「序にかえて」を一読すれば分かるように、著者の吉田健一に寄せる思いは、単なる作家論の対象であることをはるかに超えている。初めてその文章に出会った時から実際にその謦咳に接するまで、まるで道なき広野を行く旅人が辿る先人の足跡のように、著者は吉田がその著書でふれた内外の書物を取り寄せては読み漁っている。それだけに、吉田健一その人と文学について、ここまで迫った論を知らない。
吉田健一の文章には独特のくせがあり、名文と評価する向き(三好達治、草野心平)もあるが、恣意的な切れ目や、息遣いに合わせて適当に付される読点に狎れた現代人に、吉田のそれは、やたら迂回しては横道にそれたがりいつまでたっても結語にたどり着かないまだるっこしい書きぶりのように思えるかもしれない。しかし、それには後で述べるように深い意味がある。
吉田健一は、父茂の領事赴任に従って六歳で中国、七歳でパリと転地を繰り返し、八歳の歳ロンドンでイギリス人小学校に入学、十四歳で帰国するまで彼の母国語は英語であった。十八歳で再び渡英し、ケンブリッジ大学キングス・コレッジに入学する。そのとき受験勉強にシェイクスピアの『十二夜』全文を暗記したというから凄い。しかし、師であるディキンソンの教えに従い、在英わずか十ヶ月で帰国する。せっかく絶好の環境にあったのになぜ帰国を選んだのか、というのが角地の疑問である。
健一の帰国に関しては、清水徹の『評伝 吉田健一』に、「ある種の仕事をするには、故国の土が必要だ」というディキンソンの言葉が引かれているように、日本で「文士になるため」であったろうという了解がなされている。だが、それだけなら、無事卒業してからでも遅くはない。もっと切羽詰った理由があるのでは、と考えた角地が見つけたのは、「母国の喪失」だった。無論、この母国とは英国である。ケンブリッジで暮らす毎日が文化的に満たされた美しいものであればあるほど、健一はそこで自分がアウトサイダーであることを思い知らされたはず。そして故国喪失者は、何としても早急に新しい故国を発見する必要があった。吉田健一にとっては、それが日本であった。
では、当時の日本の文学的状況はどうだったのかといえば、英国で文学とは何かということを突き詰めようとしていた吉田の目から見れば、故国のそれは惨憺たるものであったというほかない。文学に文学でないものを求めるがゆえに、文学と呼ばれているものの中には文学でないものが大手を振って歩いていた。帰国した吉田の仕事は、それらと真っ向から対決することから始められた。
吉田健一の代表的な著作、『乞食王子』、『大衆文学時評』、『金沢』をとりあげ、その中からこれと思われる文章を引きつつ、当時の吉田がやらねばならないと思っていた仕事(上記「ケンブリッジ帰りの文士」)や、思いがけず成し遂げていたエクリチュールの達成(「乞食王子のエクリチュール」)、畢竟文学には読める本と読めない本しかないと喝破して見せた「シェイクスピアの大衆文学時評」、そして畢生の名著『時間』を書き上げるに至った契機となった小説執筆の秘密(「時間と化した物語作者」)にふれた四章に、著者はじめての本格的吉田健一論である「時間略解」を併せて収める。
吉田健一の文学について、その愛着を語った文学者は河上徹太郎、中村光夫をはじめ、枚挙に暇がないが、ここまで、その文学が目指した志の高さ、思惟の深さについて触れ、引用の煩瑣を恐れることなく精密な考察を尽くした論をはじめて読んだ気がする。一読後、引用された吉田の文章をもう一度その本文の中で味わいたくなり、書架から『文学の楽しみ』を取り出し再読した。以前は難解とも感じた文章が嘘のように明快に読み取れることに驚きを禁じ得なかった。その文章がなにゆえ、難解と思われがちであるのか。それについて触れた吉田本人の文章を引用し、その答えとする。
我々には何か書く時に我々に既に持ち合わせがある言葉と文体で表せる範囲内に書くことを限る傾向があり、勢ひそれは他のものも書き、又読者の方でも大方の見当を付けて期待してゐることでもあるから書くのに苦労することがないのみならず出来上つた文章が解り易いといふ印象を与へる。(中略)併し我々が実際に或る考へを進めるといふのは話を先に運ぶ言葉を探すことに他ならなくてその上で言葉を得ることは考への進展であるとともにそれを表す文章の開拓でもあり、かうして考へが言葉の形で進んで終りに達した時にその考へも完了する。(中略)書く方は言葉とともに考へを進めるのであるよりも自分が得た言葉に導かれて一歩づつ自分が求めてゐることに近づき、これを読む方でも同じことをして書く方に付いて行くことになる。それは書くものにも読むものにも或る程度の努力を強ひずには置かないがそれを読み難い、書き難いとするのでは言葉を使ふといふことの意味がなくなり、ヴァレリイを読んでゐて気が付いたもう一つのことといふのはヴァレリイにあってはこの努力が当然であるのを通り越して極めて自然な形で行はれてゐることだった。(『書架記』「ヴァリエテ」)