物語の舞台となっているのは、中国内モンゴル自治区とロシア国境を流れるアルグン川の東岸。かつて日本が満州国と呼んで支配していた土地で、中国最北端の地である。語り手はその地に長く暮らすエヴェンキ族の最後の酋長の妻で齢九十歳をこえる。エヴェンキ族は、古くからバイカル湖周辺一帯にトナカイを飼育しながら狩をして暮らす狩猟民族であったが、ロシア人により迫害され、アルグン川を渉り、その右岸に逃れ住んでいた。
二十世紀に入ると、アルグン川右岸は時代の波に翻弄されるように、清国、中華民国、日本軍の対ソ連前線基地、中華人民共和国と次々に新しい国家によって支配されるようになる。厳しくとも豊かな自然環境のなかで、民族の伝統を守り、季節によって餌となる苔や草木を求めて移動するトナカイの群れとともに、獲物を求めて狩を続けるエヴェンキ族であったが、自然とともに生きる彼らにも、時代の流れは押し寄せてきていた。あれほど豊かであった森林は伐採され、原野に道路が切り拓かれ、トナカイの群れを鉄条網に囲うという国家の政策が待ち受けていた。
狩猟民族であるエヴェンキ族にも、健康や教育文化振興という名の下に、猟銃の保持が禁止され、居留地への定住化を推し進める力が迫る。最後の酋長ワロジャを亡くした部族は、その妻であった語り手と孫一人を残し、皆山を下ることになる。話をするのも聞くのも嫌いなアンツォルにではなく、シーレンジュを打つ雨や囲炉裏の火に語りかけるように、老婆は自分が産まれた頃から、今に至る一族の歴史を話し出すのであった。
エヴェンキ族は、シャーマンの語源であるサマンと呼ばれる祈祷師を中心とした一族で集団を作り、その住居はシーレンジュというテント式の小屋である。トナカイの背に荷や人を乗せて移動し、熊やキタリス、ヘラジカ、あるいは川魚や鳥を獲って食料とし、白樺の樹皮から取れるものを、衣食住に利用し、信仰にあつい氏族である。ただ、自然は時に過酷であり、語り手の姉妹も冬の厳しい寒さの中で命を落とす。そんな中、氏族の温かな目に見守られ、少女は成長し、やがて夫となる人を見つける。
目次の後に「人物相関図」という樹形図が付されているが、なるほど、これがなければ誰が誰の兄であり、伯父であるのか、さっぱり分からぬくらい大家族の歴史を描いたもので、比喩的な言い回しを許してもらえるなら、氏族の一大叙事詩と言ってもいいほどの大河のような物語が、この樹形図のなかに封じ込められている。広大な自然の中、首長やサマンといった力のある者を中心として、氏族はまとまって暮らしているが、始終顔と顔をつき合わせて暮らしていかねばならない男と女の間には恨みつらみや妬みがつきまとう。
美しい者や力ある者ばかりが集まっているわけではない。中には、足を失った者、子のできない夫婦、妻のいない男、鼻の曲がった女や、口の歪んだ女もいる。また周囲も羨む美貌や腕力に恵まれた若者もいる。清冽な北の自然を背景に、それらの人々が、愛し合い、憎みあい、時には奪い、また逃げる。人にすぐれた能力を授かった者には、それゆえに耐えねばならない試練がつきまとう。サマンとなった義理の妹ニハオは、他人の命を救うために我が子の命を捧げる運命に逆らえない。人と人の間だけではない。人の代わりにトナカイの仔が死ぬこともある。
大昔から伝えられてきた言い伝えや祈り、呪いが、太古のままに力を残している氏族の生き生きとした暮らしぶりが、大自然の景観の中で時を越えてよみがえる。時折りはさまれる時事的な話題の何とつまらぬことか。しかし、その些末な人間界の出来事が、この美しい生活を今も生きる人々を追い詰めてゆく。川や、山を自分たちの言葉で名づけてゆく人々を、日本軍が、中国共産党が、戦争と革命の二十世紀のなかに、否が応でも引きずり込んでゆく。『アルグン川の右岸』一篇は滅びゆく者たちに捧げられた挽歌、といえるだろう。何と美しくも哀しい歌であることか。表紙を飾る大きな角を持ったトナカイの写真がじっとこちらを見つめるさまに胸を打たれた。その内容にふさわしい見事な装丁となっている。