marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

図書館から歩いて帰る

昼食は、富山の名物、「ますのすし」。近所のスーパーで駅弁のセールがある、と新聞の折り込みチラシにあった。「ますのすし」は人気商品なので、すぐに売り切れる。昼前にいったが、最後の二つだった。酢飯の上に鱒を敷き並べ、笹の葉でくるんだものを木桶に詰め。上下を二対の割り竹ではさみ、輪ゴムで絞めてある。このご時勢に昔のままの手仕事で仕上げられた鮨桶を目にしただけでうれしくなる。値段は少々高めだが、笹の上から包丁を入れ四半分に切り分けて供した。沸騰させた湯を冷ましてから煎茶を淹れる。これでなくては。
実家に出かける妻の車に便乗するのは運動のためだ。図書館でおろしてもらい、帰りは自分の足で歩く。いつもいつも同じコースを歩くより気がまぎれる。
探していた本はなかった。棚に書影を見た記憶があるのだが、思いちがいだったらしい。検索をかけても「ありません」と表示が出る。新聞を読むための大判の机の前に立ち、毎日新聞の日曜版にある「今週の本棚」のページを開けた。一面に丸谷才一の死を告げる記事が出ていた。丸谷の書評も、もう読めなくなるのだな、と思った。この人が書評文化に果たした役割の大きさをあらためて感じた。ずいぶん世話になったものだ。よそながら冥福を祈る。
探していたのは、小林信彦の『夢の砦』だ。先日最近作の『四重奏』を読んだので、同じ主題を別のタッチで描いた小説が読みたくなったのだ。小林のものはけっこう読んでいるはずだが、『夢の砦』は未読のはず。自身が編集していた雑誌「ヒッチコック・マガジン」編集室でおきたお家騒動の顛末がその主題だ。人の策謀や裏切りにあったことが、この人嫌いの作家にとって、よほど応えたものらしい。手を変え品を変え執拗にその事件を書き続けている。私小説嫌いの作家が、いくらフィクション仕立てでも自身に実際に起きた事件の顛末をくわしく書けば、たとえ仮名にしたところで、影響は関係者に及ぶ。関係者は現存の有名な作家や翻訳者である。恨み骨髄に徹するというところだろうか。面白おかしい話をいくつも書いている作家の別の面を見たようでことさら印象が深い。
毎日と朝日の書評で見つけた四冊をリクエスト・カードに記入しカウンターに出した。以前は一回三冊までというきまりだったので、どれをはぶこうかとまよっていたら、今は十冊までいいのだという。ずいぶん気前がよくなったものだ。でも、一時に十冊もリクエストしたら、読むのが大変だ。五月雨式にリクエストするのが正しい。
予定通り歩いて帰宅。神嘗祭の幟が外宮周辺に立てられ、観光客や町の人もいつもより多かった。が、先週も市主催の祭りが開催されていたし、いくら祭り好きでもそうそうは出歩かないのか思ったよりは静かだった。
ニケがベッドに誘うのでいっしょにねころんだらいつのまにか眠ってしまったらしい。おきたら夕方だった。コンピュータで県立図書館にある『夢の砦』をリクエストした。そのうち届くだろう。