marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

金木犀

秋らしい日が続いたので、暑い間はやめておいた自転車通勤に切り替えた。

健康によく、経済的でもあり、何より小さい町では使いやすい自転車だが、今年の夏の暑さにはほとほとまいった。勤務先まで自転車のペダルを漕いでいったら、汗だくでそのままではとても仕事につけない。シャワールームがあるようなしゃれた職場でなし、汗くさいシャツがエアコンで乾くまで待つというのはとうてい我慢できない。

そんなわけで、玄関で埃をかぶっていた自転車もやっと外に出してもらえたというわけである。めっきり涼しくなったので、朝のうちはシャツ一枚では肌寒いほど。高台にある我が家から市街地に行くには、往路はくだりばかり。ペダルを漕ぐにも力はほとんど要らないので、なかなか身体があたたまらない。

バス通りから脇道に出る分かれ道に一軒の古びた家がある。以前は旅館を営んでいたようだが、早くに廃業し大学生相手の下宿屋をしていた。今ではすっかりあばら屋となり、住む人もいないようだが、玄関先の金木犀だけは今でも季節になると見事な花をつける。

車に乗っていると、気づかずに通りすぎるのだけれど、自転車で通りかかると、秋の朝まだきの冷たい空気に乗って、その香りが鼻腔から肺の奧まで入りこんでくる。小学生時分の運動会を思い出す。最近では、運動会も九月中に行われるようだが、以前は金木犀の花の咲くころに開催されていたように思う。

「木犀香る校庭に」という歌詞のついた歌をずっと校歌だとばかり思いこんでいたのだが、改築された母校の玄関前には、まったく別の歌詞が石碑に彫り込まれていた。人伝に聞いたところでは、自分の覚えていた歌詞は、運動会の歌だったようだ。運動会に歌う特別な歌があったなんてことは覚えていないが、そんなこともあったのかもしれない。

すっかり外遊びをしなくなった子どもたちは、金木犀の香りを嗅ぐと「トイレの匂いがする」と言うらしい。芳香剤に付けられた人工的な香りのほうに慣れているからだ。

遊び疲れ、すっかり暗くなった道にどこからともなく匂ってきた金木犀の香りの記憶が忘れられない。まだ、夜が暗かった時代の話である。