marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

『英国怪談珠玉集』南條竹則編訳

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ただ「怪談」と聞くと川端の枝垂れ柳や、枯れ薄の叢の中の古沼、裏寂れた夜道といった妙に背筋が寒くなる風景を思い描いてしまいそうになる。それが、前に「英国」という二文字が着くと、急に座り心地のいい椅子や、炉端に火が用意された落ち着いた部屋のことを考える。別にどこでもよさそうなものだが、「英国怪談」を読むには、いかにも彼の地の幽霊が出てくるにふさわしい環境が用意されていなければいけないような気がするのだ。 

紺地に赤と金で唐草文様を配した豪奢な装丁の本である。厚さだけでも相当なものだが、持ち重りする大冊である。寝転がって読むというわけにはいかない。手持ちの書見台に置いて読もうとしたが、想定される厚さを越えているためページ押さえが使えず使用不可となった。机の上に直に置くと読むために首を傾けなくてはならず、長時間続けば首が痛くなる。仕方がないのでオットマンに足を載せ、腿の上あたりを支えに、革のブックカバーを被せて両手で持ちながら読んだ。 

有名無名の作家二十六人からなる三十二篇のアンソロジー。アルジャノン・ブラックウッドやら、アーサー・マッケン、ウォルター・デラメーアといった名の売れた作家の他にもホーレス・ウォルポールの息子のヒュー・ウォルポールや、H・G・ウェルズ、最近立派な本が出たフィオナ・マクラウド、それにエリザベス・ボウエンのような作家も含めた多彩な顔触れである。短篇、それもかなり短いものも多いので、一日に少しずつ読む愉しさがある。 

英国怪談は、大半が幽霊譚である。古く由緒のある建築が都市にも田舎にも残っていて、またそういう古いものを悦ぶ気質がある。またどの家の箪笥の中にも骸骨が仕舞われている、という意味の諺もあるくらいだから、人が何人か集まれば、その類の噂話に事欠かない。また、好んでそういう話を聞きたがる人種もいる。そんな訳で、語り手が誰それから聞いた話を、その座にいる人々に語って聞かせるというスタイルの話が圧倒的に多い。 

よく、犬は人につき、猫は家につくと言われるが、日本の幽霊は害をなした人に祟ることが多く、英国の幽霊は事の起きた場所に居つくことが多いように思う。無論、例外もある。この本にも殺した人の前に現れる幽霊の話も出てくるが、あまり陰惨にならないのはお国柄か。柵に腰かけた幽霊やらピアノを弾きまくる陽気な道化の幽霊やらが登場する。 

すべては紹介できないので、いくつか紹介しよう。ストーク・ニューウィントンにあるというキャノンズ・パークの不思議を語るアーサー・マッケンの「N」は、ロンドンという大都会の中に迷い込んでいく経験のできる作品。普通の通りなのに、その窓から眺めるとまるでこの世のものとも思えない美しい風景が見える、しかし、二度と目にすることがかなわない、という話。何人もが経験した不思議の秘密を考える謎解きの興味も付されている。日常の中に怪異を見つけるのが得意なマッケンらしい一篇。 

自家用車を駆って、低地地方を訪れた旅人が石造りの古めかしい館で遊ぶ子どもを見かけ、主人らしい目の不自由な婦人と懇意になり、何度かその館を訪れるようになる。『ジャングル・ブック』で有名なラドヤード・キップリングの「彼等」。子どもを産んだことのない女性が、自分は声しか聞こえないのにあなたは見ることができて幸せだ、と旅人にいうのだが、実はその館に集まってくるのは、とうに死んだ子たちなのだ。彼女が子どもを愛するから集まってくるという。怖さの欠片もない、子を思う愛しさに満たされた怪談である。 

集中最も怖かったのが、H・R・ウェイクフィールドの「紅い別荘」。休暇を過ごすため田舎の一軒家を借りた家族が出遭うことになる怪異譚。アン女王様式の家は立派で庭園もついており、木戸から川にも出ることができた。ところが、着くやいなや胸騒ぎを覚える。先に到着していた息子は川遊びを嫌がるし、妻も加減が悪そうだった。そのうちに次から次へと異様なものを目にするようになる。昔のことを知る人に話を聞くと、とんでもない曰くつきの物件だった。次第に高まってゆく恐怖が、怪談の妙味。 

掉尾を飾る「名誉の幽霊」が先に紹介した道化の幽霊がピアノを弾きながら卑猥な歌を歌うという落とし噺風の一篇。客を迎えた夫婦が、自分の家に幽霊が出ることを隠しもせず、むしろ面白がるだろうと考えて、いろいろ幽霊のことを紹介するのが面白い。客も今さら怖いとも言えず、幽霊が生ける人間には顔を見せない、という一言に救われてその家に泊まる。ところが、夜半に現れた幽霊は何のことはない顔を平気で見せる。約束が違うと文句を言う客に幽霊が語る理由がオチになっている。 

少し値は張るが、書架に愛蔵するにふさわしい、近頃珍しい函入り上製本である。作家によって文体を変えて訳されているのも嬉しい。南條竹則氏編訳。以前に文庫などで出された作品を改めて纏めたものだが、訳し下ろしも七篇入っている。そのどれもが読み応えのある作品ばかり。これらを読むだけでも手にとる価値があると思う。