marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

『2050年の世界地図』

2050年の世界地図 迫りくるニュー・ノースの時代
少し前に読んだマーセル・セローの『極北』の舞台がシベリアの永久凍土だった。近未来を描いた小説が極北を舞台に採用していることが新鮮だったが、この本を読んで、作家がなぜ北の土地を選んだかがよく解かった。未来予測をテーマにした本は多いが、わずかばかりのデータをもとにして、描き出す終末論的世界を、さもそれが現実の近未来であるかのように騒ぎたてるものがほとんどだ。この本は、そうしたものとは一味ちがう。
著者のローレンス・C・スミスはUCLAの地理学教授で、最近再び話題になっている『銃・病原菌・鉄』を書いたジャレド・ダイアモンドは、同僚である。北半球北部の河川の水文学、氷河・氷床、永久凍土の融解が土壌炭素や湖に及ぼす影響、最先端の探査・観測システムなどを専門に研究し、フィールドワークにも積極的に出かけている。コンピュータに打ち込んだ膨大なデータの解析によるシミュレーションが本論の中心だが、実際に足を運んだ「環北極圏」(Northern Rim Countries略してNORCs)の姿を伝える筆は、学者というよりノンフィクションライターのそれで、学者たちの実態や先住民の生活をありのままに描き出し、読み物としても楽しい。
さて、未来予測には隕石の衝突やら第三次世界大戦がつき物だが、スミスはあらかじめ四つの約束を決めて解析を行う。いわく1.「打ち出の小槌」はない(技術の進歩はゆるやかだと仮定する)。2.第三次位世界大戦は起こらない。3.隠れた魔物はいない(隕石の衝突など可能性が低く、影響が大きい出来事は想定しない)。4.モデルが信用できる(気候や経済のコンピュータモデルの実験)。きわめて保守的な思考実験であり、「売らんかな」の精神からは最も遠い。そのぶん、読み物としては少々硬い感じを受ける。
著者が着目する四つのテーマがある。その第一は、人口構成。第二は、資源の需要。第三は、グローバル化。第四は、気候変動である。この四つのグローバルな力が未来を方向づけている。その結論が2050年、人口増加に伴い、資源を求めた世界は、未開発の石油や天然ガス等の資源を多く蔵しているニュー・ノースに軸足を置くというものである。ただ、地域によって相違はあるものの、北半球においては地球温暖化が進み、氷塊や永久凍土が融けだすことにより、交通手段や都市の建設に様々な影響が出てくる。
来年のことを言えば鬼が笑うというが、昨年、未曾有の洪水と人災ともいえる原発事故に見舞われたわれわれ日本人にとって、30年先のことなどわからないといって、笑ってすますことなどできない。2010年に出たこの本の中には、チェルノブイリスリーマイル島の事故が風化し、世界が再び原子力発電の方を向いていることを説明し、日本やフランスで「今のところ大きな惨事は起きていない」としつつも、廃棄物の処理や安全性の問題について注意を喚起している。3.11以降、ドイツをはじめ、反原発へと舵を切った国が増えたのは知ってのとおりだ。最大の被害を被った当事国である日本がまだ原発にしがみついているのは、皮肉としか言いようがないが。政治家たちは、どれくらいのタイムスパンで事態を見ているのだろうか。彼らにこそ、ぜひ熟読玩味してもらいたい本である。
科学者らしく、客観的な視点で公平な筆致に好感が持てる。評者の歳では、2050年まで生きているとは到底思えないが、世界の動きをただ眺めているというのでなく、一つの視点を持って見つめていこうと考える向きには、必携の参考書かもしれない。