これは、ジェイムズ・ジョイスのではなく、『ユリシーズ』という一冊の本の伝記である。ジョイスその人については、有名なリチャード・エルマンの『ジェイムズ・ジョイス伝』をはじめ、八冊の評伝がある。『ユリシーズ』について書かれた本に至っては数えきれない。だが、出版当時、猥褻であるという理由で焚書にされた書物が、現代の古典と呼ばれるに至るまでの出版事情について、このように詳しく書かれた本は多くない。
いうまでもなく、『ユリシーズ』を一冊の本という形で世に出したのは、シェイクスピア・アンド・カンパニー書店の店主シルヴィア・ビーチである。パリ左岸の店は店主の居室も兼ねた貸本屋という形式で始まったが、すぐにパリ在住のモダニストたちのたまり場となった。ジョイスを世に広めるために尽力したエズラ・パウンドをはじめ、パリにやってきたヘミングウェイやF・スコット・フィッツジェラルドなどのアメリカ人作家も常連になった。
優れた文学者ではあっても、生活者としてはほとんどダメ人間で、金が入れば飲んで大散財してしまうジョイスは、シルヴィア・ビーチ以外にも多くの女性に援助を受けている。まず、『ユリシーズ』は本になる前に、マーガレット・アンダーソンという女性の主催するアメリカの雑誌『リトル・レビュー』誌に連載されることで日の目を見た。「ナウシカア」の章が猥褻だとして裁判になった時も、マーガレットはひるまなかった。
『ユリシーズ』の英国版を出版してくれたのは、ハリエット・ショー・ウィーヴァーという女性で、パトロンとして多額の資金を援助している。出版には素人で、敬虔な一家は猛反対したが、ウィーヴァーは何とか出版にこぎつける。ところが、その初版は一部が、第二班はすべて焼却処分となった。ウィーヴァーは、直接見知っていたシルヴィア・ビーチとはちがい、トリエステ、チューリヒ、と各地を転々とするジョイスと面識がなかった。どうして、ここまで援助しようという気になるのかが不思議。『ユリシーズ』という書物の持つ力としか考えられない。
シルヴィア・ビーチは『ユリシーズ』を品質別に価格の異なる三つの版で出した。オランダ産の手漉きの紙にジョイスのサインが入った豪華版、上質な紙を使用した版、それに廉価版だ。ゲラが上がるたびに新たに何度も章句を書き加えるジョイスに印刷工が難儀した話や、青地に白の装丁はギリシア国旗の青でなくてはいけないと言い張るところなど、いかにもジョイスらしいしたい放題をシルヴィア・ビーチは、よくゆるしたものだ。最後には口契約だったことを理由に版権をジョイスに奪われてしまうというのに。
著者がアメリカ人であるため、猥褻裁判の経緯についてはアメリカの裁判が中心。アメリカの当時の法律では郵便を使って猥褻な書物を送ることが罪とされていた。そのため、フランスで刊行された『ユリシーズ』は、一度カナダに送られ、協力者のズボンの中に隠されて船に乗り、アメリカに上陸したという。当時のズボンは幅が広かったとはいえ、ただでさえ分厚い『ユリシーズ』を二冊隠しながら歩くのはさぞ大変だったろう。
『ユリシーズ』は、非常に高価な本だったが、評判を聞いて本を求める顧客の所に到底いきわたらず、不正確な海賊版が横行した。ランダムハウス社の創始者ベネット・サーフは、裁判で無罪を勝ち取り、海賊版より先に『ユリシーズ』をアメリカで出版するため、弁護士と協力し、無罪を勝ち取ることに成功する。この裁判劇が小説を読むように面白い。
裁判を担当したのはウルジー判事だが、暖炉のある自室の肘掛け椅子にすわり、関連書物を何冊も用意して『ユリシーズ』を読み込んでいく。バック・マリガンの登場する第一章の叙述は苦も無く読め、共感を持てたものの、次第に叙述方法が変化してくるにつれ、わけが分からなくなってくる。それでも最後まで読むところに感心した。裁判の中で、弁護側のアーンストに「君、本当にすっかり読み通したのかね?大変だっただろう?」と訊ねるところが愉快だ。
ジョイス自身については、マリガンのモデルであるゴガティとの交友など、『ユリシーズ』に関連する事実については書かれているが、網羅的ではない。もっぱら言及されているのは、表紙の絵にもある通り、アイパッチに隠された眼のことである。ジョイスは、周期的に起こる虹彩炎に生涯悩まされる。痛みがひどくなると失神するほどで、手術は十一回も受けたという。ただ、回復はせず、最後には両眼ともほとんど視力をなくしていた。それでも、綴り字にこだわりのあるジョイスにしてみれば、口述筆記に頼るなど不可能で、最後は大きな紙に自筆で原稿を書いたという。
ひとくちに表現の自由というが、誰かが試みるまで、その自由は無きに等しい。国際的には評価の高い浮世絵の春画が美術館で公開されたのはついこの間のことだ。『ユリシーズ』が、猥褻でないと認められ、出版が許されたことは、その後に続く表現をどれだけ生み出したことか。
自分では印刷どころか価値を認めようともしなかったヴァージニア・ウルフにさえそれは影響を与えた。ウルフは書評にあった「三人のまったく異なる人物の意識から紡ぎ出された」という言葉を頭にとどめた。当時短篇を書いていたウルフは後に、それを長篇に作り変え、「ロンドンでの一日を舞台に、三人の意識に分け入る小説」を完成させる。『ダロウェイ夫人』である。この指摘には、虚を突かれた。「意識の流れ」という手法にジョイスとの関係を見てはいたが、ともにダブリンとロンドンの一日の出来事という類似には気がついていなかった。
ヘミングウェイがシルヴィア・ビーチにたのまれて『ユリシーズ』の密輸を手伝ったことや、飲みつぶれたジョイスを家に連れ帰って、ノーラに皮肉を言われた件など、お気に入りの作家のエピソードにも事欠かない。ジョイスファンにはもちろん、モダニズム文学に興味のある人にはお勧め。あと、猥褻裁判に興味のある人にも。