きとめだした。旅行の際も携行し、六十四集まった時点で書きはじめたが、二篇書きおえたところで後が続かず、いつの間にか忘却に任せた。それが八〇年に新聞コラムを書くようになり甦る。十二編のうち五篇がコラム、さらに五篇が映画の台本、一篇はテレビドラマ、そして残る一篇は何とインタビューで話したものだという。もちろん、短篇集にまとめるにあたり、最初から書き直されているのだが、映画はまだしも、これらのうちのどれがコラム記事だったのか、その跡形もないほど見事な短篇となっている。

十二篇に共通するのは、その舞台をヨーロッパにとっていることだ。ガルシア=マルケスは、コロンビアの作家とされており、代表作の多くがコロンビアを思わせる土地を舞台にしているにもかかわらず、コロンビアで書かれてはいない。それらは、ヨーロッパや他の中南米諸国で暮らしながら書かれている。訳者の言葉を借りれば、「彼はいつも、とても遠くから書いている」のである。興味深いのは、その彼が本書では逆向きに、遠くからヨーロッパを書いていることである。

ガルシア=マルケスは、二十代半ばで新聞の特派員となりヨーロッパに渡る。しかし、その新聞が母国で発行禁止となったため失職、そのままヨーロッパに留まることになる。その後、他国を転々としながら小説を発表していくのだが、そのうちの少なくない時間を「ヨーロッパのラテン・アメリカ人」として暮らしている。暮らし向きが決して楽でなかったことは、バルガス=リョサがパリの下宿先の大家から、前の借り手もラテン・アメリカ人だったが下宿代を溜めて困った、とこぼされたのがマルケスのことだったと笑い話にしていることからも分かる。当時の印象が強いせいか、概してヨーロッパに向ける視線には冷たいものがある。

今は亡命先のジュネーブで療養中のカリブ海に面した国の元大統領は、手術後体調は悪化する一方だったが、最後の頼みでマルティニークへ移送されると、元気を取り戻す(「大統領閣下、よいお旅を」)。また、元女優だったメキシコ美人はバルセローナに向かう途中、車が故障したため通りかかったバスに乗せてもらい、合流予定の夫に遅れることを告げようと、停まった先で電話を借りるが、そこは精神病院だった。「電話をかけに来ただけなの」と、いくら言っても信じてもらえず、事態はとんでもないことに(「電話をかけに来ただけなの」)。

ブエノス・アイレスからはるばる法王猊下に拝謁するためイタリアを訪れたプルデンシア・リネーロ夫人は、下船したナポリでホテルに泊まる。食堂のあるホテルには、半ズボンからピンク色のひざ頭をのぞかせたイギリス人観光客十七人がホールの椅子に並んで腰かけ眠りこんでいた。肉屋の豚肉を思わせるその光景に怖じ気を震った夫人は別の階の食事抜きのホテルに泊まることにする。翌日、町歩きから帰った夫人の見たものは、担架で運ばれるイギリス人たちだった(「毒を盛られた十七人のイギリス人」)。

バルセローナ近郊のカダケスに吹く「トラモンターナ」という季節風は猛烈なものらしい。ダリの故郷を紹介したテレビで見たことがある。その風を恐れる現地の少年を無理矢理つれてカダケス行きを強行するスウェーデンの男女たちを待ち受けていたものとは(「トラモンターナ」)。せっかくの夏休みを台無しにしてしまう厳格なドイツ人家庭教師に兄弟が仕掛けた悪意ある悪戯の顛末を描いた「ミセズ・フォーブスの幸福な夏」。上流コロンビア人の若夫婦がベントレーの新車を駆って出かけた新婚旅行先のパリで出会うことになった不条理な結末に胸ふたぐ「雪の上に落ちたお前の血の跡」と、どれも「ヨーロッパのラテン・アメリカ人」の感じる違和感に端を発した物語の数々。長篇小説に勝るとも劣らないガルシア=マルケスの短篇小説の切れ味の鋭さを賞味されたい。

『寂しい丘で狩りをする』辻原 登

寂しい丘で狩りをする
表題はエピグラフに引かれたヘミングウェイの「たしかに、狩りをするなら人間狩りだ。武装した人間を狩ることを長らくたっぷりと嗜んだ者は、もはや他の何かに食指を動かすことは決してない」(「青い海で―メキシコ湾流通信」)から採られたもの。いかにも物騒な題辞にふさわしく、小説は強姦致傷、及び窃盗、恐喝未遂で七年の量刑を宣告された被告押本史夫に対する判決文からはじまる。

野添敦子は京橋にあるフィルムセンターのエディター。数年前の大雪の日、親切心で車に同乗させた押本に強姦され、法廷で証言にも立った。その結果収監された加害者に逆恨みされ「出たら殺してやる」と脅されていた。復讐を恐れた敦子は顔見知りの法廷ジャーナリストの紹介で探偵を雇い、出獄した押本の動静を探ることにする。

桑村みどりは、イビサ・レディス探偵社に勤める私立探偵。夫の浮気調査を依頼した探偵社の営業本部長に勘のよさを見込まれ、勤めることに。今では腕利きの女性私立探偵である。しかし、プライベートでは、離婚後付き合ったストーカー男のDV被害に苦しむ被害者でもあった。野添敦子が人を介して調査を依頼することになるのが、桑村みどりである。

検事調書や判決文、調査報告書といった実務的な文書が、そのままの形で記載される法廷物を装ったスタイルから、一見するとストーカー、DVと世間を騒がす流行の犯罪事件を主題に、わが国のような法治国家において事件の被害者の人権がいかに守られることがないか、という既成の事実をこれでもか、というほどの事実を積み重ね、世に訴えようというねらいで書かれた小説のように見える。たしかに、一つにはそういうねらいもあるにちがいない。

最近も事件報道を目にしたばかりだが、ストーカー規制法が成立してからも、この手の犯罪が目に見えて減少したという報告を聞かない。警察ができるのは警告であり、違反しても1年以下の懲役もしくは100万円以下の罰金刑で、この小説に登場するような繰り返し同種の犯罪を犯すことをためらわない常習犯にとっては痛くもかゆくもない。警察には度々届けを出していたのに、という被害者の声を何度聞いたことか。

しかし、小説巧者、辻原登の手にかかれば、読んでいる間、読者の脳裏にそうした実用的な側面が浮かび上がることはまずない。どれほど、住所変更を繰り返してもターゲットの住処を見つけ出すストーカー常習者の手口の周到さ、緻密さ、またその執念深さに圧倒され、被害者にいつその魔の手が襲いかかるか、というサスペンスフルな展開から目がはなせなくなるからだ。

それだけではない。二人の女性が、DVや強姦事件の単なる被害者として描かれることなく、自立して働く魅力的で有能な女性として描かれていることも、その理由の一つだろう。二人の女性が卑劣な男たちによって追い詰められながらも、ただ逃げるだけでなく、正面から立ち向かおうとする、その姿勢に読者はエールを送りたくなるのだ。仮令、私立探偵みどりの手に握られるのが、スミス&ウェッソン製の拳銃ならぬボールペンであったとしても。ふだんは筆記用具として持ち歩いているが、タクティカル・ペンといい、強化アルミ製で、握り部分に滑り止めの格子模様が刻まれ、先端部はガラスも打ち破るという優れものである。

