marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

『ドリフトグラス』サミュエル・R・ディレイニー

ドリフトグラス (未来の文学)
四六版二段組で約六百ページの短篇集。本邦初訳や新訳を含むSF、ファンタジーのジャンルに属す短篇小説が十五篇、それに「あとがき」のあとに、唯一の中篇「エンパイア・スター」(新訳)が収められている。ディレイニーに馴染みのある読者なら収録順に読むのが順当だが、巻頭の「スター・ピット」に抵抗を感じる向きには、後ろから読むことをお勧めしたい。猫好きだったらディ=クという名の仔悪魔猫が重要な役割を受けもつ巻末の「エンパイア・スター」がお勧め。未熟な若者が成長してゆく姿を描く人格形成小説(ビルドゥングス・ロマン)と、二大勢力の長きにわたる宇宙戦争の経緯を描くスペース・オペラが一つになった構成で、ディレイニー初心者にもとっつきやすい。

神のごとき全知視点を持つ結晶体ジュエルが語るコメット・ジョーの物語は、時の裂け目をくぐることで、並行世界ならぬ多観的(マルチプレックス)な世界を何度も生きる人々を描く、いかにもSFらしい稀有壮大なロマン。売り出し前のボブ・ディランに前座をつとめさせたこともある元フォーク・シンガーのディレイニーらしく、オカリナとギターのセッションが繰り返し重要な場面に登場するのも愉しい。エリオットの詩句や、オスカー・ワイルドとダグラスの引喩、多様な語りの文体の採用といった文学的技巧も駆使され、SFファンでなくてもその面白さを堪能できる仕上がりとなっている。

逆にニュー・ウェイブの旗手と呼ばれたディレイニーらしさを味わうなら巻頭の「スター・ピット」だろう。今は、スター・ピットで宇宙船の修理格納庫を自営するヴァイムには捨ててきた過去があった。過度の飲酒癖が災いし、幼い息子を置いてコロニーを出たのだ。その原因が生態観察館(エコロガリウム)。生態サイクル学習用の「水槽」だ。その時代ゴールデンと呼ばれる一部の人間を除き、スター・ピットを越えて宇宙へ出ることは不可能だった。外に出れば狂死する運命にある自分と閉鎖空間に生きるエコロガリウム内の生物のアナロジーがヴァイムを苦しめる。閉鎖的サイクルからの脱出願望とその不可能性を主題とする「スター・ピット」に横溢する遣り場のない閉塞感は黒人の同性愛者である作家自身のものであろう。

ライヴァル関係にあるロジャー・ゼラズニイのスタイルを模した「われら異形の軍団は、地を這う線にまたがって進む」は、ヘルス・エンジェルスまがいの集団がコンミューンを営むカナダ国境地帯が舞台。全世界動力機構に属し、電力網整備に携わる主人公の、反動的なマイノリティに寄せる共感と任務との間で生じる葛藤を主題とする異色作。分かるものには分かるゼラズニイ的要素をふんだんに盛り込んだ文体模倣が見もの。蝙蝠状の翼を持つ翼輪車(プテラサイクル)「箒の柄」で月に向かって上昇し、エンジンを切った後の滑空にどこまで耐えることができるかを競うチキン・レースなど、他の作品とは明らかに異なる視覚イメージに多才さを再認識させられる。

ヨーロッパ放浪中、原稿料を使い切ると海老漁船に乗って稼いだ経験がそうさせるのか、主人公には漁師はもちろん、手を使う仕事に従事する人物が多い。肉体と技術を駆使して危険な作業に携わる「男」(トランス・ジェンダー的世界を描くことも少なくないので括弧つきだが)の仕事上の葛藤や、そこから解放され、他者と交わるときに感じる開放感や軋轢、といった心理は、SFに限らず、どんな小説にあっても物語を先に進めてゆくための推進力となるものだが、ディレイニーが描くとそこには詩的な美しさが現出する。命を賭けて海底の谷間に電力ケーブルを設置する両棲人の傷だらけの栄光と挫折を描く表題作「ドリフトグラス」。旧世界の神とキリスト教の神の暗闘に、狭い島に生きる青年の懊悩を絡ませた「漁師の網にかかった犬」。これら海に生きる男の背中に漂う悲哀は、まるでギリシア由来の神話や悲劇を見るようだ。

SFは高校時代に友人の勧めで一通り読んだが、あまり好い読者ではなかったと記憶している。だから、ディレイニーについても全く知らなかった。新聞の広告を読んで久しぶりに興味が湧いたというのが正直なところだ。読んでみて驚いた。とてつもなく面白い。しかも発表された年代は60年から70年代というのに、少しも古臭くなっていない。軋みを上げる体制になすすべもなく翻弄されている現代に比べ、抑圧に対し真摯に悩み、果敢に行動する人間を描いている点、むしろすぐれて今日的といってもいい。長篇『ダールグレン』も是非読んでみたいものだ。