marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

『楽園の世捨て人』トーマス・リュダール

楽園の世捨て人 (ハヤカワ・ミステリ1915)
クールでハード、女を抱くにせよ抱かぬにせよ、本心は見せないというのがハードボイルド探偵の流儀だったはず。それなのに、いくら独身生活が長いにせよ七十歳近くにもなりながら、女が欲しくて妄想をたくましくしてストーカーまがいの行動に走り、挙句は昏睡状態に陥った女を自室に置いて、体を拭いたり寝返りをさせたり、と川端康成やガルシア=マルケスでもあるまいに「眠れる美女」に執心するとは、とんでもない危なっかしい「探偵」じゃないか。

ずいぶん年寄りを探偵役に据えるものだと思った。ピアノ調律師も兼ねる御年六七歳のタクシー運転手というのだから、ハードボイルドは到底無理だと思うのだが、これが結構やってのけるのだ。殴られたり、首を絞められて殺されそうになったり、警察でも拷問監禁で痛めつけられたり、とフィリップ・マーロウ顔負けの巻き込まれ型というか、好き好んで巻き込まれに行くタイプだからどうにも仕方がない。

カナリア諸島の一つ、フェルテベントゥラ島は、アフリカに近い島でヨーロッパからの避暑地としてにぎわう。主人公のエアハートはデンマーク人だが、故あって故国を離れ、妻子を捨ててこの島まで流れてきた。初めは野宿暮らしだったが、そのうち伝手を頼って今の職にありついた。上との交渉事が苦手で儲けは少ないが、別れた妻に送金した残りでかつかつ食っている。ヤギ番用の小屋に住み、缶詰から直接食べるような暮らしも苦にはしていない。人は彼を「世捨て人」と呼ぶ。

その「世捨て人」が、どうしてまた柄にもなく「探偵」稼業のまねを始めたのかといえば、波打ち際に乗り捨ててあった車の中に段ボール箱に入れられて死んでいた生後三か月の赤ん坊のせいだ。赤ん坊を捨てたのは誰か。こんな酷い事件なのに、何故か警察は事件をうやむやの裡に解決してしまおうとする。若い娼婦が名乗り出て、捨てたのは自分だと証言するというのだ。エアハートは虚偽の証言を食い止めるため、娼婦を自分の小屋に連れ帰り監禁する。

これだけでもう立派な犯罪者だ。無関係な事件にここまで執着する理由が理解できない。その後も、友人ラウールの失踪とベアトリスの暴行事件に巻き込まれ、やむなくではあるが事後従犯、疑いようもない「犯罪」に手を染めてしまう。主人公と共に事件の謎を追いたくても、この男の倫理観のなさには到底ついていけないと読者は思うにちがいない。彼をしてここまで突き進ませるものは何なのか。

事件の裏には、海賊に襲われた貨物船の保険が絡んでおり、その背後にはラウールの父親でいくつもの会社を経営するエマヌエルの影がちらつく。ラウールの失踪後、エマヌエルはエアハートに近づき、自分の経営するタクシー会社の重役の椅子を提供するだけでなく、ラウールのマンションをそのまま使うことを許可する。その懐柔策の裏に何があるのかを探るため、申し出を受けたエアハートだったが、次第にその暮らしの快適さになじんでゆく。

一運転手では手を出せない、企業家同士のつながりや、情報を手にするために肩書や高級車、それに提供された軍資金がものを言って、エアハートは少しずつ事件の核心に迫る。だが、深入りし始めた彼は、誰かに襲われるだけでなく、警察に追われる身に。八方ふさがりのエアハートに救いの手を差し伸べたのは、またしても黒幕と思われるエマヌエルだった。事件の真相には意外にもエアハート自身の存在が影を落としていた。

ミステリ的には、ほとんど事件の真相は予想がつく。それほど複雑な事件ではないからだ。話を難しくしているのは、親と子の間にある予想のつかない人間の心理と行動のほうだ。放っておけばそれで済んだものを殺人事件まで引き起こしてしまうのはエアハートが、赤ん坊の死にこだわって事件を突っつきまわしたせいだ。シリーズ物で、すべてが明かされてないからか、何故そこまで他人の赤ん坊の死にこだわるのか、それが最後まで読んでも理解できなかった。

長丁場を、最後まで読ませる力はある。それは、ひとえに主人公エアハートという人物が、ことごとく内心を流露してくれるからだ。ハードボイルドに限らず、ミステリの主人公は本音を語らない。格好良くて、女に惚れさせても自分は惚れたそぶりを見せてはいけない。読者にとっては自分の夢の実現者だ。それがお約束のはず。それを裏切って、独身男の妄想をこれでもか、とぶちまけたところに、この本の新味がある。

いい年をしながら、女に欲望を抱いても実際に行動には移せない優柔不断な男。コルトレーンを愛し、本を手放せない年寄りのインテリ崩れ。過去に自分が娘を捨てたことに負い目があるからだろうか、生後三か月の赤ん坊を餓死させた母親に対して義憤を感じずにはいられない。左手の小指の欠損にも強い執着を見せるが、三部作の第一作のせいか、その経緯はつまびらかにされることはない。

本国スペインよりアフリカにほど近いカナリア諸島の島々を舞台にしたことで、ソマリア沖の海賊や、その被害の補償に使われる保険といった犯罪小説らしいモチーフが生き、独特の食べ物や、酒、シエスタの風習といった異国情緒も堪能できる。乾ききった空気が探偵小説によく合うことに改めて思い至った。動物好きには小屋と込みで引き継いだローレルとハーディと名付けられた二匹のヤギがエアハートが小屋を出てからどうなるのか気になって最後まで本から手を離せないにちがいない。ずるい手だ。

スマホはおろかパソコンも扱えない年寄りのくせに、老いてますます盛んなエアハートの激しい欲望になかなかついていけず、その手の場面は端折って読んでしまった。同年輩の読者でさえこうなのだから、年若い読者にはどう見えるのか老婆心ながら心配になった。そういえば、フリーセックスなどという言葉がもてはやされた時代、その風潮をもたらしたのはエアハートが生まれた北欧の国々だったことをはしなくも思い出した。裏返しにされたハードボイルドが吉と出るか凶と出るか。判定次第で続編の翻訳も決まることだろう。