marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

『ストーナー』ジョン・ウィリアムズ

ストーナー
いい小説だ。読み終わって本を置いた後、じんわりと感動が胸のうちに高まってくる。一人の男が自分というものを理解し、折り合いをつけて死んでゆくまでの、身内をふくめる他者、そして世間との葛藤を、おしつけがましさのない抑制された筆致で、淡々と、しかし熱く語っている。「文章に気品があり、燃え立つ情感が知性の冷ややかさと明晰さという外皮をまとっていた」というのは、作中で主人公がかつて愛した女性の著書を評した言葉だが、そのまま本書を評したものともいえる。

読む人によって、それぞれ異なる主題が見つかるだろう。主人公は大学で主に英文学を教える助教授である。そこからは、大学というアカデミックな場において繰り広げられる身も蓋もない学内政治の暴露が、また、師が弟子の資質を発見し、己があとを託すという主題が見える。さらには、シェイクスピアの十四行詩と『リア王』が全篇にわたって朗々とした音吐を響かせていることも発見するだろう。

男と女が夫と妻となったが故にはじまる家庭内での葛藤を主題とした小説でもある。自分を見失った中年男が理想を共にする歳若い女性との秘められた情事のなかで再び自分を回復していくという、些細ではあるが忘れることのできない挿話もある。自分以上に自分を知る友との出会いと別れ。また、その反対に、故知れぬ悪意を抱く競争相手との熾烈な闘争、とよくもまあこれだけの主題を逸脱することなく、一筋の流れの中にはめ込むことができたものだと、その構成力に驚く。

忘れてならないのは、戦争という主題である。主人公が大学で教鞭をとるのは二つの大戦期である。戦争に行くことに価値があり、忌避は認められていても誉められる態度ではなかった。優れた素質を持ちながら、主人公が終生助教授の地位にとどまるのは、戦争との関連を抜きにしては語れない。主人公の中にあって、自らは知らない教師としての素質を見抜いた師が迷う弟子に言い聞かす言葉がある。「きみは、自分が何者であるか、何になる道を選んだかを、そして自分のしていることの重要性を、思い出さなくてはならん。人類の営みの中には、武力によるものではない戦争もあり、敗北も勝利もあって、それは歴史書には記録されない」というものだ。教育に携わる人なら肝に銘じたい言葉である。

裏表紙に、イアン・マキューアンジュリアン・バーンズの推薦文がある。この二人が薦めるなら、何をおいても読まねばならない、と思って手にとったが、はじめはいかにも古風な出だしにとまどった。ところが、学生時代、スローン教授によるシェイクスピアソネットの朗読を聴いたストーナーが顕現(エピファニー)を実感する場面がある。周りのすべてがそれまでとちがって見える瞬間を描いた部分だ。ここが何とも美しい。主人公が文学に開眼すると同時に、小説は一気呵成に面白くなってくる。

注目すべきは人物。たとえば同僚のマスターズ。大学は自分たち、世間に出たらやっていけない半端者のために作られた避難所で、ストーナーは世間に現実とは違う姿を、ありうべからざる姿を期待している夢想家にしてドン・キホーテだ。「世間に抗うべくもない。きみは噛みしだかれ、唾とともに吐き出されて、何がいけなかったのかと自問しながら、地べたに横たわることになるだろう」という予言めいた言葉を残し、戦死してしまう。

そのマスターズの陰画が他校から赴任してきたローマックス。頭脳明晰で弁が立ち、傲岸不遜。二枚目役者の顔を持ちながら背中に瘤を負い、脚を引き摺る小男というディケンズの小説にでも出てきそうな人物。この男がストーナーを目の敵にして生涯立ち塞がる。その嫌がらせの度合いが半端でない。ところが、世間ではこうした男に人気が集まり、出世も早い。弁証法的な役割を果たし、小説をヒートアップさせる名敵役だ。

シェイクスピアを蔵する英文学という世界はまことにもって恵まれている。主人公のストーナーは大学内では世間知らずで善良であるがゆえに貧乏籤を引かされるエドガー役を勤め、家庭においては、現実とは違う姿を、ありうべからざる姿を期待し、書斎からも放り出され、居場所を探して放浪するリア王の役を演じさせられる。マスターズが囁く「トムは寒いぞ」の科白ひとつで嵐の中を流離う老人の姿が眼前によみがえる。さらに、主人公が文学に目覚める、十四行詩の七十三番は、老教授の思いを伝えて哀切極まりない。

かの時節、わたしの中にきみが見るのは
黄色い葉が幾ひら、あるかなきかのさまで
寒さに震える枝先に散り残り、
先日まで鳥たちが歌っていた廃墟の聖歌隊席で揺れるその時。
わたしの中にきみが見るのは、たそがれの
薄明かりが西の空に消え入ったあと
刻一刻と光が暗黒の夜に奪い去られ、
死の同胞(はらから)である眠りがすべてに休息の封をするその時。
わたしの中にきみが見るのは、余燼の輝きが、
灰と化した若き日の上に横たわり、
死の床でその残り火は燃え尽きるほかなく、
慈しみ育ててくれたものともに消えゆくその時。
 それを見定めたきみの愛はいっそう強いものとなり、
 永の別れを告げゆく者を深く愛するだろう

しかし、翻訳という文化のおかげで、われわれもこの世界を共有することができる。文学という喩えようもない広く深い森の中に足を踏み入れ、枝葉のそよぎや鳥の鳴き声に耳をすませる悦びを知る者には、五十年という歳月を経て、再びこの小説が陽の目を見ることができたことが何よりうれしい。