ミュリエル・スパークの最高傑作と言っていいだろう。毒のある口吻、媚びない生き方、友人とのさばけた交際ぶり、鋭い人間観察力、人生に対する肯定的な姿勢。主人公フラーの人物像は、よく知られる作家スパークのそれにぴったりと重なる。それもそのはず。この小説は、著名な作家フラー・トールポットの回想録の形をとっている。当然のことながら作中には小説家による芸術論や小説作法が度々披歴される。作家がいちばんよく知る作家はミュリエル・スパークに決まっている。
二十世紀の半ばごろのロンドン。作家志望のフラーは、友人の伝手で準男爵サー・クウェンティン・オリヴァーの秘書に採用される。サー・クウェンティンは、自伝を書きたい人が集まる自伝協会を主宰しているが、著述については全員素人で、フラーには原稿の手直しを含む仕事が待っていた。手始めに協会員の一人サー・エリックの幼少期の出来事に潤色を施すとクウェンティンは、たいそう気に入った様子を見せる。
当時、フラーは初めての小説『ウォレンダー・チェイス』に全身全霊で打ち込んでいた。協会の仕事を始めると、屋敷の住人との出会いが影響したのか、物語に不可欠な人物や状況、あるいは映像や言葉が、次々と浮かび出てくる。慇懃無礼なクウェンティン、感じの悪い家政婦ベリル、クウェンティンの母親で鉤爪を生やし、何かというと失禁する老女レディ・エドウィーナ等々。中でも、突然部屋に入ってきては息子を罵倒するエドウィーナのことが大好きになる。
フラーは親友のドティの夫レズリーと不倫中だったが、当のレズリーはほかに男の愛人を隠していた。愚痴を言いに部屋を訪れるドティのせいで小説が進まないフラーは、ドティに協会入りを進め厄介払いする。『ウォレンダー・チェイス』が書きあがり、出版の話が持ち上がるが、協会の方から横やりが入り業者が契約を解除すると言い出す。フラーの小説が協会員の秘密を暴露しているというのだ。どうして小説の内容が知れたのか、部屋を調べてみると自筆原稿が盗まれていた。
サー・クウェンティンは、ある時から会員の自伝のための資料をフラーから遠ざけるようになっていた。フラーは、クウェンティンは会員の隠しておきたい秘密をネタに強請りを企てようとしているのではないかと考える。だが、目的は金ではなかった。その頃から会員の様子が目に見えておかしくなってきていた。そして、会員の一人で元社交界の花形レディ・ギルバートが自殺する。不思議なことに、フラーの書いた『ウォレンダー・チェイス』をなぞるように。
「事実は小説より奇なり」というが、虚構が現実に力を揮うことがあるのだろうか。小説家が書いた通りに人々が動き出す。ミステリめいた謎をはらんで小説は進んでゆくのだが、デビュー作を執筆中のフラーについて書いている現在のフラー(話者)が、何かというと口を出し、物語は脇道にそれる。作家が目にし、耳にしたことがどのようにして小説になっていくのかという、いわば作家の秘中の秘を、惜しげもなく披露する部分が面白い。作家志望の読者ならむろんのこと。小説好きの読者なら、うんうん、なるほどと首肯しつつ読むこと疑いなし。
サー・クウェンティンは、自伝の執筆を名目に協会員の告白を聞くことで、相手の弱みを掌握して良心に揺さぶりをかけ、自責の念を必要以上に増大させ、相手を精神的に支配しようとする。事実を脚色した虚構の自伝がそのネタだ。世事に疎い上流人氏は手もなくクウェンティンの言いなりになる。一方、フラーは、自分の小説の登場人物に命を吹き込もうと、協会員の一挙手一投足を観察し作品中に実体化していた。二人のしていることは現実と虚構の違いはあれど、世界を創出し、その中に人間を放り出すという神の行為の模倣である。
ミュリエル・スパークならではのカリカチュアライズされた人物の巻き起こす騒動がけっさくで、次から次へと飛び出すフラーの皮肉や毒舌たるや人を人とも思っていない傲岸不遜ぶり。それでいてエドウィーナや友人ソリーのように、好きな相手にはとことん心を寄せる、その落差が半端でない。ドティとのつきあい方もかなり変だ。大体、友達の夫を寝取っておいて、愚痴をこぼされると、「時間で貸してよ」などと開き直る女がどこにいるというのだ。
デビュー作を完成し、出版にこぎつけるまでの苦労を経糸に、虚構と現実の不思議な一致という、創作にまつわる神秘を緯糸にして織り上げたタペストリーならぬ芸術家小説。訳者がいみじくも喝破した通り、スパーク版『若い芸術家の肖像』である。ジョイスお得意の顕現(エピファニー)もちゃんと用意されている。1950年の六月末日。「二〇世紀の折り返しとなったこの日は、まさにいま女性であり、芸術家であることが、いつにも増して素晴らしく思えた」。
墓地で詩作中、警官の不審尋問にあった場面から始まった小説は、同じ場面のところまできて終わる。この日を境にフラーは本物の小説家となる。人生の晩年に差しかかった作家が、煩悶に満ちた若き日々を懐かしく思い出しながらも、そこはミュリエル・スパーク、感傷や哀惜といった悪弊に陥ることなくピリッとした辛味を効かせ、極上のメタフィクションに仕立ててみせる。余韻の残る結末にカソリック作家ならではの感懐がにじむ。おみごと!