marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

第4章

第4章は、有名な「夕方、開店したばかりのバーが好きだ。」から始まるレノックスの長台詞で幕を開ける。この台詞を読んで、開けたばかりのバーを訪れたファンも多いにちがいない。もっとも、本にあるように午後四時では勤め人には難しかろう。マーロウのような個人営業主かレノックスのような金持ちにしかできない贅沢かもしれない。

長科白の好きなチャンドラーだが、アフォリズム風の気のきいた警句も見逃せない。たとえば次のような。
「アルコールは恋に似ている」「最初のキスは魔法のようだ。二度目で心を通わせる。そして三度目は決まりごとになる。あとはただ相手の服を脱がせるだけだ。」
レノックスの饒舌は、彼が人生に深く幻滅を感じていることを匂わせる。最初のうちは輝いて見えるのだ。開けたばかりのバーが、最初のキスが、そうであるように。しかし、早晩色褪せる。バーは、酔っぱらいで溢れ、女たちにも汗の匂いが鼻につくようになる。どんなに素晴らしい出会いも、時がたてばそこには幻滅しか待っていない。

第4章の主題は、きらきら輝いていたものが輝きをうしない、汚れてしまうことに寄せる深い悲しみである。そして、それは『ロング・グッドバイ』という作品の主題でもある。マーロウはしかし、知ったふうに「そうむきになるなよ」とテリーを諫める。聞き役を務めているマーロウには、テリーが自己憐憫に耽りすぎるように感じられたのだろう。「自分のことをしゃべりすぎる」と言って、彼を置いて店を出る。それが彼と飲む最後の晩になってしまうとも知らずに。人も羨むような暮らしぶりでありながら、ケチな探偵風情と待ち合わせて杯を重ねるのをわずかな愉楽にしているレノックスの憂いをマーロウはどこまで理解していたのだろうか。

もう少し話を聞いていれば、とマーロウは何度も悔やむ。しかし、人には口に出せない思いというものがある。それを言ってしまえばもとの関係にはいられない。だから、言葉はその周りを堂々巡りするしかないのだ。