いまひとつ、この小説を面白くしているのが、主人公敦子の職業である。古い可燃性の映画フィルムを探し出し、復元させるという仕事に携わる敦子のもとへは、各地から新たに見つかった懐かしい映画作品の購入依頼が集まってくる。名匠、山中貞雄の幻のフィルムもその一つである。映画ファンならすでに承知のことだが、将来を嘱望された山中はこれからという時に召集され、中国で戦病死し、帰国がかなわなかった。フィルムは消耗品だと考えられた当時の日本では、古いフィルムは処分され、貴重な山中の作品も今では『丹下左膳余話、百万両の壷』、『河内山宗俊』、『人情紙風船』の三本しか現存していない。たとえ一本でも当時のフィルムが残っていて、それが復元可能であるとしたら、これは日本だけではなく、世界的にも一大ニュースになるはず。その一作とは、山中貞雄のデビュー作品『磯の源太、抱寝の長脇差』。現存するのは断片で、全編が発見されたら事件である。

完全に架空の小説のなかに、いかにもありそうな史実を象嵌させる辻原得意の手法は今回も健在で、この陰惨な小説を明るく彩るサイド・ストーリーとして十全に機能している。敦子を付けねらう押本が以前小倉の映画館で映写技師をしていたという設定が見事に生かされ、余韻の残る結末が準備されている。川本三郎が行きたくなるような戦後の闇市に出現したであろう飲み屋街だとか、懐かしい映画館の面影を宿すピンク映画館だとか、昭和の影を色濃く残す書割に、趣味を同じくするご同輩にはたまらない設定がいかにも、の辻原登の最新作である。是非。

 49章

エイモスの運転で、リンダがやってくる。マーロウはシャンペンでもてなそうとするが、リンダのボストンバッグを部屋に入れかけたところで口論になる。シャンペンくらいでベッドをともにする女と見られたくない、と怒り出すのだ。一度は、謝るマーロウだが、怒りの覚めやらぬリンダに、今度はマーロウのほうが怒り出す。そして痴話喧嘩のあとは仲直りのキス、となる。その冒頭から。

“When the car stopped out front and the door opened I went out and stood at the top of the steps to call down.”
清水訳
車が表でとまって、ドアがあくのが聞こえたとき、私は入り口に出て、会談の上に立っていた。
村上訳
うちの正面に車が停まり、ドアの開く音が聞こえた。私は外に出て階段のてっぺんから「すぐに下りていくから」と下に向けて声をかけた。
英語というのは、即物的というか、実践的というか、なんとも率直な言葉で、“call down”が、「下りて来るように言う」という意味を表す。村上訳は、その用例で、会話を補足して使っている。直訳すれば、「外で車が停まり、ドアがあいたとき、私は、降りてきて、と言われるために外に出て階段の上に立っていた」。もっと砕いて言うなら、「外で車が停まり、ドアが開いたとき、私はいつ声がかかっても下りてゆけるよう、外に出て階段の上に立っていた」か。

しかし、運転手のエイモスが彼女のためにドアを開け、小さな旅行鞄を手に、彼女の後から階段を上がってきたので、マーロウは待つことにした。マーロウがホテルまで送ってくれるから、とリンダは車を帰し、一人で部屋の中に入る。顔の傷に気づいたリンダは、どうしたの、と訊きマーロウはメネンディスにやられたが、もう彼のことは忘れていい、と話を打ち切る。飲み物でもということになり、シャンパンの話になる。
“I haven’t any ice bucket, but it’s cold, I’ve been saving it for years. Two bottles. Cordon Rouge. I guess it’s good. I’m no iudge.”
清水訳
「氷を入れるバケツはないが、シャンパンは冷えている。永いあいだしまっておいたのが、二本ある。コードン・ルージュです。いい品物だと思うんだがね。ぼくにはよくわからない」
村上訳
「アイス・バケツの用意はないが、よく冷えているよ。二年ほど前からずっととってあるからね。コルドン・ルージュが二本。悪くないものだ。とりたててシャンパンには詳しいわけじゃないが」
“saving it for”が、このあと問題になってくるのだが、村上氏はなぜ「二年ほど前」と時間を区切ったのだろう。閑話休題シャンパンがとってあるときいたリンダは“saving it for what?”(なんのためにとっておいたの?)と尋ね、マーロウは“saving it for you.”(君のためさ)と応える。気の利いた台詞のやりとりだ。リンダは、微笑みながら、マーロウの顔をじっとみつめて、こういう。
“You’re all cut.”
清水訳「うまいことをいうのね」
村上訳「顔じゅう傷だらけ」
次にくるのが、会ってからまだ二ヵ月しかたってないのに、という台詞だから、リンダがマーロウの言葉のいい加減さに呆れたことをいいたいのだろう。清水氏の意訳でもいいのだが、“be cut”には、「死ぬ、重傷を負う」の意味がある。顔の傷にかけて、「あなたって、まったくどうしようもない人ね」の意味を含めているのではないだろうか。その後にこう続くのだから。
“Saving for me? That’s not very likely, It’s only a couple of months since we met.”
清水訳
「私のためにしまっておいたの?おかしいじゃないの。会ってからまだ二ヵ月しかたっていないのよ」
そういわれても悪びれず、「いずれ会えるだろうと思ってしまっておいたのさ」と、かわすマーロウ。このあたりの台詞のやりとりは実に軽妙だ。

シャンパンをとりに台所へ行く際に、マーロウは旅行鞄を持って部屋から出ようとした。そこにリンダの鋭い声が飛ぶ。“Just where are you going with that?”(それを持ってどこへ行こうというの)。
“It’s an overnight bag, isn’t it?”
清水訳「身のまわりのものが入ってるんでしょ」
村上訳「だって、泊まり支度なんだろう?」
リンダのバッグは、ハンドバッグではなく、一泊程度の旅行用の鞄で、所謂ボストンバッグだった。車も帰したし、遅いから泊まるつもりで来たにちがいないとマーロウは考えたのだろう。しかし、リンダはマーロウが車でホテルに送ってくれるから、といって運転手を帰している。泊まる、とはひと言も言っていない。その一方で、マーロウは今夜は車がないこともリンダに告げている。それを承知で車を帰したからには、自分の家に泊まる気でいるとマーロウが考えるのも無理はない。

リンダは混乱している。マーロウはこれまで、自分に気があるような素振りは全然見せてこなかった。リンダは、マーロウのことを「タフで、シニカルで、ひねくれて、冷酷な人だ」と思ってきた、という。マーロウは、「そうかもしれない―ときによっては」と、返す。そのあと、
“Now I’m here and I suppose without preamble, after we had a reasonable quantity of champagne you plan to grab me and throw me on the bed. Is that it?”
清水訳
「ところが、私がここへ来たものだから、シャンペンでいいかげん酔っぱらわせてから、私をつかまえてベッドにつれこもうというのね。そうなんでしょ」
村上訳
「私は今ここにいる。前置きみたいなものも抜きに。そしてあなたは、そこそこの量のシャンパンを飲んだあとで私にいどみかかり、ベッドに押し倒そうとしている。違うかしら?」
“without preamble”というのは、「前置き抜きに」でまちがいないのだが、村上氏のように訳すと、ずいぶん堅苦しく聞こえてしまう。こんな訳はいかがだろう。
「私は今はここにいる。そして、ずばり言うけど、このあと二人が気持ちよくなるくらいシャンペンを飲んだら、あなたは強引に私をベッドにつれこむつもりなのよね。ちがう?」

