marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

第50章

一時間後、二人はまだベッドのなか。裸の腕をのばしてマーロウの耳をくすぐりながらリンダが「結婚しようと思わない?」ときく。よくもって六ヶ月だろう、というのがマーロウの返事。あきれたリンダは、人生に何を期待しているの、起きるかもしれないリスクに対する完全な保障?と、マーロウをなじる。それにこたえてマーロウが言う。

“I’m forty-two years old. I’m spoiled by independence, You’re spoiled a little―not too much―by money.”
清水訳
「ぼくはことしで四十二になるまで、自分だけを頼りに生きてきた。そのために、まともな生き方ができなくなっている。その点では君も少しばかりまともじゃない――ぼくとちがって、金のためなんだが」
村上訳
「私は四十二歳になる。一人でやっていくことに慣れすぎてしまった。そして君は金持ちであることに、少しばかり慣れすぎてしまった。すっかり(傍点四字)とは言わないまでも」

「スポイルされる」という言葉は日本語にもなっている。親などに甘やかされたせいでだめになってしまった子どもに対してよく使われる言葉だ。つまり、マーロウは独り暮らしの気儘さに、リンダは金で何でも自由になる気儘さに慣れすぎたことにより、結婚生活の持つ、ある意味拘束される生活に耐えられなくなっていることを言いたいのだ。

リンダも引かない。私は三十六になる。金のあることは恥ではない。それに金持ちだって永いことはない。次の戦争が終わったらまともな者は税金で丸裸にされ一文なしになってしまう。飛行機でパリに行って楽しみましょう、と。ここにも戦争が影を落としている。マーロウは自分の結婚観を語る。

“After twenty years all guy has left is a work bench in the garage. American girls are terrific. American wives take in too much territory.”

清水訳
「二十年もたってみたまえ。男に残されているものは車庫のなかの腰かけぐらいのもんだ。アメリカの女性はどう考えてものさばりすぎるからね」
村上訳
「結婚して二十年もたてば、男の手に残されているのは、ガレージの作業台くらいのものさ。アメリカ娘は素敵だよ。しかし彼女たちはいったん奥さんになると、すべてを指図するようになる」

なんともネガティヴなマーロウの結婚観であり、(アメリカ)女性観だが、清水氏はベンチの前にあるワークを読み落としているようだ。ワーク・ベンチは、大工仕事用の作業台でDIY好きのアメリカ人にはお馴染みのアイテム。余暇といえば、これの前で一日を過ごす男性は多い。村上訳でまちがいはないのだが、原文をよく見てみよう。
American girls are terrific.
American wives take in too much territory.
この二文は対句になっている。しかも文末は頭韻を踏んでいる。日本語訳もそれを生かすことを考えると、次のように訳せる。
拙訳
「二十年後、男に残されているのは、車庫のなかの作業台くらいのものさ。アメリカ娘は素敵だが、アメリカ夫人は無敵だ。家のなかのほとんどが彼女の領土になっている」

マーロウはそれに続けて言う。
“it would be just an incident to you. The first divorce is the only tough one. After that it’s merely a problem in economics. No problem to you.”
清水訳
「君にとっては結婚も離婚も日常茶飯のことなんだ。誰だって、最初の離婚のときはなやむだろうが、二度三度となると、経済的の問題だけになる。それは君には問題じゃない」
村上訳
「君にとってそれは人生のただのひとこま(傍点四字)に過ぎないだろう。離婚もきついのは最初の一回だけだ。二回目からは単なる財政的な問題に過ぎなくなるし、君にとっちゃそんなもの痛くも痒くもない」
“incident”は「日常茶飯」なのか「人生のひとこま」なのか。どちらにせよ、リンダにとってのそれは「一大事」ではなく、通り過ぎてしまう「一挿話」のようなものだ、とマーロウは言いたいのだ。それにしても「経済的の問題だけになる」という訳は、流暢な日本語を操る清水氏らしくない。もしかしたら誤植か。

自分のことなんか、十年後、通りですれ違ってもどこで会った人だったかと思うくらいのもの。もし気がついたとしてのことだが、と続けるマーロウにリンダはあきれる。
“You self-sufficient, self-satisfied, self-confident, untouchable bastard. I want some champagne.”
清水訳
「あきれたわね。手がつけられないおばかさんだわ。シャンペンをちょうだいよ」
村上訳
「あなたは自己満足、自己充足、自意識過剰の権化、お高くとまったならずものよ。シャンパンをちょうだい」
相変わらず、清水氏の訳はあっさりしている。三回繰り返す強調は、チャンドラー愛用のレトリックらしいが、繰り返される「自己」という言葉に、マーロウの自己意識の強さに辟易しているリンダのいらだちがよく出ている。それに応えてマーロウが吐く次の台詞も難しい。

“This way you will remember me.”
清水訳「こんなつきあい(傍点四字)をしてれば、君もきっとおぼえてるよ」
村上訳「きっとそういう文脈で思い出してもらえるかもしれない」
十年後、自分のことを思い出してもらえるとすれば、こんな方法によってだろう、という意味。村上訳は本で読んでいるとおかしくはないが、会話の中で「文脈で」などと使うだろうか。皮肉たっぷりの悪口の応酬は、他愛ない口喧嘩のようでいながら、痴話喧嘩の域をこえ、互いの本質を的確に言い当てている。リンダがマーロウを覚えているとすれば、たしかに、こうしたやりとりをおいて外にない。

