marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

『屋根屋』村田喜代子

屋根屋
上手いタイトルをつけたものだ。上から読んでも下から読んでも、右から書いても左から書いても同じ漢字を使った最短の回文「屋根屋」である。もっとも、作者が名うてのストーリー・テラーとして知られる村田喜代子。この人の書くものならタイトルが何であっても手にとるだろう。空を飛ぶ恋人たちやロバの絵で知られるシャガールの絵を表紙に使って、シャレた本が出来上がった。

「私」は、北九州市に住む専業主婦。夫はサラリーマンで、休日はゴルフ三昧。息子は受験勉強とテニスの部活に忙しい。新しく東京に建てる電波塔の名が「東京スカイツリー」と決まった梅雨に入ったばかりの頃、築十八年の木造二階建てのわが家に雨漏りが始まった。素人の夫では手に負えず、専門業者がやってきた。

「永瀬工務店」は、屋根専門の工務店。永瀬は以前寺社の屋根修復に関わっていたが、長期に及ぶ仕事中に妻が入院、勝手に休むこともできぬまま妻は息を引きとり、死に目に会えなかった。それ以降、大屋根の端から飛び降りたくなる強迫神経症を病み、医者にその日見た夢を記録する日記をつけることを言い渡され、そのお陰で快癒。夢日記はその後も続けること十年、今に及ぶという。

夫と一人息子が出かけた後、週日の日中を独り過ごす「私」は、毎日やってくる屋根屋との休憩時の茶飲み話を楽しみにするようになる。屋根屋は長年の修練で夢を自在に見ることができるという。そんなある日、夢でフランスのとある町の屋根の上にいたことを話したついでに「私」は、屋根の夢が見たいと口にする。永瀬は「私がそのうち素晴らしか所へ案内ばしましょう」と言うのだった。

ここまでなら社交辞令ですむ。ところが、次に会った時永瀬は、自分が見たい夢を見るには、見たい夢の体験を作ることだと言い、手帖を破るとその一枚に福岡市にある寺の所番地を書いて手渡した。近くの高いビルの上から屋根を見るのだと。実際に足を運んだ時点で、女は男の術中に陥ったと言えるかもしれない。次は、夢を思い出しやすいレム睡眠中に覚醒するため、いつもより一時間早く目覚まし時計をセットして眠るように、と永瀬は電話で指示を出した。後は、夢の中で会いましょう、と。

家族にかまってもらえないことで不満を燻らせていた専業主婦が、無意識の裡に募らせていた自分のことを見てほしい、という願望が識閾を超えて噴出したと見るべきだろう。たとえ、夢の中とはいえ、夫以外の男と逢瀬を楽しむことに、女は何の葛藤も感じていない。ところが、夢の中、ネグリジェ姿で寺の大屋根の上で男を待つ女の上に現われたのは、咆哮する金茶の大虎だった。消え去った後で屋根屋が言うには、心の隅で思っていたご主人が出て来たのだろう、と。罪の意識はあったのだ。

一度味をしめるともう止まらない。次は奈良にある瑞花院吉楽寺。瓦に落書きがあることで知られる古刹である。ここでは、オレンジ色の火の玉に脅かされる。どうやら屋根屋の死んだ妻らしい。どちらも疚しさを感じつつの道行きなのだ。極め付きは連続夢を使ったフランス旅行だ。シャルトルやアミアンの大聖堂の屋根を見てみたいと言う屋根屋の夢につきあって、毎晩夢での逢瀬を楽しむ「私」。二羽の黒鳥になって大空を飛ぶうちに屋根屋は、いっそこのままここで暮らさないかと女を誘う。男性読者としては、お気楽な夫に注意してやりたくなるが、同様の不満をかこつ女性読者なら、このまま突っ走れと応援するところかもしれない。

なにしろ夢の話だからフランスにだって行ける。豪華なホテルに宿泊し、料理だって味わえる。それどころか、鳥になったり、透明になったりして成層圏近くまで上昇し、ヒマラヤ山系の上を飛んで日本に帰ってくるという豪華な旅が家にいながら楽しめるのだから、考えようによっては最高である。しかし、部屋こそ別とはいえ、連日夫以外の男と海外旅行を楽しんでいるのだ。夢であることを自覚しながら見る夢を「明晰夢」という。この明晰夢の危険性の一つとして現実との区別が付かなくなることがあると言われている。「夢うつつ」の毎日が過ぎるうちに「私」が陥る危険とは…。

