marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

『都会と犬ども』マリオ・バルガス=リョサ

都会と犬ども
解説から先に読まないこと。よく分かる解説だが、せっかくの作家の工夫がだいなしになってしまう。リョサの多くの作品がそうであるように、この小説でも複数の話者が脈絡もなく代わる代わる登場しては、てんでに自分の生い立ちや家族関係、友人関係などを語り始める。誰が何の話をしているのか初めのうちはそれさえよく分からない。主人公たちは仲間うちではあだ名で呼ばれ、家庭では本名で呼ばれている。呼称のずれが誰が誰の話をしているのかをいつも以上に分かりづらくさせているのだ。再読を誘う巧妙な仕掛けといえるだろう。もちろん読み進めるにつれ、それはしだいに判明してくるのだが、最後まで明らかにされないこともある。解説はその仕掛けをばらしてしまっている。
様々な階層、地域、人種から集まってきた少年たちが寄宿生活を送る士官学校を舞台にした群像劇である。ペルーの中等学校は五年制で、リマにあるレオンシオン・プラド士官学校はその後半の三年を担当する。新入生は三年生と呼ばれる。士官学校ではあるが、軍人になろうとして入学してきた者ばかりではない。手のつけられない不良や男らしさを欠いた者、家名を汚した者など、軍隊式の厳しい訓練によって鍛えなおしたいという親の考えで放り込まれたものも少なくない。
富裕層の多いミラ・フローレス育ちのアルベルトは、神学校に在籍していたが学業に身が入らず成績が落ちたため父親によってここに放り込まれた口だ。あだ名は「詩人」。特に腕力はないがラブレターの代筆や猥褻本を書くことで、仲間からのいじめをまぬかれている。同じ組には上級生も勝てない「ジャガー」と呼ばれるボスが君臨する。組の誰もからいじめを受けるのが「奴隷」と呼ばれる少年。暴力が嫌いで手向かうことをしないのでいじめのターゲットになっている。
事の発端はジャガーが計画した試験問題の盗難が発覚したことである。犯人が名のり出ないため、当日歩哨の任にあった1組全員の外出が禁止される。密告があり仲間の一人が放校処分を受けることに。そんな時、演習中に発砲事故が起き死者が出る。
事故か故意による殺人か。生徒の信頼を集める一人の中尉が真相を暴こうとするが、上層部はスキャンダルを恐れ真相を闇に葬ろうとする。規律を守ろうとすればするほど、軍の中で孤立していく中尉。腐りきった大人たちに対し、犯人とそれを知る少年たちの懊悩は深い。左遷される中尉を救おうと、一人の少年が名のり出るが…。
すさまじいいじめの実態がこれでもかと執拗に描写されるので、読んでいて息苦しさを覚えるほどだ。上級生が下級生をいじめ、下級生は同じ組の中の弱い者をいじめる。いじめる側、いじめられる側、そして傍観者と、三者三様の心理が克明に綴られる。しかも、その間に挿入されるのは、年頃の少年らしい異性に対するナイーブ過ぎるほどの憧れやそれとは裏腹な性への関心。さらには両親との葛藤。
士官学校入学から卒業後までを描くが、その間にそれぞれの幼少年時の回想が絡む。もつれた糸を解きほぐすかのような最終場面での種明かしが実に鮮やか。それまでの救いのない世界に一陣の風が吹き込むようだ。リョサ流の青春小説であり、人格形成小説でもある。いじめ問題が騒がれている。その渦中にいる君に薦めたい。文学にいじめを解決する力などない。ただ、文学は君を変えることができる。読まなければ何も始まらない。