マーロウは正直に、そんな考えも頭の片隅にちらっと浮かんだかもしれない、と明かす。「光栄だわ」と、言いながらもリンダは、あなたのことは好きだが、だからといってあなたと寝たいと思っているとは限らない。旅行鞄のせいで早合点したんじゃないの?と、軽くいなす。バッグを元の位置に置いたマーロウはシャンパンを取りにいこうとする。「シャンパンはもっといいことがあったときのためにとっておいたら」と、引きとめるリンダにマーロウは「たった二本だ。本当にいいことがあったら一ダースは必要だ」と、言う。その一言がリンダを傷つける。自分はそれだけの価値の女だ、と言われたように感じたのだ。離婚話と旅行鞄のせいで自分のものになると思ったらお門違いよ、と怒りを募らせるリンダに、マーロウも切れる。今度旅行鞄のことを口にしたら投げ捨ててやる。別に寝ることを求めてなどいない。いっしょに酒を飲もうというだけじゃないか、と。相手を怒らせてしまったことに気づいたリンダは、マーロウに詫びる。
“I’m a tired and disappointed woman. Please be kind to me. I’m not bargain to anyone.”
清水訳
「ごめんなさいね。私は世の中にくたびれて、幻滅を感じている女よ。お願いだから、やさしくしてくださいな。つまらない女なのよ」
村上訳
「ごめんなさい。とてもくたびれて、心が傷ついているの。だから優しくしてちょうだい。相手が誰であれ自分を安売りしたくないの」
最後のところの訳が異なっている。“ bargain”は、もともと「商い」を語源とする。この文脈では、誰とも(値段を)交渉する気がないという意味になる。相手の出方を見て、駆け引きするような、そんな元気は今の自分にはない。ただ、優しくしてほしい、と訴えているのだ。そういう意味では清水氏の「つまらない女なのよ」は、よく分かる訳だ。村上氏の「安売りしたくないの」は、“ bargain”に引きずられた訳だと思われるが、この状態のリンダの口から出てくる言葉としては、少々高飛車な感じがするのは否めない。

マーロウは、そんなリンダの言ったことを否定する。君はくたびれてなんかいないし、他の誰と比べても失望してなんかいない。誰かに優しくしてもらう必要などない女なのだ、と。マーロウが、シャンパンを用意して戻ると、リンダはいない。どこへ行ったのかと探すと、リンダは髪をほどき、ローブに着替えていた。
“I meant to all time,” she said. “I just had to be difficult. I don’t know why. Just nerves perhaps. I’m not really a loose woman at all. Is that a pity?”
清水訳
「抱いてほしかったのよ」と、彼女はいった。「でもかんたんに抱かれたくなかったの。なぜだかわからないわ。―でも、ほんとはこんなことをする女じゃないのよ。そう思わなかった?」
村上訳
「はじめからそのつもりだった」と彼女は言った。「でも自分で自分をついむずかしくしてしまう性格なの。どうしてかしら。ただ神経過敏なのかもしれないわね。ガードがとても固くて、うまくほどけない。困ったものね」
心まですっかりほどけたリンダは、しどけない姿でマーロウの前に現われる。ここは、村上訳が原文に忠実だ。

簡単に落ちる女だと思ったら、ヴィクターズではじめて会った時に誘っていたさ、と言うマーロウに、
“I don’t think so, That’s why I am here?”
清水訳「私はそうは思わないわ。だから、ここに来てるのよ」
村上訳「誘いをかけなかったのなら、私はなぜ今ここにいるのかしら」
村上訳でいくと、マーロウははじめからリンダにアタックしていたんだ、ということになる。だから、次の言葉が、「でもとにかくあの夜じゃない」という部分否定になる。清水訳では、最初の出会いのときに誘ってないから、今夜がある、という意味になる。いずれにせよ、マーロウは最初の夜にはリンダを誘っていない。あの夜はもっと他に気になることがあったからだ。
親しげな会話が続くうちに、リンダはシャンパンを再三ほしがる。なぜ?と問うマーロウに、
“It’ll get flat if we don’t drink it. Besides I like the taste of it.”
清水訳「飲まないと気分がわかないの。それに、舌ざわりが好きなのよ」
村上訳「飲まないと気が抜けてしまうでしょ。それにシャンパンが好きなの」
“it”が主語なのだから、沸き立つものがなくなってしまうのはシャンパンの方だろう。このあたりの会話は、もう内容など、どうでもいいような気がしてくる。勝手にやってくれというくらいのものだ。

 48章

家の中で待ち構えていたのは、メンディ・メネンディス。警告を無視したマーロウに報復するための来訪だった。メネンディスはマーロウを三度殴るが、話の途中で相手の隙を突いてマーロウもやり返す。メンディが床に倒れたところでバーニーが登場する。すべては罠だった。警察はマーロウを餌にしてビッグ・ウィリー・マグーン襲撃犯であるメネンディスをおびき寄せ、自白させたかったのだ。ヴェガスのスターとの取り決めどおりメンディをヴェガスのスターのところに送り届けさせると、バーニーは、マーロウに自分がいかに賭博を憎んでいるかを熱く語り始める。マーロウは、それらは必要悪に過ぎないとバーニーを諭す。バーニーが帰ったあと、マーロウはリンダとスターに電話をする。

さんざっぱら傷めつけて気が緩んだのか、メンディはビッグ・ウィリー・マグーンを襲ったわけをマーロウに説いて聞かせる。その部分。
“On account of some lacquered chippie said we used loaded dice. Seems like the bim was one of his sleepy-time gals. I had her put out of the club―with every dime she brought in with her.”
清水訳
「いかさまのさいころを使ったとしゃべった女がいたんだ。奴がいっしょに寝ていた女の一人だろうよ。クラブからお払い箱にした女なんだ」
村上訳
「どっかの酔っぱらった小娘が、俺たちが仕込みをしたサイコロを使っていると抜かしやがったのさ。こいつはどうやらマグーンのいろ(傍点二字)の一人らしかった。この女にはクラブから丁重にお引き取りを願ったよ。すった金はそっくりお返ししてな」
最後のところをいつものように清水氏は訳していない。清水訳だと、お払い箱にされたのを恨んでの仕儀ともとれる。
「気持ちは分かる」と、マーロウは一応同意する。プロはそんないかさまはしない。なぜなら、“He doesn’t have to.”(村上訳「わざわざインチキをするまでもないからな」)。プロが仕切る賭場では初めから胴元が勝つようにできているからだ。この部分も清水氏は訳していない。傷めつけられながらもマーロウは、メネンディスに畳み掛けていく。何故、こんなことをする必要があるのか、と。さんざ殴られていながら減らず口をやめないマーロウに、メネンディスは次第に激昂してゆく。
“I ought to use a knife on you, cheapie. I ought to cut you into slices of raw meat.”
清水訳「ナイフを使うんだったよ。チンピラ。こまぎり(傍点四字)にしてやるところだった」
村上訳「こうなればナイフを使わせてもらうぜ、はんちく。お前をずたずたの細切り肉にしてやる」
メネンディスは、ナイフを使わなかったことを悔いているのだろうか?それともこれから使おうというのだろうか。“ought to”(〜すべき)を重ねて使っているところからは、清水訳の方が雰囲気が出ているのだが、後半がいけない。口癖の“cheapie”を生かして、「ナイフを使うんだったよ、半端者のお前には細切り肉がお似合いだ」なんていうのはどうだろう。余談になるが、村上氏の「はんちく」が、どうにも気になってならない。江戸落語の世界でもあるまいし、わざわざ新しくした訳で、ほとんど死語と化した「はんちく」は考えものだ。根っからの東京生まれ、東京育ちでもない氏が、この語を採用した理由が、どうにもよく分からない。
頭にきたメネンディスは、力いっぱい腕を引いてマーロウを倒しにかかる、バック・スィングの大きいところが狙い目だった。マーロウはすかさず半歩前に踏み出し、相手の鳩尾に蹴りを入れる。とっさの判断だった。マーロウはあとから振り返ってこう言う。
“I was a little punch drunk by this time.”
清水訳「どうにも我慢ができなくなったのだ」
村上訳「何度も殴られたおかげで、頭がちょっとおかしくなっていたのかもしれない」
原文にあるようにパンチドランカーの状態だったのかもしれない。ジャックナイフのように身体を二つ折りにして、床に落ちた拳銃を探すメネンディスの顔面に再び蹴りを入れたところで、椅子に腰掛けていた男が笑い声をあげた。その後。
“The man in the chair laughed. That staggered me.”
清水訳「次の行動に移ろうとしていた私の足がよろめいた」
村上訳「その笑い声が私をたじろがせた」
stagger” には、「よろめく」、「たじろぐ」のどちらの意味もある。さて、どちらがいいのだろう。メネンディスは倒したが、まだ三人残っている。そのうちの一人が飛びかかってくるのではなく、笑い声を上げるとは、マーロウでなくてもいぶかしい思いが生じる。次の行動に移ろうとする、その一瞬間があいた。ここは躊躇の意と採りたい。

