marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

『大いなる眠り』註解 第十四章(2)

《数は多くないが趣味のいい家具が置かれた快適な部屋だった。壁の奥に開けられた石敷きのポーチに通じるフレンチ・ウィンドウからは山麓の夕暮れが見渡せた。西壁の窓の近くに閉じられたドアが、玄関ドアの近くには同じ壁にもう一つドアがあった。最後の一つには楣(まぐさ)の下に通した細い真鍮の棒にフラシ天のカーテンが架かっていた。
 残る東壁にはドアがなく、壁の中央を背にしてダヴェンポートがあった。私はそれに腰を下ろした。ブロディはドアを閉めると蟹歩きをし、角釘で飾り鋲が打たれた樫材の丈長の机まで行った。下ろした天板の上に鍍金の蝶番がついた杉材の箱があった。彼は箱を持ち、二枚のドアの中央にある安楽椅子に座った。私はダヴェンポートの上に帽子を置いて待った。
「いいだろう。話を聞こう」ブロディが言った。彼は葉巻の入った箱を開け、煙草の吸殻を横にあった皿の中に落とした。彼は長細い葉巻を口にくわえた。「葉巻は?」彼は一本を投げてよこした。
 私はそれをつかんだ。ブロディは葉巻の箱から銃を取り出し、私の鼻に狙いを定めた。私は銃を見た。警察用の黒い三八口径だった。今のところ私に反論の余地はなかった。
「手際がいい、だろう?」ブロディは言った。「ちょっと立ってもらおうか。二メートルほど進み出るんだ。その間、手は挙げておいてもらえるかな」彼の声は映画に出てくるタフガイのように作りこまれた何気ない声だった。映画ではいつもそんな風にやらせている。
「チッ、チッ」私は少しも動かずに言った。「街中に銃は溢れていても、脳みそが足りない。銃を手にしたら世界が意のままになると思う男に会うのはここ数時間で君が二人目だ。馬鹿な真似はやめて銃を下ろすんだ、ジョー
 彼は眉根にしわを寄せ、顎を突き出した。眼が卑しくなった。
「もう一人の男というのがエディ・マーズさ」私は言った。「彼のことは聞いたことがあるだろう?」
「いいや」ブロディは銃でねらいをつけたままだった。
「もし彼が昨夜雨の中で君がどこにいたかを知ったら、用済みのポーカー・チップのように君はその場から消されてしまうだろう」
「私がエディ・マーズに何をしたって言うんだ?」ブロディは冷ややかに尋ねたが、銃は膝に下ろした。
「覚えてさえいない」私は言った。
我々はにらみ合った。私は左手の出入り口にかかったフラシ天のカーテンの下からのぞいている尖った黒いスリッパを見ないようにした。
 ブロディは静かに言った。「誤解するな。俺はタフガイじゃない。慎重なだけだ。お前に会うのは初めてだ。ひょっとすると命取りになるかもしれない」
「君は慎重さが足りない」私は言った。「ガイガーの本の扱いはまずかった」
 彼は長くゆっくり息を吸い、そして静かに吐き出した。それから椅子の背にもたれ、長い脚を組んで膝の上のコルトをつかんだ。
「これを使う気はないなんて思うなよ。いざとなればな」彼は言った。「で、何が言いたいんだ?」
「尖ったスリッパをはいた君のお友達を拝ましてもらおう。彼女は息を詰めているのに疲れた頃だ」
 ブロディは私の腹から目をそらさず呼びかけた。「入って来いよ、アグネス」》

「その間、手は挙げておいてもらえるかな」と訳した部分、原文は<You might grab a little air while you’re doing that.>だ。双葉氏は「そのまに多少は気も静まるさ」と訳している。村上氏も「そうするあいだに少しは頭が冷えるかもしれない」と訳す。<grab a little air>は、直訳すれば「少し空気をつかめ」。空中に手を伸ばし空気をつかもうとすれば、ちょうど手を上げた格好になるところから「手を挙げろ」という意味の俗語表現である。これが頭を冷やせ、の意味になるのはなぜか。さっぱり分からない。

「銃を手にしたら世界が意のままになると思う男に会うのはここ数時間で君が二人目だ」は<You’re the second guy I’ve met within hours who seems to think a gat in the hand means a world by the tale.>。双葉氏は「一時間たたないうちに、パチンコを持てば天下がとれると思っているお方に二人もぶつかるとはあきれかえりのでんぐりかえりだ」と、伝法な訳を披露してくれている。村上氏は「ひとたび拳銃を手にすれば、世界の尻尾を捕まえたみたいな気分になるのかい。そういう人間に会ったのは、この一時間ほどで君が二人目だよ」だ。

<within hours>と複数形になっているのに、両氏とも「一時間」という訳語を使っているのが気になる。エディ・マーズとの会見後、ブロディの家まで車でやって来たのだ。一時間以上の時間は経過していると考える方がふつうではないか。もう一つ。<world by the tail>は村上氏のように「世界の尻尾を捕まえ(る)」のではなく、双葉氏の「天下がとれる」と同じ、「世界を支配する」という意味のイディオムだ。

まだある。「用済みのポーカー・チップのように君はその場から消されてしまうだろう」の原文は< he’ll wipe you off the way a check raiser wipes a check.>。この部分を双葉氏は「君なんかあっさり消されちまうぜ。偽造の名人の手にかかった小切手の数字みたいにな」と訳す。村上氏も「偽造犯がインチキ小切手を始末するよりも素速く、君はこの世からおさらばすることになるぜ」と訳している。

両氏とも、というより双葉氏の訳に引きずられて村上氏もそう解釈したのだろうが、<check>を「小切手」と取っている。どうして唐突にここで小切手の偽造犯が登場するのかさっぱり分からない。<check raise>というのは、ポーカー用語で、相手がチェックした後で掛け金をレイズ(上げる)する方法だ。ここで、エディ・マーズの稼業を思い出してほしい。彼は賭博場を取り仕切るのが仕事だ。その関連でポーカーのテーブルが連想されていると考えた方がより自然だろう。

<wipe>という単語が二重の意味で使用されている。初めの<wipe>は「殺す」という意味だ。次の<wipe>は、「チェック・レイズをした者がチップを浚うようなやり方で」の意味で使われている。自動車のワイパーのようにカード・テーブル上のチップを一掃する手つきを意味していると取ればわかってもらえるのではないだろうか。ポーカーのルールをいちいち説明するのも煩雑なので「用済みのポーカー・チップのように」と訳しておいた。出所不明の偽造小切手より、よほど分かりやすいと思う。

今回のことで思ったのだが、村上氏は双葉氏の訳を参考に、新訳を作ったのではないだろうか。まったく新しくなっているところもあるが、多くのところで、双葉訳を改変した訳になっている。ある意味では改訳のようなものだ。新訳が登場して以来、否定的な見解が多いのが不思議だったが、二つを並べて読んでみると、あらためて旧訳の値打ちが分かってくる。旧訳を参考に新訳をつくったのなら、旧訳の不都合な部分は新訳で改まっていなければ意味がない。日本語で読む読者の、文体が冗長という不満だけではなく、原文が読める読者からの、そういう意味での不満があったのではないか。