かつては、時々見た「空を飛ぶ夢」をほとんど見なくなった。フロイトの性的欲望説をとるなら、まあ当然と言っていいし、ユングの現実逃避や希望の拡大説をとっても、今更これといった希望もなければ、受け容れられないほど苛酷な現実もない。しかし、主人公のような立場にある人物なら、どうだろう。地方都市の住宅地にいて、夫も息子も自分のことに忙しい。自分のアイデンティティをすべてかけるほどの趣味もない。自分の知らない世界に住む強烈な個性を持った異性が現われれば、まして現実ではない夢の中の逢瀬なら、心が動くのは当然だろう。

「夢オチ」というのは、極めて安易な解決の手法であって、村田喜代子ほどの作家がそんな結末を採用するはずはないが、どうするつもりか、と楽しみにしながら最後まで読んだ。なるほど、こうきましたか、という結末に上質の怪談を読む喜びを感じた。すべてが終わった後に背中に残るざわつく感じ。読書の愉しみをたっぷり堪能させてくれる一冊。

『アルグン川の右岸』遅 子建

アルグン川の右岸 (エクス・リブリス)
物語の舞台となっているのは、中国内モンゴル自治区とロシア国境を流れるアルグン川の東岸。かつて日本が満州国と呼んで支配していた土地で、中国最北端の地である。語り手はその地に長く暮らすエヴェンキ族の最後の酋長の妻で齢九十歳をこえる。エヴェンキ族は、古くからバイカル湖周辺一帯にトナカイを飼育しながら狩をして暮らす狩猟民族であったが、ロシア人により迫害され、アルグン川を渉り、その右岸に逃れ住んでいた。

二十世紀に入ると、アルグン川右岸は時代の波に翻弄されるように、清国、中華民国、日本軍の対ソ連前線基地、中華人民共和国と次々に新しい国家によって支配されるようになる。厳しくとも豊かな自然環境のなかで、民族の伝統を守り、季節によって餌となる苔や草木を求めて移動するトナカイの群れとともに、獲物を求めて狩を続けるエヴェンキ族であったが、自然とともに生きる彼らにも、時代の流れは押し寄せてきていた。あれほど豊かであった森林は伐採され、原野に道路が切り拓かれ、トナカイの群れを鉄条網に囲うという国家の政策が待ち受けていた。

狩猟民族であるエヴェンキ族にも、健康や教育文化振興という名の下に、猟銃の保持が禁止され、居留地への定住化を推し進める力が迫る。最後の酋長ワロジャを亡くした部族は、その妻であった語り手と孫一人を残し、皆山を下ることになる。話をするのも聞くのも嫌いなアンツォルにではなく、シーレンジュを打つ雨や囲炉裏の火に語りかけるように、老婆は自分が産まれた頃から、今に至る一族の歴史を話し出すのであった。

エヴェンキ族は、シャーマンの語源であるサマンと呼ばれる祈祷師を中心とした一族で集団を作り、その住居はシーレンジュというテント式の小屋である。トナカイの背に荷や人を乗せて移動し、熊やキタリス、ヘラジカ、あるいは川魚や鳥を獲って食料とし、白樺の樹皮から取れるものを、衣食住に利用し、信仰にあつい氏族である。ただ、自然は時に過酷であり、語り手の姉妹も冬の厳しい寒さの中で命を落とす。そんな中、氏族の温かな目に見守られ、少女は成長し、やがて夫となる人を見つける。

目次の後に「人物相関図」という樹形図が付されているが、なるほど、これがなければ誰が誰の兄であり、伯父であるのか、さっぱり分からぬくらい大家族の歴史を描いたもので、比喩的な言い回しを許してもらえるなら、氏族の一大叙事詩と言ってもいいほどの大河のような物語が、この樹形図のなかに封じ込められている。広大な自然の中、首長やサマンといった力のある者を中心として、氏族はまとまって暮らしているが、始終顔と顔をつき合わせて暮らしていかねばならない男と女の間には恨みつらみや妬みがつきまとう。

