何故今まで邦訳がなかったのだろう、と読み終えて思ったほどの重厚な長篇小説。いかにも英国小説らしい、田舎に住む一族の一世紀にわたる年代記である。とはいえ、読み始めたばかりの頃は、これがあのチャトウィンか、と首を傾げたくらいの地味な作風。『パタゴニア』にはじまり、一作ごとにテーマも文体も変化させ、ジャンルすら横断してしまう華麗なスタイリストぶりは影を潜め、イングランドとウェールズの境界地方にじっくりと腰を据えた土臭い仕上がり。英国では賞もとり、ウェールズではカルト的人気を誇るといっても、気候風土も人々の風習も異なる日本で、広く読者を得られるかどうか、出版社が二の足を踏んだとしてもおかしくない。察するところ、初訳まで25年もかかったのはその所為にちがいない。
主人公は双子の兄弟。一卵性双生児にはよくあることらしいが、兄弟の一方に何か異変が起きれば、もう一方はどこにいてもそれを察知する。逆に離れては生きられない、二人で一人という濃密な関係にある。小説は年老いた二人の人物概況からはじまる。母の死以来、両親愛用の四隅に柱のついた寝台に並んで眠ることをはじめ、昔は見分けがつかないほど似ていた二人が歳経て、相貌に差が生じたこと。農場の仕事は兄のルイス、家事一切は弟のベンジャミンが担当すること。両親から受け継いで順調に経営してきた農場は遠からず、甥のケヴィンが相続すること、等々。
全篇は50に及ぶ短い章で区切られ、一章に一つの挿話が語られる。一族の年代記は第二章、双子の父が妻をもらうところからはじまる。ウェールズから一歩も出たことのない農民の子のエイモスが、インドやパレスチナを訪ね歩いた牧師の娘を妻にし、教養もちがえば育ちも異なる二人が、夫婦になることで起きるだろう齟齬を予感させる。事実、ことあるごとに対立しながら、それでいて別れられない二人の間で、双子は育てられる。どちらかといえば外向的で活発な兄は女好き。弟は頭がいい分、引っ込み思案。母は、病気がちな弟に文学を教え、兄は父の手伝いを任される。
荒地を鋤き、牧草を育て、羊を買う農場の暮らしと聞けば一見平和そうに思えるが、境界を接する隣家との諍いはいったんこじれだすと血を見るところまでいく。年頃の男女が親の目を盗むに絶好な窪地も多く、妊娠がからむ人間関係のもつれも多い。しかも、時代は両大戦期を間にはさむ二十世紀。非国教会派の信者である父は聖書の戒律「汝殺すなかれ」を盾に双子の徴兵免除を策すが、二人ともとはいかず弟は徴兵される。軍に批判的な弟は徹底的に傷め付けられ、心身に傷を負う。
隣家に忍び込み鶏を盗んだり、垣根を越えて馬が牧草を食べに入り込んだり、他家の娘を孕ませて逃げたり、田舎ならではのもめごとが、法律で解決されることのないまま、もつれにもつれて、人間関係を複雑化させる。教育環境が整備されておらず、無知で因習的な人々は、知恵の遅れた子や働く意欲のない若者を放置したまま助けようともしないので、不衛生な環境で育てられる子はよくて病み衰え、悪くすれば死んでしまう。母によって学校へ行けた双子に比べ、周囲の子どもたちの置かれた境遇は苛酷である。二人はそんな中で大きくなってゆく。
ほぼ百年にわたる年代記の後半は両親の死後、双子が巻き込まれることになる様々な人間関係につきる。相変わらず女性との出会いを求める兄と、それが引き起こすことになる厄介事に眉をひそめる弟の前に、共進会やページェントの催しを通じて、次々に現われる新しい女性や昔なじみの女たち。やがて、ヒッピーのコミューンがウェールズくんだりにまで波及したり、黒人兵が屯したり、とようやく覚えのある時代が近づいてくる。地道ではあるが着実な経営で近くの土地を買い集め、広げてきた農場は、後継ぎのいない二人の後はどうなるのか。
時代は変わる。母の死んだ後、部屋の飾りつけも家具もそのままであった双子の家<面影>(ザ・ヴィジョン)は、飛行機好きの叔父の八十歳の誕生日プレゼントにと、ケヴィンが企画した記念飛行を潮に、少し変化を遂げる。空から見た黒ヶ丘の空撮写真が壁の一画に掲げられたからだ。やがて、弟が購入を渋っていたトラクターが予言のように事を起こし、事態は思いもかけない結末を迎える。ほろほろと剥落してゆくような<面影>(ザ・ヴィジョン)のうつろいが心にしみる。
階段の真下がウェールズとイングランドの境界に当たる<面影>(ザ・ヴィジョン)と呼ばれる家を舞台に、紀行物語の名手とされるブルース・チャトウィンが、イギリスの地方から一歩も出たことのない農場主の一生を、飾ることなく、酷薄なまでに精緻に描いた三作目にして唯一の長篇小説。鳥と言葉を交わす娘が歌うケルトの血を引く哀歓溢れる歌声が、テント暮らしをするタオイストの青年の朗読する聖書の一説が、人々の間に積み重なった汚れや憎しみを洗い去り、浄化をもたらす。地方の人々や風物、自然、鳥や獣を見つめるチャトウィンならではの視線が、どこまでも静謐に掬い取ったウェールズの叙事詩ともいえる。