marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

第12章

第12章は、マーロウが自宅の郵便受けに手紙を見つける場面からはじまる。原文は次の通りだ。

“The letter was in the red and white birdhouse mailebox at the foot of my steps.A woodpecker on top of the box attached to the swing arm was raised and even at that I might not have looked inside because I never got mail at the house.”

村上訳ではこうなっている。

「階段の登り口にある、鳥の巣箱のかたちをした赤と白の郵便受けにその手紙は入っていた。箱の上にはキツツキがついていて、郵便物が入っているしるしに、その翼が上に向けられていた。でも、そんなしるしが見えても、郵便受けをのぞかないこともある。自宅に郵便物が来ることはまずないからだ。」

参考に清水訳も引用しておこう。

「その手紙は階段の上がり口の小鳥の巣の形をしている赤と白で塗った郵便箱の中に入っていた。箱の上のきつつきがひっくりかえっていて蓋があいていた。私はそれでも、ふつうなら箱の中をのぞかなかったかもしれない。自宅に手紙がとどくことはほとんどないのだった。」

清水訳の小鳥の巣の形をした赤と白で塗った郵便箱というのは、想像することすら難しい。これは、巣箱と訳すのが自然だ。では、村上訳が正しいのだろうか。ひとつ疑問なのは、スィング・アームの訳し方である。

我が家にも東急ハンズで買ったmaid in USAのmailboxがあるのだが、それにも赤いスィング・アームがついている。郵便物が入っていますよ、というしるしに、それを上げておく腕木である。アメリカの郵便事情に詳しいわけではないが、何でも彼の地では郵便局が日本のように近くにあることはまれで、そのため、自分が出したい手紙も自宅ポストに入れておき、郵便物が入っているというしるしに腕木を上げておくと配達夫が、それを回収していくのだと聞いたことがある。

ここでいう “swing arm”は、その腕木を指すのではないだろうか。箱の上についたキツツキの翼と訳すのは少し無理があるように思う。それとも、アメリカ暮らしの長い村上氏のことだ。どこかで、そんな郵便受けを見たことがあるのだろうか。もし、そうなら、とんだ言いがかりということになるのだが。

12章の終わりに、これは清水氏訳のほうだが、あきらかに誤訳と思われる箇所がある。原文はこうだ。

“When I got home again I set out a very dull Ruy Lopez and that didn't mean anything either.”

清水氏はこう訳している。

「家へ帰ると、ルイ・ロペスのものういメロディのレコードをかけたが、やはりなんの感興もおぼえなかった。」

ルイ・ロペスという名前に聞き覚えがなければ、ラテンか何かの楽団と思いこんでしまうこともあるかもしれない。“set out”が、レコードをターン・テーブルに載せるという意味に思えてきて、“dull”がものういメロディを引き寄せたにちがいない。

しかし、少しばかり不注意のそしりは免れない。マーロウは、これまでにもたびたびチェスについて言及している。過去の有名なプレイヤーの棋譜相手にヴァーチャルな対戦をおこなっているのだ。ルイ・ロペスというのは、よく知られたチェスの定跡の創始者にして、その定跡の名前でもある。ちなみに村上訳ではさすがに正しく訳されている。

「再び帰宅し、ひどくだらだらしたルイ・ロペス(チェスの古典的な開始法)にとりかかったのだが、こちらにも集中できなかった。」

家でテリーのためにコーヒーを淹れ、煙草に火をつけるという別れの儀式を執りおこなった後、町に出かけ、映画を見てから帰宅したので、「再び」が入っているのだろうが、村上氏のこうした一字一句ゆるがせにしない訳しぶりが、まだるっこしく思われることもある。清水訳に軍配を上げる人は、そのテンポのよさを買っているのだ。

ネットで検索をかければ、たちどころになんでも情報が得られる今とちがって、専門的な分野についてはいちいち資料にあたるしかなかった初訳当時の苦労が忍ばれるエピソードである。人名辞典にルイ・ロペスの名は載っていなかったのだろう。