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読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

『夜に生きる』デニス・ルヘイン

夜に生きる 〔ハヤカワ・ミステリ1869〕 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)
メキシコ湾に浮かぶタグ・ボートの上。セメントの桶に両足を浸けた男が、こう回想する。「いいことであれ悪いことであれ、自分の人生で起きた大事なことはほぼすべて、エマ・グールドと偶然出会った朝から動きはじめたのだ」と。シェルシェ・ラ・ファム(女を探せ)というのはノワールの合言葉だ。ジョーが心を奪われるファム・ファタル(運命の女)は、エマ・グールド。対立関係にあるギャングのボス、アルバート・ホワイトの情婦だ。

「コグリン三部作」の第二部。デトロイト市警警視正トマス・コグリンには、同じ市警に勤めるダニー、と検事補のコナー、それに末弟ジョゼフの三人の息子がいた。だが、『運命の日』で主人公を務めたダニーは、ストライキ後職を離れ、妻ノラとともにボストンを去り、失明したコナーも家を出ていた。月日は経ち、当時十二歳だったジョゼフも家を出て、今はパオロとディオンというイタリア人兄弟と組んで盗みを働いていた。

誰かが本作のことをビルドゥングス・ロマンと評していたが、なるほど、少年がいろいろな経験を積んで大人になり、自分の人格を形成していく過程を描くのがビルドゥングス・ロマンである。あの幼なかったジョゼフが無法者のジョーとしてその世界で成り上がり、ついにはギャングのボスにまで上りつめる姿を描く本作を、そう言ってもまちがいではないだろう。

『運命の日』が、ダニーやルーサーをはじめ多くの人物の人生が複雑に絡み合い、おまけに警官たちのストライキ騒ぎに始まる暴動という歴史的事件を扱った厚みのある小説であったのと比べると、本作の視点はジョー一人に寄り添い、どこまでもその成長を追うクライム・ノワールに徹している。愛する女の死、父の死、いつ殺されるかもしれない監獄で息を詰めて暮らす恐怖とビルドゥングス・ロマンにつきものの試練とやらもたっぷり用意されている。

腕力では到底兄にかなわないジョーは、集中して計画を練り、大胆に行動する頭脳派だ。だが、欠点もある。情に脆く女に弱い。一度好きになるとふだんの冷静さを失い、とことん突っ走ってしまう。銀行強盗で逃走中警官を死なせて手配中なのに、女と待ち合わせたホテルのパーティー会場に出かけるのだから無茶だ。その挙句がボスにつかまって殺されるところをトマスの手で助けられる。

エマとの出遭いがけちのつき始め。やることなすこと裏目に出て、とうとう刑務所に入れられる。何人もの刺客に襲われ、撃退したところでマソという老ギャングに庇護される。見返りは、トマスの協力だった。少々のことはできても、息子のために人殺しはできない、と殺人の依頼を拒否する父。その代わりにと大事にしているパテック・フィリップの懐中時計をジョーに手渡すトマス。これで命を買え、と。余談だが、この時計本当に命を救う。

末っ子が可愛いのは、どこの父親でも同じらしい。あの厳父が、ジョーにはどこまでも優しい。殺人の依頼を蹴って、息子を救う手立てがなくなると、神や先祖にまで祈る。そして、その最期は息子の小さい頃の悪戯を思い出しながら。父の死を契機にジョゼフは変わる。父の死は寂しいが彼を自由にした。ジョーは、あれほど憧れていた兄ダニーの申し出も断り、ギャングの世界で生きてゆくことを宣言する。つまり、「夜に生きる」のだ。

父のトマスも、兄のダニーも自由ではなかった。父はアイルランド系移民の警察官として一族を引っ張り、高め、維持するために汚いことにも手を染めて生きなければならなかった。ダニーはそんな父に反発し、まっとうな刑事として生きようとしたが、組合の幹部として多くの仲間を率いていかねばならなかった。その結果が失職だ。ジョーは、ルールに縛られる昼ではなく、自分がルールを作る夜に生きることを選ぶ。

ボストン市警ストライキという歴史的事件を前面に押し出していた前作のようには、歴史的事件は表面に出てこない。ただ、サッコとヴァンゼッティの絞首に始まり、ルーズベルト大統領によって禁酒法が終わる時代を背景に持つことははっきり分かるように書かれている。もう一つがキューバとの関係だ。刑期を終えたジョーは、マソの配下としてタンパを仕切り、ラムを売る。それを仲介するのがキューバ人のエステバンとグラシエラ。

当時のキューバは相次ぐ政変やクーデターで混乱していた。二人は反政府勢力のために武器を手に入れる必要があった。ラム酒の専売に手を貸す交換条件としてアメリカ海軍の輸送船から武器を強奪するのに手を貸せという。ダニーとちがってジョーには大義がない。グラシエラが好きだからやるまでだ。たしかに、ジョーは成長していくが、大人になってもジョーには甘さがある。情に流されるのだ。

セメント桶に足を浸けてタグ・ボートに乗せられるのも、裏切ったディオンを殺せという、ボスの命に背くからだ。てもまあ、そこが魅力といえばいえる。ジョーはギャングになりきれない、無法者だ。彼ほどの能力があり、忠実な部下や相棒がいたら、ボスの命令に従ってさえいればのし上がっていけるだろう。しかし、それでは自由ではない。ジョーは、ルールを自分で作るために、夜に生きることを選んだのだ。

再三の急場も誰かの救援によって何とかしのぐ。ちょっとご都合主義に思えるが、冒頭の回想でセメント桶について言及しているということは窮地は脱したということだ。華々しいギャングの抗争劇の裏に、裏切りと信義、父と子の情愛と確執、といった主題を蔵した『夜に生きる』は、まぎれもないデニス・ルヘインの力作である。三部作の完結編が『過ぎ去りし世界』。これも読ませる。出来れば順に読むに越したことはないが、どこから読んでも問題のないように一話完結で読めるよう書かれている。