男は立ち上がり、「その男は殺すな」と命じる。生餌として使いたいのだ、と。ホールの影から現われたバーニーは、床に伸びているメネンディスを見下ろし、ばかにしたようにつぶやく。
“Soft,” Ohls said.“Soft as mush.”
清水訳「意気地がないな」と、オールズはいった。「からっきし意気地がない」
村上訳「やわだねえ」とオールズは言った。「からっきしやわだ」
マーロウは即座にそれを否定する。
“He’s not soft,” I said. “He is hurt. Any man can be hurt. Was Big Willie Magoon soft?”
清水訳
「意気地がないんじゃないよ」と、私はいった。「油断してたからさ。だれだって、うっかりしていることはあるんだ。ウィリー・マグーンは意気地のない男じゃなかったろう」
村上訳
「やわな男じゃない」と私は言った。「痛めつけられただけだ。どんな人間だって痛めつけられるときはある。ビッグ・ウィリー・マグーンはやわだったか?」
マーロウがメネンディスを倒すことができたのは、微妙な心理上の駆け引きがあってのことだ。結果だけ見て傍観者から対戦相手の戦闘力をそしられるのは我慢がならない。まして相手が警官とあってはなおさらだ。マーロウの微妙な心理が顔をのぞかしている。逐語訳としては村上訳が正しいのだろうが、主人公の心情をうかがわせるという点からは、清水訳のほうが読みごたえがある。清水氏の訳には、こうしたところが多々あって、村上氏の新訳が出た今となっても、旧訳の良さを上げる声が絶えないのだ。

オールズに「お前ははめられたんだ」と言われたメネンディスは、その意味を確かめずにいられない。すべて、スターの書いた筋書き通りに運んだことを知ったメネンディスは悪びれず、退場する。
“God help Nevada,” Mendy said quietly, looking around again at the tough Mex by the door. Then he crossed himself quickly and walked out of the front door.
清水訳
ネヴァダか」と、もう一度ふりかえってドアのそばのメキシコ人を見ながら、メンディはいった。それから、覚悟をきめたように入り口から出て行った。
村上訳
ネヴァダに神の恵みあれ」、戸口に立ったタフなメキシコ人の方を見てから、メンディーは静かな声で言った。そして素早く十字を切り、玄関から出て行った。
多民族国家である合衆国では、民族によって宗教が異なる。WASPのマーロウにはメンディの仕種が異化されて目に映る。ヒスパニック系らしく、メンディはカトリック信者なのだろう。それまでのふてぶてしさが消え、死を前にした男の諦念が伝わってくる。村上訳からはそのあたりがよく伝わってくる。信仰心に無縁な日本人には煩わしいと見てか、清水氏は「覚悟を決め」と意訳している。

