marginalia

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「南山城古寺巡礼」

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京都国立博物館で開催中の「南山城の古寺巡礼」展に行ってきた。特別展がこの15日で終わってしまうので、梅雨空の具合を気にしつつも出かけてきたのだった。

 

はじめは、駅で昼食をとってからゆっくり見学と思っていたのだが、近鉄特急の連絡が予想外にうまくいき、十一時前に京都に着くことになり、先に博物館に行くことにした。駅からはさほど遠くないが、電車の降り口は駅裏にあたる八条口である。京都駅を南北に縦断して正面に出るのも億劫なので、タクシーを利用。信号待ちさえなければあっという間だ。

 

特別展だからか、平日というのに予想外の人出だ。年輩客が多いのは、仏像を中心とした展覧会だから当然といえる。京都南部を流れる木津川沿いの寺にある仏画、仏像を集めたもので、めったに出かけることもない山寺もあり、浄瑠璃寺岩船寺をのぞく寺には行ったことがなかった。

 

仏像は見るのではなく拝むものだ、という意見を聞いたことがあるが、この日も合掌している人を何人も見かけた。まさに巡礼者の気分であるらしい。当方には、そんな殊勝な心がけは微塵もない。ただ、見物というのとも少しちがう。日本の仏像に対すると、心が落ち着くというのか、浄化というと言い過ぎだが、気分がよくなるのは確かで、これはと思う仏像に出会う機会があればつい足を運ぶことになる。

 

造形的には、天部に属する十二神将もすぐれているとは思うのだが、観世音菩薩像、なかでも十一面観音が好きだ。今回もいちばんのお目当てはそれである。海住山寺の立像、現光寺の坐像もそれぞれに美しかった。見上げるような大きさの禅定寺の立像もさすがに迫力があったが、今回は蟹満寺の阿弥陀如来に見惚れてしまった。大きいものではないが、造作にいやみがなくいつまででも見ていたいと思わせる美しいお顔立ちであった。

 

人の流れにあわせてみて回ること一時間半。足もくたびれ、腹もすいてきた。博物館の前でタクシーを拾い、四条に出た。西石垣通りにある「彩席ちもと」に向かう。京都に来ると、ここの玉子宝楽を食べるのを楽しみにしている。今回は時間の都合で無理かと思ったが、どうにか昼の時間帯の最後の客に滑り込んだ。八寸の蛸の梅肉掛けの柔らかさ、鯛の造りの絶妙の歯ごたえと、相変わらずの塩梅でキンシ正宗の冷酒とともに堪能した次第であった。

 

その後、河原町を三条まで上がって寺町に入り、行きつけの店を冷やかしながら四条に下りた。この日は、あまり収穫がなく、妻の夏服一着と志津屋のサンドウィッチを買って帰途に着いた。