marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

『大いなる眠り』第4章(4)

<彼女は実業家たちの昼食会を大騒ぎさせるに十分なセックス・アピールを溢れさせながら私に近寄ると、ほつれた髪に手櫛をいれようと頭をかしげた。ほつれというほどではない。柔らかく輝く髪が巻き毛になっているだけだ。彼女の微笑みはかりそめのものだったが、申し分のないものに移す準備はできていた。
「何か御用ですか?」彼女はきいた。
私は角縁のサングラスをかけていた。声を高くし、そこに小鳥のさえずりを響かせた。
「もしかして一八六〇年版の『ベン・ハー』をお持ちでは?」
彼女は「はあ?」とは言わなかったが、言いたそうだった。わびしく笑った。「初版ですか?」
「三版」。私は言った。「一一六ページに誤植があるやつだ」
「申し訳ありません――今のところちょっと」
シュヴァリエ・オーデュボンの一八四〇年版ならどうかな?無論全冊揃いで」
「あの――今のところ、切らしています」ざらついたうなり声だった。微笑みは今や眉毛と歯の間にぶら下がり、もし落ちたらどこにぶつかるのか思い悩んでいる様子だった。
「君のところは本を売っているのではないのかね?」私は上品ぶった作り声で言った。
彼女はじっと私を見た。微笑は消えていた。目つきは「中」から「固め」になった。姿勢は直立し、固まっていた。銀色に塗った爪をガラス入りの本棚の方に泳がせながら、「あれが何に見えて――グレープフルーツかしら?」と、痛烈に言い放った。>

“ sex appeal to stampede a businessmen’s lunch”
「スタンピード」は、西部劇でよく見かける牛の大暴走を指す言葉だ。日本で「ビジネスマン」といえば会社員だが、英語では、社長級の実業家を指すのが普通。つまり、一流企業の社長たちが昼の会食を行っている席が大騒ぎになるほどのセックス・アピールということになる。
双葉訳「勤め人が昼飯を喉につかえさせるぐらいな性的魅力」
村上訳「実業家たちの昼食会を総崩れさせるのに十分なほどのセックス・アピール」
双葉訳ではチャンドラーが得意とする誇張法として、ちょっと物足りない。村上訳。フェロモンたっぷりの美女が現れて、整然と進行していた会食が秩序を失ってしまう様子を「総崩れ」と訳すのはうまい。ただ、原文の「スタンピード」という単語の原義を知っていないと「昼食会」と「総崩れ」は、上手く結びつく言葉とは思えないが、どうだろうか。

"Her smile was tentative, but coud be persuaded to be nice.”
双葉訳「彼女の微笑はお義理だったが、お義理でさえなければ上物の部類だ」
村上訳「彼女の微笑みは間に合わせのものだったが、ことと次第によってはそれを素敵な笑みに移す用意は整っていた」
双葉訳は後半は完全な意訳。上手いものだが、原文に忠実とはいえない。相変わらず丁寧な村上訳だが、如何せんまだるっこしさがつきまとう。辞書を片手に原書を読むには格好の参考書といえるのだが。

ここのところ、女の声や微笑の変化が実に丁寧に描写されている。それを追うのが楽しい。
"She looked me over. No smile now. Eyes medium to hard.”
「彼女は私をじろりと見た。微笑は消えた。目がすこしきつくなった」(双葉)
「彼女は私をじろりと眺めた。微笑みは既に消え、目つきは「ほどほど」から「かなり硬め」に変わっている」(村上)
意味はほとんど変わらないが、三つ目の文、何かの目盛に喩えているのだろうか。村上氏はそれを面白がって、訳出しているようだ。ハードボイルド探偵小説の文体としては双葉氏の方がそれらしいが、チャンドラ−の文章という場合、村上訳の苦心がそこに向けてあるわけで、やはり避けては通れないところなのだろう。意を通じながら簡略に訳す。言うのは簡単だが行うには難い。拙訳も冷や汗ものである。