どう見ても警官には見えない男たちにメネンディスを護送させることに懸念を抱くマーロウは、バーニーを冷血漢だとなじる。清水氏は、例によって最後のところをカットしている。
“Nice work, Bernie. Very nice. Think he’ll get to Vegas alive, you coldhearted son of bitch?”
清水訳
「みごとだったぜ、バーニー、りっぱなもんだ。だが、ヴェガスへ生きて着けると思っているのか」
村上訳
「見事だよ、バーニー、感服のほかはないね。あいつが生きてヴェガスにたどり着けると思っているのか? まったく血も涙もないやつだ」
バーニーは、「この次は警察を出し抜こうなんて考えるんじゃないぜ」と言いながら、わざと写真複写を盗ませたことが、メンディーをおびき寄せる計画の一部だったことを明かす。そして、ヴェガスのラッキー・スターには、了承を得ていることも。
“We put it up to Starr cold.”
清水訳「スターに事情をあかして、応援を頼んだ」
村上訳「スターには前もって釘を刺しておいた」
この後にくるのが、スターの賭博行為に関する脅しのようなものだから、「事情を明かし、応援を頼」むのは、おかしい。逐語訳なら「冷静に対処するよう提案する」というところだから、村上訳が近い。
賭博からのあがりに文句がついてはかなわないと見たスターは、メンディから腕の立つ三人の調達を頼まれたとき、
“Starr sent him three guys he knew, in one of his own cars, at his own expence.”
清水訳「あいつら三人をよこしたわけだ」
村上訳「スターは自分の配下の三人を送り込んだ。自分の車を使わせ、費用も自分で出した」
スターの気前のいい協力振りについて、清水訳は素っ気ない。このあとで、マーロウが警察のやり方の汚さについてバーニーをなじる際、効いてくるところだと思うのだが。その悪口。
“Cop business is wonderful uplifting idealistic work, Bernie. The only thing wrong with cop business is the cops that are in it. ”
清水訳
「警官のやることはりっぱだよ、バーニー。おれのきらいな警官がやることとは思えないぜ」
村上訳
「警察の仕事は文句のつけようもなく見事で、高邁で、理想にあふれているよ。警察について唯一気に入らないのは、そこで仕事をしている警官だけだ」
マーロウという男は、皮肉や嫌味を言うとき最も能弁になる。それを聞かせないのは惜しいと思うのだが、清水氏はばっさばっさと切り捨てて顧みない。これでは、新訳のひとつもひねり出そうという人間が出てきても不思議ではない。二つの訳を参照しながら、ああでもない、こうでもないと考えるのは実に愉快だ。
そうまで言われては、バーニーとしても一言いっておきたい。
“Too bad for you,hero,” he said with a sudden cold savagery.
清水訳 「大きにすまなかったな」と、彼はいった。
村上訳 「どうだ、つっぱって生きるのも楽じゃなかろう」と彼は言った。声が唐突に冷たく惨忍なものに変わった。
バーニーの声音の変化は見過ごせない。汚い仕事だと分かってやっているのだ。かつての同僚とはいえ、民間人を囮にして、警官に無礼を働いたギャングに罰を与えようという目論見が誉められたものじゃないことは自分でもよく分かっている。だから、声の響きが残忍さを帯びるのだ。前半の訳はめずらしく村上氏の方が意訳を試みている。「我らがヒーローには、大変申し訳ないことをした」といったところか。それに続くバーニーの言い訳を聞いたマーロウの言葉の取り扱いも同じだ。
“So sorry,” I said. “So very sorry you had to suffer like that.”
清水訳 「それは気の毒だったな」と、私はいった。
村上訳 「嬉しくて泣けてくるね」と私は言った。「さぞや心が痛んだことだろうぜ」
やはり、後ろ半分を清水氏は訳し残している。くどいのが嫌いなのだ。しかし、ここでも、このマーロウの執拗な嫌味口調がバーニーの本音を引き出す役目を務めているのはまちがえようがない。
このあと、バーニーの博奕打ちに対する嫌悪感が爆発する。長くなるので一部を引用する。
“There’s only one way a jok can win a race, but there’s twenty ways he can lose one, with a steward at every eight pole watching, and not able to do a damn thing about if the jok knows his stuff.”
清水訳
競馬ファンが勝つ方法は一つしかないが、ファンの虎の子の一ドルをあっというまにまきあげる方法はいくつあるかわからない。八分の一ごとの距離に監視員が見張っていて、いんちき(傍点四字)であることがわかっていても、どうすることもできないんだ」
村上訳
「騎手がレースに勝つ方法はひとつしかないが、勝つまいと思えば方法は二十くらいある。レース・トラックでは八本のポールごとに監視員が立って目をこらしている。しかし、心得のある騎手にかかったら、監視員なんて手も足もでないのさ」
八百長の仕組みについて触れているところだが、「騎手が」という村上訳のほうがよく分かる。
バーニーの長広舌を聞き終わったマーロウは、ひと言「気持ちはおさまったか?」と訊く。それに対してバーニーは「おれは年をくってくたびれた、ぽんこつの警官なんだ。気持ちなんておさまるもんか」と返す。マーロウは、こういって慰める。
“You’re a damn good cop, Bernie, but just the same you’re all wet.”
清水訳「君はりっぱな警官だよ、バーニー。ただ、むかっ腹(傍点四字)を立てすぎるんだ」
村上訳「君は見上げた警官だよ、バーニー。しかし同時にいささか感傷的に過ぎる」
多くの警官がそうだが、といいながらマーロウは自説をぶつ。庶民のなけなしの金を巻き上げる賭博組織に腹を立てるバーニーは、マーロウから見るといささか「ウェット」にすぎる。マーロウの意見はプラグマティックなものだ。賭博でする奴が出るなら賭博を禁止すればいい。酔っぱらいがいけないなら酒を禁止すればいい、というもので、バーニーのような古株の警官にはとりつく島がない。つい“Aw shut up” と言ってしまう。そこをまた、マーロウに突かれて、「ほら、すぐに黙れとくるんだ」とやり返される。マーロウ曰く。
“We don’t have mobs and crime syndicates and goon squads because we have crooked politicians abd their stooges in the City Hall and the legislatures.”
村上訳(清水氏はこの部分を訳していない)
「ギャングや犯罪組織ややくざ連中がこうしてのさばっているのは、何も悪徳に染まった政治家がいて、そいつらの手先が市役所や議会に散らばっているからじゃない」
「犯罪は病気そのものじゃない。ただの症状なんだ。警官というのは脳腫瘍の患者にアスピリンを与える医者のようなものだ」と、見事な持論を開陳するマーロウ。この国の刑事ドラマを見ていると、どこかに悪の親玉がいて、そいつさえやっつければ、すべてうまくいくような話が横行しているが、さすがはチャンドラー、である。「組織犯罪は強い力を持つアメリカ・ドルの汚い側面なんだよ」と、バーニーに説いて聞かせるマーロウの醒めた意識。圧巻である。「きれいな面はどこにある」と訊ねるバーニーに、「まだ見たことはない。ハーラン・ポッターに訊けば教えてくれるよ。どうだ一杯やらないか」で、仲直りとなる。このあと、リンダとの電話での会話があるのだが、続きはまた次章で。

 47章

ジャーナル紙の記事を受けて、スプリンガー地方検事は記者会見を開き、公式見解を発表する。ジャーナル紙の編集長ヘンリー・シャーマンは検事の発言をそのまま紙面に掲載するとともに、署名入りの記事ですばやく反論する。モーガンが心配して電話をかけてくるが、果たしてその夜、マーロウ宅に招かれぬ客が訪れる。

この章の前半は、地方検事と新聞の舌戦の紹介で、明らかに清水氏はあっさりすまし、いかにもハード・ボイルド探偵小説らしい展開を見せる後半に重きを置いている。清水訳でカットされているところをいくつかあげてみよう。
まず、スプリンガーの風貌を紹介する文章だが、眉毛の色が清水訳では分からない。
“He was the big florid brack-browed prematurely gray-haired type that always does so well in politics.”
清水訳「スプリンガーは血色のよい大男で、若いときから白髪が多く、政治家として成功する型のからだつきだった」
村上訳「血色のよい大柄の男で、眉毛は黒いが、髪は早々と白くなっている。政界では常にこの手の風貌が好まれる」

次に、スプリンガーは、アイリーンの精神状態が尋常でなかったことにして、告白の信憑性に疑問を付すのだが、対句表現で表された心身の身の方が清水訳には抜けている。
“then I say to you that she did not write them with a clear head,nor with a steady hand. ”
清水訳「とにかく正常な思考力のもとに書かれたものでないことはいうまでもありません」
村上訳「彼女は混濁した意識のもとにそれを書いておりますし、筆跡も定かではありません」

また、細かいところだが、ジャーナル紙が何故そんなに早く反論を発表することができたかということの説明に、チャンドラーは筆を割いているのだが、清水氏は、そこもとばしている。
“The Journal printed this guff in its early edition (it was around-the-clock newspaper) and Henry Sherman, the Managing Editor, came right back at Springer with a sighned document.”
清水訳
「《ジャーナル》はこのばかげた談話をそのまま掲載して、編集長ヘンリー・シャーマンが書名つきの文章でスプリンガーに応戦した」
村上訳
「『ジャーナル』紙はこのたわごとを早版に掲載した(この新聞は一日のうちに何度も版を重ねる)。編集長であるヘンリー・シャーマンは、スプリンガーに対して、署名入りの記事ですかさず反撃した」

スプリンガーは、大向こうの受けをねらってか、意識の混濁したアイリーンをオフェリアに見立て、シェイクスピアの『ハムレット』から有名な台詞を引用してみせるのだが、実はその台詞はオフェリアについて言われたものではなく、オフェリア自身の台詞だった。シャーマンは、その誤りを正すとともにクローディアスの台詞を引用して大見得を切っている。欧米では如何なる場合も、聖書とシェイクスピアについての知識の有無がステイタスになっているのだ。
“You must wear your rue with a difference.”
清水訳「そなたは分別をこえて悲しみの衣をまとわねばならぬ」
村上訳「あなたは違うかたちの悲嘆を身にまとわなくてはね」
“rue” には「後悔・悲しみ」という語とは別に、「ヘンルーダ(芸香)」という毒性を持つミカン科の花の意がある。『ハムレット』の中で狂ったオフィーリアは花束を手に花言葉の意味を説きながら花を手渡してゆく場面があるが、狂気を言い訳にして、王や王妃に対して嫌味を言っているわけである。村上氏は括弧書きで、そのことについて詳しく触れている。ただ、王妃に対する嫌味と村上氏は記しているが、王妃には「不実の茴香と姦通の苧環」、そして王と自分にお似合いなのが「ヘンルーダ(芸香)」ではないだろうか。オフィーリアには「悲嘆」、そして兄を殺した王にとっては「後悔」という、違ったかたちの“rue”が。有名な台詞なので、欧米の読者にはそのまま通じるのだろうが、日本人である我々には説明があるほうが親切というものだ。無論あまり深入りしすぎると、ハード・ボイルド調ではなくなってしまうが。
“difference”が、清水氏の訳ではアイリーンが「分別を失って」悲嘆の衣をまとったという、スプリンガー一流の解釈になるわけである。それに比べて、村上氏の訳では「違うかたちの」という言葉の方に力点が置かれていて、それに続く「私の政敵はこのようなかたちの違う(傍点六字)点をことさら誇張して、政争の具とするかもしれません」を導き出すための引用と採っているわけで、このあたりの翻訳の“difference”は、非常に興味深い。ところで、辞書には名詞に続けての“with a difference”には、(ほめて)「特別な・並はずれた」という意味があるという。それなら、「あなたは選りぬきの芸香(後悔)を身にまとわねばならない」という訳も可能ではないだろうか。だとすれば、スプリンガーの“Eileen Wade wore her rue with a difference.”という言葉には、言外に「死者に口なしという、特別な道を採ってくれた」という意味が含まれているのかもしれない。もちろん、シェイクスピアはよく知っていたように、フランス語の“rue”には、「通り・道」という意味がある。