“Conceited too. A mass of conceit. Slightly bruised at the moment. You think I’ll remember you?”
清水訳
「大へんな自信家だわね。私があなたをおぼえてると思う?」
村上訳
「自惚れも強いのね。まったく自惚れのかたまり。今のところは少しばかり傷を負っているみたいだけど。ねえ、私があなたのことをいつまでも覚えていると、本気で考えているわけ?」
マーロウの自惚れについた少しの傷について、リンダの悪口を忠実に訳した村上氏に比べ、あっさりと流した清水氏はここもスルーしている。

どこまでも自分の流儀を貫こうとする男は結婚なんかするべきではない。一方、そんな男を自分のものにするには、男の自我を相対化するしか手はない。リンダがここでやっているのは、そういう作業である。だが、マーロウは意外に手ごわい。手を変え品を変え、リンダは口説く。今度は金持ち女らしく、世界だってあなたに買ってあげる、もし離婚してもあなたは殺風景な事務所に戻らなくてすむようにしてあげられる、と。

“How would you stop me? I’m not Terry Lennox.”
清水訳「どんな生活をしようと、ぼくの勝手さ。ぼくはテリー・レノックスじゃない」
村上訳「戻るか戻らないかは自分で決める。テリー・レノックスとは違う」
どちらも、かなりの意訳である。「(もとの暮らしに戻ろうとする)ぼくをどうやってとめるつもりだい?」というのが直訳。リンダはテリー・レノックスの義姉である。妹は金の力で夫をつなぎとめていたが、自分はテリー・レノックスとはちがう、と言いたいマーロウ。

“Please. Don’t let’s talk about him. Nor about that golden icicle. the Wade woman.”
清水訳「おねがい。あのひとのことはいわないで。ウェイドの奥さんの話もしないでちょうだい」
村上訳「お願いだから、あの人の話は持ち出さないで。それからウェイドという名前の、あのつらら(傍点三字)のような女のことも」
アイリーンに対する強い嫌悪感をにじませるリンダの修飾語も清水氏はカットしている。

I’ve paid you the greatest compliment I know how to pay. I’ve asked you to marry me.”
清水訳「私がこれだけいっているのがわからないの。結婚してくださいといったのよ」
村上訳「私は自分にとって何よりも大事なものをあなたに差し出したのよ。結婚してほしいって頼んでいるのよ」
“compliment”(賛辞)という単語が問題である。というのは、これを受けてマーロウが呟く次の台詞にも同じ単語が使われているからだ。
“You paid me a greater compliment.”
清水訳「それ以上のことをしてくれたからね」
村上訳「君はそれ以上のものを差し出してくれた」
いったい、マーロウがもらったもの、リンダが差し出したものとはなんだろう。これらの訳で読者に分かるだろうか。禅問答みたいなやりとりが終わると、今まで気丈に振舞っていたリンダが泣き出す。つまり、このマーロウの一言は決めゼリフだったというわけだ。リンダが“greatest compliment”(最高の賛辞)と考えているのは、プロポーズのことである。リンダほどの女性からのプロポーズであれば男にとって最高の賛辞といっていいだろう。いやむしろ贈り物と訳すほうがいいかもしれない。それに対して、マーロウが比較級を使って、それ以上の“compliment”と言っているのは、文字通りの賛辞、つまり“the only man who turned me down”(私を拒んだただ一人の男)という言葉ではないだろうか。

“Her cheeks were wet. I could feel the tears on them.”
清水訳「頬に涙が流れた。涙は私の頬にもつたわってきた」
村上訳「彼女の頬は濡れていた。涙が指先に感じられた」
“tears on them” なのだから、涙を感じたのは、私の頬ではないだろう。

ひとしきり泣いたリンダは化粧をなおしに洗面所に行き、帰ってきたときは微笑を浮かべていた。明るくした居間に、マーロウはシャンパンを運んだ。
“I’ll introduce myself,” I said.“We’ll have a drink together.”

清水訳「いっしょに飲もう」と私はいった。
村上訳「私がどんな人間か、少しずつ君に見せていこう」と私は言った。「また二人で一緒に飲もう」
清水氏はあっさりカットしているところ、村上氏はずいぶん意を尽くして訳して見せるが、マーロウは、これから先もリンダとつきあっていくつもりなのだろうか。ここは、ひとつ前のリンダの言葉「六ヵ月後にはきっとあなたの名前だって覚えていないでしょうね」を受けての言葉と採りたい。つまり、名前を忘れているのだったら、もう一度、「自己紹介からはじめるさ。一緒に飲もうよ」という気分なのでは。

翌朝、リンダを送り出した後の枕カバーに一筋の髪の毛を見つけた場面でマーロウのもらす感慨は、有名な台詞となっている。
“The French have a phrase for it. The bastards have a phrase for everything and they are always right. ”
“To say goodbye is to die a little.”
清水訳
「こんなとき、フランス語にはいい言葉がある。フランス人はどんなことにもうまい言葉を持っていて、その言葉はいつも正しかった」「さよならをいうのはわずかのあいだ死ぬことだ。」
村上訳
「フランス人はこのような場にふさわしいひとことを持っている。フランス人というのはいかなるときも場にふさわしいひとことを持っており、どれもがうまくつぼ(傍点二字)にはまる」「さよならを言うのは、少しだけ死ぬことだ。」
どちらもいい訳だと思う。清水訳が捨てがたいが、原文に忠実に、しかもすっきりと訳したい。
拙訳
「フランス語に、いい文句がある。彼奴らはどんなことにもいい文句を持っていて、それらはいつも正しい」「さよならと言うのは、少しだけ死ぬことだ」