marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

第18章

長いお別れ (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 7-1))
マーロウはVの字で始まる名前を持つ三人目の医師、ドクター・エイモス・ヴァーリーを訪ねた。前二人の医者とちがって、ドクター・ヴァーリーは裕福そうだった。広い敷地に大きな古い樫の木が涼しい陰を宿す、豪壮な屋敷が建っていた。張り出し屋根を飾る“elaborate scroll work”を、清水は「精巧な唐草模様」と訳すが、村上は「凝った木彫」と訳している。「木彫」だけでは、イメージが湧かない。唐草模様といわれる方がよくわかる。

ここでも“doors were double”が登場する。清水氏はまた「二重の」を持ち出す。村上氏はもちろん「両開き」だ。そのドアにはステンド・グラスのパネル(複数)がはまっているのだが、「二重」になったドアにステンド・グラスを使うだろうか。光を通してこそステンド・グラスは美しい。ここは両開きに軍配をあげたい。

マーロウの名刺を受けとる看護婦の白衣を表すのに“crisp white”という語を使っているが、これを清水は「清潔な白衣」、村上は「ぱりっとした白衣」と訳している。洗濯したばかりの糊の利いた感じは「ぱりっとした」の方が出ているかも。

ドクターの登場する場面だが、“conderscendend to see me”と書いている。“conderscendend”は、「いばらない」とか、「へりくだった」という意味と、文脈によってはその反対の意味を表すこともある厄介な単語だが、例によってドクターの態度の変化が眼目の幕間劇である。初対面の人間に威張るような医者では、はじめからお里が知れている。ここは村上の「気さくな様子でやってきた」がふさわしい。どうしたことか、清水は「二階から降りてきた」と訳している。原文にはそんなことは書かれていない。何かの勘違いか。

柔和な、いかにも頼れる医者といった態度を見せるドクター・ヴァーリーだが、マーロウの目は欺けない。“ he was as tough as armor plate”(彼は装甲板並みにタフだった)を、清水は「筋金が入っていた」。村上は「硬い装甲が施されている」と訳す。硬いものが鉄筋のように内側に入っているのか、それとも柔らかな内面を硬い金属板で覆っているのか。

チャンドラーは、ドクター・ヴァーリーは表面に何層もの人好きのしそうなレイヤーを重ねているという表現を使う。マーロウの挑発によって、それが次第に剥がれ落ちてゆく様子を、執拗に繰り返し表現している。そういう意味で、村上は「装甲を施す」という表現を採用したのだろう。

Vで始まる医者なら百人はいるだろうに、なぜ三人目かと訊くドクター・ヴァーリーに、マーロウは鉄格子のはまった窓を持つ医者はそう多くはいないと答え、“I noticed a few upstairs on the side of the house”と続ける。この部分を清水は「二階の横の方にいく部屋がありますね」、村上は「二階の裏手には、いくつかそういうものがあるようですね」と訳している。広い敷地に建つ大きな屋敷である。マーロウは正面の印象しか語っていない。裏手に回って調べたなら、あらかじめそう書くはずだ。ここは、「裏」ではなく「横」ではないだろうか。清水訳は日本語としてこなれていないと思う。もしかしたら、清水氏の原稿には「二階の横の方にいく部屋かありますね」と書いてあったのではないだろうか。「か」を「が」と誤植したのなら納得のいく文なのだ。私の持っている清水訳は昭和63年の35刷。最新版では、どうだろうか。

ドクター・ヴァーリーは、自分の患者たちを、何度も「孤独な老人」と悲しげに呼ぶ。マーロウにもその声は悲しげに聞こえる。その後に続く“but it was a rich full sadness”を村上は「しかし、それは裕福で満ち足りた悲しさだった」と、ほぼ直訳する。清水訳ではこうだ。「その淋しさは巧みに作られているような感じだった」。村上訳で正しいのだろうが、清水氏が意訳したくなる気もわかる。

“He made an expressive gesture with his hand,a curving motion outwards”前半の「彼は片手で表現豊かな動作をした(村上)」を、例によって清水は省略。「彼は手を前に出して」と書く。村上は続きを「カーブを描いて上にあげ」と書いている。枯葉がひらひらと落ちる様子を表すジェスチャーをするとしたら、そのときに出す手は上だろうか、前だろうか。

リストに載っていた事件のことで言い逃れをするドクター・ヴァーリーにマーロウの言うせりふ。

“Not the way I heard it,”I said.“I guess I heard it wrong.”

「変だな」と私は言った。「それとは違う話を耳にしたのですが」(村上)
「ぼくが聞いたのはそんなことじゃなかったですよ。聞きまちがいかもしれませんが」(清水)
「そんな話じゃなかったな」、私は言った。「聞きまちがいだったんでしょう」(拙訳)

ここは、めずらしく清水氏のほうが語順が原文に忠実だ。こんなことばかりしていると、自分ならどう訳すだろうと考えてしまう。会話と会話の間に地の文を挿んだ原文のスタイルを守ると、拙訳のようにも訳せると思うがどうだろう。

後は、細かいことになる。ドクター・ヴァーリーは、麻薬処方の帳簿を提出させられた苦い過去を持つ。清水訳では“narcotic prescription book”が単に「処方箋」となっていて、これではわかりにくい。帳簿を意味する“book”は、まだいいとして、どうして“narcotic”を飛ばしたのだろう。

もうひとつ。看護婦が押している“wheel chair”を「車つきの椅子」(清水)はないだろう。

ドクター・ヴァーリーの仕事というのは、金はあるが誰も面倒を見たがらない老人を死ぬまで預かるという仕事だ。反抗する気力の残っている者のために鉄格子つきの窓がある。マーロウは、彼の仕事に吐き気を催す。ドクター・ヴァーリーは、誰かがやらなければならない仕事だという。その通りだ、とマーロウは認める。汚水溜めの掃除もそうだ。だが、それは真っ当できれいな仕事だ。自分の仕事を汚く感じるようなときにはあんたのことを思い出すよ。少しは元気が出るかもなと、悪態をついて帰ろうとする。

“wide double doors”のところで、マーロウはドクター・ヴァーリーの方を振り返る。彼はじっと動かずにいた。にこやかで柔和な仮面をかぶりなおす仕事があったからだ。当然のことだが、清水訳には“wide double doors”を訳した言葉は見当たらない。二重のドアは、本人もあまりよくないと感じていたのだろうか。