ジャーナル紙の反論から、『ハムレット』がらみで、次のクローディアスの台詞も引用しておこう。
a good thing that happend to be said by a bad man: “And where the offence is let the great axe fall.”
清水訳
「その台詞はたまたま悪人によっていわれた台詞である―“そして、罪のあるところへ大きな斧をふりおろすがよい”」
村上訳
「この善き台詞はあろうことか一人の悪しき人間によって語られたものだ。『罪のあるところに、大斧を振り下ろせ』」
原文の“a good thing”と“a bad man”は、言わずもがなの対句なので、村上訳のように対句表現で訳してほしいところだ。

午後二時ごろ、リンダ・ローリングから電話がかかる。
About two in the afternoon Linda Lorring called me. “No names, please,” she said.
清水訳 「今日は悪口を言わないでくださいね」と彼女はのっけ(傍点三字)に言った。
村上訳 「名前は口にしないでちょうだいね」と彼女は言った。
村上訳の「名前は口にしないで」というのは、どうだろう。何か意味があるのだろうか。“call someone names”には、「悪口を言う」という意味がある。マーロウとリンダは顔を合わせれば口喧嘩ばかりしている仲だ。清水氏の訳の方が、文脈的にふさわしい気がする。

電話の中でリンダは夫のことを“almost ex-husband”と呼ぶので、マーロウが訊ねる。
“What do you mean. almost ex-husband?”
清水訳「どういう意味です―前の夫というのは?」
村上訳「ほとんど『前の夫』になっている人というのは、どういう意味なのだろう?」
実のところ、ローリング医師はまだ「前の夫」になってはいない。だから、リンダは“almost”と言っているのだ。村上訳の原文に忠実なところは、この「ほとんど」によく現われている。

リンダは、父が怒っていることを告げ、マーロウに身をかくすよう忠告するが、マーロウは耳を貸さない。そんなマーロウにリンダが言う台詞。
“You’re not fooling anyone but yourself, Marlowe.”
清水訳「もっと自分のことを考えるべきよ、マーロウ」
村上訳「自分に向かってふりはできるかもしれないけど、他人には通用しないのよ、マーロウ」
村上氏の訳だが、“not A but B”という構文と見て、通常使われるように「他人はだませても自分をだますことはできない」という意味になるのではないだろうか。清水氏の方は“be a fool to oneself” (親切にしてばかを見る)という意味を採用しての意訳だろう。リンダとしては、「馬鹿なまねばかりしていないで、もっと自分のことを考えて」と言いたいのだろう。清水訳でいいのでは。

そして、いよいよ強面の男たちの登場シーンである。自宅に帰ってきたマーロウが屋内に尋常でないものを感じる、その理由を列挙するところで、清水氏は次の部分をばっさりカットしてしまっている。
“Perhaps on a warm still night like this one the room beyond the door was warm enough not still enough.”
村上訳
「このようなしん(傍点二字)とした温かな夜なのに、ドアの向こうはそれほど温かくもなく、それほどしんとしていなかったのかもしれない」
あるいは次のようなところも。何故か、すこぶる重要な最後のところをカットしている。
“Cadillacs with red spotlights belong to the big boys, mayors and police commissioners, District Attorneys, perhaps hoodlums.”
清水訳
「赤いスポットライトがついているキャディラックは市長、警察本部長、あるいは地方検事というような大物が使うのだった」
村上訳
「赤いスポットライトのついたキャディラックを乗り回すのは市長か、市警察本部長か、あるいは地方検事。さもなくばやくざか」

部屋の中で椅子に腰掛けた男を描写した部分。
“A man was sitting across the room with his legs crossed and a gun resting sideways on his thigh.”
清水訳
「部屋の向こうの端に一人の男が足を組んで腰をおろしていて、膝の上に拳銃がのっていた」
村上訳
「一人の男が部屋の奥に足を組んで座り、その腿には銃が横向きに置かれていた」
“thigh”は、膝ではなく腿だろう。洋服で腿の半ばまでの丈を表すのに「ミッド・サイ・レングス」という語がある。それに、いくらなんでも膝の上に拳銃というのは、落っこちそうで落ち着きが悪い。ライフルのような銃と考える方が絵柄がいい。それに、ギャングたちが脅しに撃つのが、“machine pistol”と、こちらはガンでもよさそうなのに、わざとピストルを使っているところから見ても、ここは銃と訳したほうが無難であろう。

 46章

長い一日も終わろうとしていた。マーロウは車を飛ばしてヴィクターズへ向かった。開けたばかりのバーギムレットを味わいながら、夕刊を待とうというのだ。記事はマーロウの望むとおりの形で載っていた。別の店で夕食をとって家に帰ると、バーニーから帰りに立ち寄るとの電話がかかった。やってきたバーニーは、マーロウの非協力振りをなじるが、マーロウは警察もレノックス事件はやる気が感じられなかった、とやり返す。帰り際、バーニーはマーロウの家の辺りを眺めながら、静かなところだ、と意味ありげに呟く。

告白書が公開されることで、レノックスの無実が明らかになる。ヴィクターズでギムレットを飲むことには乾杯の意味がある。ただ、残念なことに店は混んでいた。二人は開けたばかりのバーの静かなところが気に入っていたのだ。顔見知りのバーテンが声をかける。
“I haven’t seen your friend lately. The one with the green ice.”
清水訳「ちかごろお友だちを見ませんね」
村上訳「最近お友だちをお見かけしていませんね。氷みたいな緑の目の方のことですが」
清水氏、後半をカットしている。友だちがレノックスのことであるのは当然ということだろうか。

六時を回った頃、新聞売りの少年が店に入ってきた。
“One of the barkeeps yelled at him to beat it, but he managed one quick round of the customers before a waiter got hold of him and threw him out. I was one of the cusotmers.”
清水訳
バーテンの一人が出て行けとどなったが、少年はボーイにつかまって突き出されるまでに客のあいだを急いでひと廻りした。」
村上訳
バーテンダーの一人が『出て行け』と怒鳴ったが、少年は素早く客のあいだをひと巡りした。そのあとで取り押さえられ、店から放り出された。私は新聞を買い求めた客の一人だった。」
相変わらず、最後のところを清水氏はとばしている。こうなると、癖みたいなものかもしれないな、という気がしてくる。きっと、まだるっこしいのが嫌いな性格なんだろう。けど、訳し方としては清水氏の方がワンセンテンスで書き切った原文の持つリズムを生かしている。あっという間に客に新聞を売りつけて店を出て行く少年のはしっこさは、圧倒的に清水訳の方だろう。清水訳を好む人は、こういうところに惹かれるのだ。でも、「私も客の一人だった」くらいは訳してくれてもいいと思う。

