marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

第20章

ロング・グッドバイ
マーロウは、ウェイドを車に乗せ、アイドルヴァレーに送り届ける。ヴァリンジャーは車の中のウェイドに「借りた金は必ず返すから」となおも食い下がる。そのヴァリンジャーにウェイドは言う。

“Like hell you'd pay it back,”Waid said wearily.“You won't live long enough. One of these nights Blue Boy will kill you in your sleep.”

「君には絶対返せないだろうね」ウェイドはうんざりしたように言った。「君はそんなに長くは生きられない。いつかの晩、君が眠っているうちにあのかわいこちゃんが君を殺すだろうからさ。」素直に訳せば、こんな訳か?

このはじめの文を清水は、「返す気持はあるだろうさ」。村上は「ああ、きっと耳をそろえて返済してくれるだろうよ」と訳している。辞書には、相手の言葉を否定したり、信じないという意味の返答をしたりする場合“like hell”が文頭に来る、とある。二人とも、言葉としては相手の言葉を肯定しているように書くが、続く文であっさりそれを否定してみせる。上級者の翻訳とは、こういうものかというお手本。

それに対するヴァリンジャーの言葉。

“There are more unpleasant way to die, ”he said.“I think yours will be one of them.”

「それよりももっとひどい死に方が世の中にはある」と彼は言った。「あなたの死に方もそのひとつだろう」(村上)。「もっと不愉快な死に方がいくらもある。君の死に方はきっとその一つだ」(清水)。会話の途中に挿入される地の文を略したことを除けば、これは清水訳の方が原文に忠実。皮肉と嫌味の応酬合戦は、ヴァリンジャーの勝利としておこう。

さすがに後味が悪くなったのか、ウェイドは、マーロウに同意を求めるように訊く。

“Why should I give that fat slob five thousand dollars?”

「なぜあいつに五千ドルやらなければならないのだろう」(清水)。「なんであんなでぶの間抜けに五千ドルもくれてやらなくちゃならない?」(村上)。“fat slob”を例によって清水は飛ばしている。

これに対するマーロウの答えがにべもない。“No reason at all.”金を貸してやることくらいできたのに、それをやらなかった自分に自己嫌悪を感じているウェイドは、マーロウに何か言ってほしいのだ。いつもは饒舌なマーロウが、ここでは寡黙に徹している。

ハイウェイを走る車の描写が続くが、小さな箇所で清水訳ではっきりしなかったところを村上訳がはっきりさせている。例えば“turn-off”を、単に「曲がり角」とする清水に対し、村上は「ハイウェイの降り口」と訳している。アイドルヴァレーのような高級住宅地に入っていくためには、まずハイウェイを降りなければならないはず。LAのような街では、ハイウェイやフリーウェイをいくつも経由しないと目的地には着かない。地図を見ながら小説を読むような読者には、丁寧な訳がありがたい。次もそんな例の一つ。

“We turned the flank of a hill”「車が丘のふもとを廻ると」(清水)。「我々は丘の中腹に入った」(村上)。車が走っているのは、丘のふもとなのだろうか、中腹なのだろうか。

車はウェイドの家に着いた。その家とは“It was a two-story over-all shingle house ”。「一枚屋根の二階建て」(清水)。「隅々までこけら板で建てられた二階建ての家屋」(村上)。一枚屋根というのがよく分からない。これは、清水氏のシングルのとりちがえだろう。“h”の入ったシングルは「こけら板」を指す。神戸の北野異人館にある「うろこの家」のようなものか?

別れ際にアイリーンが言う礼の言葉に一滴落とされたビターの味わいが清水訳に抜けているのが惜しい。

“Goodnight Mr.Marlowe.And thank you so very much for almost everything.”

「おやすみなさい、マーロウさん。あなたがしてくださったことのすべてにお礼を申し上げますわ」(清水)

「おやすみなさい、ミスタ・マーロウ。心から感謝しています。ほとんど(傍点四字分)すべてのことに対して」(村上)

なぜ“almost”を、清水氏は飛ばしたのだろう?実は、マーロウはこの少し前に、アイリーンの唇を奪っている。それだけが余計なことだという意味の“almost”だろうに。村上氏がわざわざ傍点を振っているのは、そこに気づかせたいからである。こんなにわざとらしい村上氏は珍しい。村上訳は、清水訳の小さなほころびをこつこつとていねいにつくろっていく作業の繰り返しだ。野球にたとえるなら、犠打やバント、内野安打で点を稼ぐスタイル。それがここにきてホームランによる得点を果たした。傍点は村上氏のガッツポーズなのだ。