marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

第6章

ティファナからの帰り道、マーロウはドライブの退屈さを嘆く。そのなかで、夜の港町のロマンティックさと自分の生活を対比させ、次のように語る。
“But Marlowe has to get home and count the spoons.”
清水訳は「だが、マーロウは家へ帰らなければならないのだ。」
村上訳は「しかしマーロウは家に戻ってスプーンの数を勘定しなければならない。」
村上の訳がいかに原文に忠実かが分かるだろう。
“count the spoons”は、客が何かを盗んでいないか確かめるという意味のイディオム。
老女の歌う賛美歌に喩えられる波のうねりのやさしさに比べて、殺伐とした自分の生活を嘆いてみせるマーロウの自嘲的な台詞だ。直訳で、それが分かるかどうかは別として、清水訳では意味が通じないのは明らかである。

帰宅したマーロウを待ち受けていた二人の刑事とのやりとりを描く第六章。
清水訳は、やや端折り気味に見受けられる。
「おさだまりの服をきたおさだまりの二人組で、おさだまりの面倒くさそうな物腰だった。」
村上訳では、最後の部分のあとにこう続く。
「例によって表情というものがなく動作は緩慢だ。自分たちが何か命令するのを、世界中が息を殺して待ち受けていなくてはならんと言わんばかりに。」
おそらく世界中の警官が見せる態度をうまく言い表す、こういう部分を清水氏がなぜカットしたのかが分からない。まさか、警察に気をつかったわけではないだろうが。

警察学校の“passing-out parade”を「犯人選び出し訓練」と訳しているが、村上訳の「卒業行進」が正しい。ただ、直訳すれば「彼らはそれら(冷ややかで尊大な警官の目つき)を警察学校の卒業行進で得る」というのは、警察学校における訓練の結果そういう目つきになるということだから、清水訳も逐語訳でなく意訳ととればまちがってはいない。

マーロウは二人の刑事のうち、大学出で司法試験に受かっているデイトンは嫌っているが、年かさのグリーンには好意を持っている。レノックスの妻がはなれで男に会っていたくだりを説明するとき、グリーンは少し顔を赤らめるのだが、それを見逃さない。清水訳はこれをカットしている。後にも出てくる、刑事の中に人間性を見つける大事な部分なのだが。

怒ったデイトンが、マーロウを殴る場面も正確ではない。デイトンは立ちかけたマーロウにまず左フックを、そして次にクロスを見舞っている。清水訳では「みごとなレフトが命中した」だけである。「ベルが鳴ったが、それは夕食を告げるベルではなかった」もカット。「もう一度やろうぜ」の次のデイトンの台詞もおかしい。「いまはかまえができていなかった。手ごたえがなかった」は、“You weren't set that time.It wasn't really kosher. "だが、“kosher "とは、「おきてに適った」の意味で、ボクシングとして正しいやり方でなかったということを言っている。「手ごたえがなかった」のではない。

“Smart work,Billy boy.You gave the man exactly what he wanted.Clam juice.”
グリーン刑事のこの台詞も清水訳では、全然ちがう台詞に変わっている。こうだ。
「なかなかみごとだった。だが、この男はそのくらいのことじゃまいらないぜ。」
村上訳では、次のようになっている。
「やってくれるね。坊や。お前さんはまさにこの男の思うつぼにはまったんだよ。まったくどじ(傍点)なやつだ。」
「どじ」に傍点がついているのは、そこだけが意訳だからだろう。女性ファンも多い村上春樹だ。アメリカ俗語の悪態をそのままは訳せない。

テリ−の行き先を教える気はないかと尋ねるグリーンに好感は持つものの、友だちを裏切る気のないマーロウは、それを拒否し、もう一度デイトンを挑発する。しかし、彼は動かない。それを見てマーロウが思うこと。
“He was a one-shot tough guy.He had to have time out to pat his back.”
この観察も清水訳ではカットされている。“pat one's back”は、背中を軽く叩くことからきたご褒美を意味するイディオム。村上訳では次のようになっている。
「彼はパンチを一発相手に入れたら、タイムをとって、よくやったと自らをねぎらうことを必要とするタイプなのだ。」
パンチ一発でタイムをとるボクサーなどいない。つまり、見かけ倒しのタフガイだった、という意味になるが、原文にあるストレートな物言いと比べるとまわりくどい。

「課長は私を拘引しろと言った。」のあとに続く「手荒くな」というのが清水訳には抜けている。第七章に出てくる殺人科の課長が、どんな人物かを仄めかす言葉なのだが。どうしたわけか、この章では清水訳の欠落が目立つ。特に人物像を際立たせる言葉が目立って削られている。一度しか出ない脇役だが、グリーン刑事は人間味を感じさせる人物として造型されている。それは、他の刑事の何かというとすぐ暴力に訴える無能さや、権力をかさに着た物腰と好一対をなして、マーロウの目に映る。マーロウは単なる警官嫌いではない。それをはっきりさせるためにこういう人物の描き方をしているのだが、清水氏にはあまり重要とは思えなかったのだろう。ハードボイルド小説にはよけいなもののように思え、あえて割愛したのかもしれない。