早速、開いた『ジャーナル』誌には、写真複写が掲載されていた。細かいようだが、そのところ。
“They had reversed the photostat by making it black on white and by reducing it in size they had fitted it into the top half of the page.”
清水訳
「コピーの文字の色を反対にして、白いところに文字を黒く出して、ページの上部の半分をうずめていた」
村上訳
「彼らは写真複写を白地に黒に反転し、サイズを半分に縮小して、一面の半分のスペースに収まるようにしていた」
アイリーンの遺書は、メモ用紙にしても何枚かにわたっていた。縮小せずに新聞一面の半分のスペースに収めることは不可能だろう。清水氏の訳からは“by reducing it ”にあたる部分が、すっぽり抜け落ちている。でも、村上氏は何故「半分に」縮小したことが分かったのだろうか。

それについてのモーガンの記事を読んだマーロウの印象である。
“It added nothing, deduced nothing, imputed nothing. It was clear concise businesslike reporting.”
清水訳
「何も加えてなかったし、何もはぶかれてなかった。すこぶる要領のいい書き方だった」
村上訳
「何も付け加えず、何も差し引かず、誰にも責めを負わせていなかった。明瞭にして簡潔、ビジネスライクな報告である」
三連の否定を一つはぶいてしまうあたりが清水流か。モーガンという記者の性格と仕事ぶりをマーロウが認めていることを表す部分だけに、最後まで訳してほしいところ。少し前の洋酒の宣伝文句を思い出す。あれを使わせてもらうなら、「何も足さない、何も引かない、誰も責めない。明瞭、簡潔にして事務的な報告だった」という訳になるだろうか。

モーガンの記事に比べると、社説にはいくつかの問題提起がなされていた。
“the kind a newspaper askes of public officials when they are caught with jam on their faces.”
清水訳
「官憲がしくじって面目をつぶしたときに新聞がいつも提起する質問だった」
村上訳
「偉い政治家や官僚が顔にべったりジャムをつけている現場を押さえられたときに、新聞が呈する種類の疑問だった」
“jam on one’s face” とは、「恥」を意味するイディオムである。よく似た表現をチャンドラーはもう一度使っている。バーニー・オールズが吐く捨て科白の中で“blew a raspberry in thier faces” である。村上氏も、そこは、ラズベリーを顔に、ではなく「連中の顔に泥を塗ったんだ」と意訳している。では、何故、こちらは逐語訳を採用したのだろう。どうにも首尾一貫しない訳しぶりではあるまいか。

 45章

事務所に戻ったマーロウは、たまっていた郵便物をボールに見立て、郵便受けからデスクへ、デスクから屑籠へ、と併殺プレイを独演し、ほこりを払ったデスクの上に写真複写を広げると、もう一度読んだ。そして、顔見知りの新聞記者であるモーガンに電話をかけた。新聞に載せようというのだ。モーガンは上役と相談し、掲載を請合った。しかし、それは危険なことだと、マーロウに忠告する。

告白書にあるアイリーンの文章の引用である。
“ He should have died young in the snow of Norway, my lover that I gave to death. ”
清水訳「彼は私が死の神の手にゆだねた恋人として、ノルウェイの雪のなかで若くして死ぬべきだったのです」
村上訳「あの人はノルウェイの雪の中で、若くして死んでいるべきだったのです。私がこの身のすべてを捧げた恋人として」
何という身勝手な言い種だろうか。こんな女に見込まれたら命がいくつあっても足りはしない。それはともかく、“ gave to death ” の取り扱いにちがいが見える。「死の神の手にゆだねた恋人として」という清水氏の訳はなかなかロマンティックではあるが、“ death ” を「死神」と読むには、頭文字が大文字でなければならない。“ ― to death ” には「死ぬほど」という意味がある。「私のすべてを与えた恋人として」の方が通りがいいようだ。

写真複写の内容を問うモーガンに、マーロウが返す言葉。
” It breaks open a couple of things they hid behind the ice box. ”
清水訳「検事局が冷蔵庫のうしろにかくしてしまった事件が二つ明るみに出るのさ」
村上訳「公表すれば、彼らが隠していたいくつかの事件が世間に暴かれることになる」
「二つ」と限定してしまうより、「いくつかの」という含みを残すほうが、こうした仄めかしには効果的だと思うが、村上氏の意訳は、ちと味気ない。めずらしく、清水訳の方が逐語訳に近く、いい味を出している。翻訳ではいずれにせよ伝えようがないのだが、“ open ” という語は、少し後ろに来る “ box ” という語にかかるのではないだろうか。この短い文の中には、秘密の開示の暗喩である「箱を開ける」という言葉が隠されているのだ。

上役と相談したいというモーガンの言葉に同意し、電話を切ったマーロウは、階下にあるドラッグ・ストアでチキン・サラダ・サンドウィッチを食べ、コーヒーを飲む。煮出しすぎたコーヒーと古いシャツのような味のチキンと、どうにもひどい食事らしく、マーロウはいささか自嘲しつつ次のように述懐する。
“ Americans will eat anything if it is toasted and held together with a couple of toothpicks and has lettuce sticking out of the sides, preferably a little wilted. ”
清水訳
アメリカ人はトーストされていて、楊枝がつきさしてあって、わきからレタスがはみ出していさえすれば、どんなものでも食べる。そのレタスも少々しおれているのがふつうだ。」
村上訳
「トーストされ、二本の楊枝でとめられ、レタスがわきからはみ出していれば、アメリカ人はどんなものだって文句を言わずに食べる。そのレタスがほどよくしなびていれば、もう言うことはない。」
語順こそちがえほぼ同じ訳に見えるが、最後が異なる。その皮肉っぽい口調から、村上訳が原文の味に近い。

上役の同意を得て、意気揚々とモーガンが事務所を訪れる。写真複写を手にしたモーガンの様子である。
“ He looked very exited ― about as exited as a mortician at a cheap funeral. ” 
清水訳「ひどく興奮しているようだった。」
村上訳「とても興奮しているように見えた。安物の葬式で張り切っている葬儀屋みたいに。」
他のハード・ボイルド作家の文体に調子を合わせてでもいるのか、清水氏は相変わらず後半部の比喩をカットしている。しかし、チャンドラーの愛読者にとっては、こういうちょっとした比喩が大事なのだ。村上氏が自分で訳してみたいと思ったのも、きっとこういうところを余すところなく訳出したいという気持ちだったにちがいない。

モーガンの上司であるシャーマンが直接マーロウと話す。写真複写を渡す条件の交渉に入り、この手の事件に手を出すのは我が社しかない、と威丈高になるシャーマンに、レノックス事件のときはそうではなかったろう、と返すマーロウ。シャーマンは、あの時点では話がスキャンダルまみれだったと、言い訳しながら、次のように続ける。
“ There was no question of who was guilty. ”
清水訳「だれの罪であるかということは問題になっていなかった」
村上訳「そして、だれが犯人か疑問の余地はなかった」
シルヴィア・レノックスが撃たれて殺された事件である。「だれの罪であるかということは問題になっていなかった」というのはいかにもおかしい。写真複写の告白文が登場するまでは、犯人は夫であるレノックスという説に疑問の入り込む隙はなかったというのが、相手に言い分であろう。

