marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

『どこにもない国』柴田元幸編訳

翻訳家柴田元幸編訳による現代アメリカ幻想短篇小説アンソロジーである。アンソロジーのいいところは、今まで読んだこともない作家の味見ができるところにある。一方で問題点は、ハマる作品もあれば、そうでもない作品も集められていることだ。おそらく編者は意図的にそうしていると思われる。中に一作でも好みの作品が見つかれば、そこからまた芋づる式にその作家の作品を読んでいけばいい。全九篇。以下に収録作と著者名を記す。
 
地下堂の査察  エリック・マコーマック
“Do You Love Me?”  ピーター・ケアリー
どこへ行くの、どこ行ってたの?  ジョイス・キャロル・オーツ
失われた物語たちの墓  ウィリアム・T・ヴォルマン
見えないショッピング・モール  ケン・カルファス
魔法  レベッカ・ブラウン
雪人間  スティーヴン・ミルハウザー
下層土  ニコルソン・ベイカー
ザ・ホルトラク  ケリー・リンク

ひとくちに幻想小説といってもその幅は広い。巻頭に置かれた「地下堂の査察」は人が幻想小説と聞いてすぐに思い出す類のものではない。非常にミニマムな規模のディストピア小説。フィヨルドのそばの側面がぼろぼろ崩れかけた渓谷の端に作った入植地。そこに設けられた、「地下堂」という名の牢に閉じ込められた六人の「居住者」を月に一度査察して報告書を提出する男の物語。真実を隠して耳に快い言葉に替えていても地下堂は「牢」、居住者は「囚人」だ。暗い時代、権力によって一方的に管理される側の恐怖と絶望を描く。

“Do You Love Me?”は、SFタッチで描く近未来の世界。今その国では、国勢調査のために地図製作者が克明な地図を作っている。ところが、その地図に欠落が生じていることが判明する。消えているのだ。影響は都市にまで及ぶ。人々の目の前でビルが消えてゆく。父の説くところによれば、それらは必要がないから消えるのだ。では、人もそうなのか?タイトルの意味はそこにある。

ジョイス・キャロル・オーツは読んだことがある。この作品はボブ・ディランに捧げられた現代の若者の物語。自分の容姿に自信のある少女が主人公。勉強がよくできる姉は母とバーベキューパーティーに出かけている。留守番をしているコニーのところへ男がやってくる。昨夜店で目があった男だ。執拗に誘い掛ける男に不安が募るコニー。いかにも現代的な主題に見えるが、これはシンデレラ・ストーリーの暗黒バージョン。毒のある世界を描いてみせる独特の持ち味が魅力的だ。

「失われた物語たちの墓」はE・A・ポオの作品を網羅して、彼の晩年の生活を描くという意欲的な試み。「早過ぎる埋葬」というポオが固執した妄想を主題にした一篇。おそらくは文体模倣も行っているにちがいない。訳者はすでに訳された翻訳文体を駆使してそれを忠実になぞっているのだろうが、どの部分がそれなのかポオはほぼ全作品を読んでいるのだが、よくわからないのが残念だ。

「見えないショッピング・モール」はイタロ・カルヴィーノの名作『見えない都市』のパスティーシュ。帝国中を旅してまわったマルコ・ポーロが目にした様々な都市の様子をフビライ・汗(ハン)に語るというスタイルで綴られたカルヴィーノの文体を徹底的に模倣しながら、都市をショッピング・モールに替えているところが見ものだ。カルヴィーノの『見えない都市』との読み比べをお勧めしたい。

「魔法」は、支配、被支配の関係を描いた一篇。鎖帷子に面頬付きの兜で全身を覆った女王様と呼ばれる女に荒野で拾われた私は、お城の一室に囲われて女王様の訪れを待つだけの暮らしに満足していた。しかし、見られるだけで相手を見ることができない関係に不満を感じた私は女王様を怒らせてしまう。城を追われた私は人の助けもあって元の居場所に帰ることができた。これは幻想小説に仮装された虐待の物語である。

「雪人間」のどこが幻想小説なのだろう、という疑問もでるかもしれない。ある雪の日の町の様子を少年の目で見たストーリーは、これといった怪奇現象は登場しない。ただ、ミルハウザーの手にかかると、雪だるまが雪人間に変貌する。どこまでもリアルさを追求し、雪像を作る町の人々は、ついにはありえないハイパー・リアルな雪景色を現出してしまう。言葉だけでその異世界を創り上げるミルハウザーの至芸を堪能したい。

「下層土」の作者ニコルソン・ベイカーは、けっこうお気に入りだった。些末なことを後生大事に延々と語り続けるマニアックな手法は一度ハマると病みつきになる。ところが、あるとき御大スティーヴン・キングに面白くないとけなされ、見返してやろうと思って書いた恐怖小説がこれだ、という。ミスター・ポテトヘッドというジャガイモに目鼻を付けて顔にする子どもの遊びを素材に古典的な怪談を描き上げる実力はなかなかのものだ。

「ザ・ホルトラク」は、ゾンビと世界を共有する人間の物語。エリックとバトゥがやっている終夜営業のコンビニが舞台。そこは人間だけでなくゾンビも訪れるコンビニだ。「ホルトラク」とはトルコ語で「幽霊」のこと。車に犬を乗せてやってくるチャーリーのことをエリックは気に入っているが、チャーリーはバトゥからトルコ語を習っている。バトゥはエリックの恋を応援しているのだが、エリックは仲よく話す二人が気になる。何気ない日常生活がゾンビや犬の幽霊と同じ次元で成り立っている違和感が不思議な印象を残す。