マーロウのいう条件とは告白文を一字の削除もなく写真複写のまま新聞に掲載することだ。上司との話を終えたモーガンは、マーロウに結果を伝える。
“ Reduced to half size it will take about half of page 1A. ”
清水訳「半分の大きさに複写して、第一ページに出すそうだ。」
村上訳「半分のサイズに縮小して、第一面のおおよそ半分をあてることになる。」
細かいようだが、相手は新聞である。「第一面」というのが、どんな意味を持つのかは誰でも知っている。第一ページというのはどうか。さらに、紙面のどれだけが一つの記事の写真資料に占められるのかという点も大事なことだ。一面を見た読者の眼に縮小版ではあれ、一面の半分の大きさで掲載されれば、読者は直にアイリーンの文章を読むことができる、と予想がつく。マーロウが写真複写を手渡すには充分な条件であろう。

モーガンは写真複写を手にした後、ちょっとした仕種を見せる。
“ He held it and pulled at the tip of his long nose. ”
清水訳「彼はそれをうけとると、紙の端を長い鼻の先にふれた。」
村上訳「モーガンはそれを持ち、長い鼻の先を指で引っ張った。」
束ねた紙を鼻の先にふれる仕種というのは映画等で見かけることがある。おそらく清水氏の頭にそういう情景が浮かび上がったのだろう。しかし、紙の先で“ pull ” (引く)のは至難の技にちがいない。居心地は悪いが、もう一方の手の指先で鼻を引っ張ったと考えるしかない。絵柄からは圧倒的に清水訳なのだが。モーガンはその仕種に続けて、マーロウは馬鹿だという。告白書の公表によって迷惑を被る手合いが大勢いる。その報復を考えないのか、と。長くなるが全文を引用する。

“ Why? ” Morgan drawled. “ Because those boys have to make it stick. If they take trouble to tell you to lay off, you lay off. If you don’t and they let you get away with it they look weak. The hard boys that run the business, the big wheels,the board of directors, don’t have any use for weak people. They’re dangerous. ”

清水訳
「あの連中がいったことは法律と同じことなんだ。わざわざ出かけてきて、手を引けといったのなら、手を引く方がりこうだ。あんたが手を引かないのに、あの連中がそのままにしておくと、意気地がないように見られる。あの連中の上に立っているボスがだまっているはずはない。あの連中は危険な人間だ。」
村上訳
「どうしてそこまでやると思う?」モーガンは間延びした声で言った。「見せしめというのが大事だからさ。彼らがわざわざ出向いて誰かに『手を引け』と言ったら、その誰かさんはすぐさま手を引かなくちゃならない。もし相手の言うことを素直に聞かず、それを黙って見過ごしたりしたら、彼らはやわだと思われる。ビジネスの中核にいる連中は容赦を知らない。ボス連中。幹部連中。彼らはやわな人間に用はない。弱い人間はただ危険なだけだ。」

清水氏は最初の部分を大胆に省略し、意訳を試みている。村上氏の「見せしめというのが大事だからさ」も意訳で、原文にない語をわざわざつけ加えている。「見せしめ」というのは、ビッグ・ウィリー・マグーンが調子に乗りすぎて、メネンデスらによって散々な眼に合わされたことを指している。ここで「連中」もしくは「彼ら」と呼ばれているのは、メネンデスやアゴスティーノのような下っ端のギャングたちを指している。実際に手を下す輩だ。“ make it stick ”というのは、貼りついたもの(sticker=ステッカー)が剥がれない状態を言う言い回しで、転じて「主張を裏づけする」という意味で使われることもある。彼らは一度口にしたことは徹底的に遂行せねばならない。中途半端に放置すれば、彼ら自身の評価にかかわるからだ。彼らは民衆と幹部連中の間に立つ中間管理職のようなもので、役に立たないと見れば処分される、弱い存在なのである。と、すれば冒頭部分、私ならこう訳す。
拙訳「どうしてかって?」モーガンはもの憂げに言った。「奴らは、言ったことの裏づけをとらなきゃならないからさ。」

そう考えると、清水氏の「あの連中は危険な人間だ」という訳は、どうかと思われる。最後の“ They ” が指しているのは誰のことか、というわけだ。清水氏の訳では。危険なのはボス連中ということになる。しかし、文脈から考えれば、“ They ” は、その前の“ weak people ” を受けていると読むのが自然である。釤weak people ” つまり、「やわな人間」は危険だ、ということになる。しめしがつかない組織は箍が緩み、やがて自己崩壊する。村上氏の「弱い人間はただ危険なだけだ」は、その意を汲んだ見事な訳になっていると思う。

先ほどの引用の後に、モーガンは、「そして、クリス・メイディーがいる」と、つけ加えている。メイディーというのは、マーロウも知っているネバダを取り仕切っている大物だ。「彼らは、私の名前など耳にしたこともあるまい」と高をくくったように呟くマーロウに、モーガンは、また意味ありげな仕種をする。
釤 Morgan frowned and whipped an arm up and down in a meaningless gesture. ”
清水訳「モーガンは苦笑した。」
村上訳「モーガンは眉をひそめ、片腕を鞭のように上下にしならせた。意味のない動作だ。」
どうせ意味がない動作なのだ。清水氏はここでもあっさりしたものである。その点、村上氏はきちんと訳す。一見意味のない動作にこそ無意識が現われるものだからだ。おそらく、その後のモーガンの言葉のなかに出てくる「日頃の運動不足をひとつ解消してみるか」という言葉から連想される仕種だろう。メイディーの屋敷はポッター老人の隣にある。彼らがマーロウのことを知らなくても、使われている者の会話のなかに世間話のように、目障りな奴としてマーロウの名が出ることもあるだろう。それが回りまわって、L.A.のアパートにいる筋骨隆々の男に耳に入るかもしれない。そこで件の科白である。写真複写を返してほしくなったか?というモーガンに、マーロウは首を横に振り、ハーラン・ポッターは人生哲学上、ギャングを使ったりしないと思うと言う。それに対するモーガンの科白。
釤 stopping a murder investigation with a phone call and stopping it by knocking off the witness is just a question of method. ”
清水訳「電話一本で殺人事件の捜査を打ち切らせるのも、証人を消しちまうのも、やり方がちがうだけのことで、どっちも文化社会の現象とは思えないね」
村上訳「電話一本かけるとか、証人をどっかにやるかして殺人事件の捜査を中止させるのは、哲学というよりは単なる方便の問題に過ぎない」
めずらしく清水氏が多弁になっている。「どっちも文化社会の現象とは思えないね」という批判めいた言葉は原文のどこを見渡してもない。村上氏の「哲学というよりは」も、同じで、マーロウの口にしたポッター老の「人生哲学」という言葉に対するモーガンの反論の意を汲んだものである。同じ報道の世界に身を置いたものとして、モーガンは権力に物を言わせるポッター老人に反感を抱いているのだ。釤 For my money ” (私に言わせてもらうなら)「電話一本で殺人事件の捜査を止めるのも、証人を消すことでそれを止めるのも、方法論の問題に過ぎない」と訳すだろう。ただ、原文にない「人生を如何に生きるかに対する意見などとは関係のない」というひと言を挿入したくなる欲望にどこまで耐えられるか自信はない。