美しい者や力ある者ばかりが集まっているわけではない。中には、足を失った者、子のできない夫婦、妻のいない男、鼻の曲がった女や、口の歪んだ女もいる。また周囲も羨む美貌や腕力に恵まれた若者もいる。清冽な北の自然を背景に、それらの人々が、愛し合い、憎みあい、時には奪い、また逃げる。人にすぐれた能力を授かった者には、それゆえに耐えねばならない試練がつきまとう。サマンとなった義理の妹ニハオは、他人の命を救うために我が子の命を捧げる運命に逆らえない。人と人の間だけではない。人の代わりにトナカイの仔が死ぬこともある。

大昔から伝えられてきた言い伝えや祈り、呪いが、太古のままに力を残している氏族の生き生きとした暮らしぶりが、大自然の景観の中で時を越えてよみがえる。時折りはさまれる時事的な話題の何とつまらぬことか。しかし、その些末な人間界の出来事が、この美しい生活を今も生きる人々を追い詰めてゆく。川や、山を自分たちの言葉で名づけてゆく人々を、日本軍が、中国共産党が、戦争と革命の二十世紀のなかに、否が応でも引きずり込んでゆく。『アルグン川の右岸』一篇は滅びゆく者たちに捧げられた挽歌、といえるだろう。何と美しくも哀しい歌であることか。表紙を飾る大きな角を持ったトナカイの写真がじっとこちらを見つめるさまに胸を打たれた。その内容にふさわしい見事な装丁となっている。

『ケンブリッジ帰りの文士 吉田健一』角地幸男

ケンブリッジ帰りの文士 吉田健一
「序にかえて」を一読すれば分かるように、著者の吉田健一に寄せる思いは、単なる作家論の対象であることをはるかに超えている。初めてその文章に出会った時から実際にその謦咳に接するまで、まるで道なき広野を行く旅人が辿る先人の足跡のように、著者は吉田がその著書でふれた内外の書物を取り寄せては読み漁っている。それだけに、吉田健一その人と文学について、ここまで迫った論を知らない。

吉田健一の文章には独特のくせがあり、名文と評価する向き(三好達治草野心平)もあるが、恣意的な切れ目や、息遣いに合わせて適当に付される読点に狎れた現代人に、吉田のそれは、やたら迂回しては横道にそれたがりいつまでたっても結語にたどり着かないまだるっこしい書きぶりのように思えるかもしれない。しかし、それには後で述べるように深い意味がある。

吉田健一は、父茂の領事赴任に従って六歳で中国、七歳でパリと転地を繰り返し、八歳の歳ロンドンでイギリス人小学校に入学、十四歳で帰国するまで彼の母国語は英語であった。十八歳で再び渡英し、ケンブリッジ大学キングス・コレッジに入学する。そのとき受験勉強にシェイクスピアの『十二夜』全文を暗記したというから凄い。しかし、師であるディキンソンの教えに従い、在英わずか十ヶ月で帰国する。せっかく絶好の環境にあったのになぜ帰国を選んだのか、というのが角地の疑問である。

健一の帰国に関しては、清水徹の『評伝 吉田健一』に、「ある種の仕事をするには、故国の土が必要だ」というディキンソンの言葉が引かれているように、日本で「文士になるため」であったろうという了解がなされている。だが、それだけなら、無事卒業してからでも遅くはない。もっと切羽詰った理由があるのでは、と考えた角地が見つけたのは、「母国の喪失」だった。無論、この母国とは英国である。ケンブリッジで暮らす毎日が文化的に満たされた美しいものであればあるほど、健一はそこで自分がアウトサイダーであることを思い知らされたはず。そして故国喪失者は、何としても早急に新しい故国を発見する必要があった。吉田健一にとっては、それが日本であった。

では、当時の日本の文学的状況はどうだったのかといえば、英国で文学とは何かということを突き詰めようとしていた吉田の目から見れば、故国のそれは惨憺たるものであったというほかない。文学に文学でないものを求めるがゆえに、文学と呼ばれているものの中には文学でないものが大手を振って歩いていた。帰国した吉田の仕事は、それらと真っ向から対決することから始められた。

吉田健一の代表的な著作、『乞食王子』、『大衆文学時評』、『金沢』をとりあげ、その中からこれと思われる文章を引きつつ、当時の吉田がやらねばならないと思っていた仕事(上記「ケンブリッジ帰りの文士」)や、思いがけず成し遂げていたエクリチュールの達成(「乞食王子のエクリチュール」)、畢竟文学には読める本と読めない本しかないと喝破して見せた「シェイクスピアの大衆文学時評」、そして畢生の名著『時間』を書き上げるに至った契機となった小説執筆の秘密(「時間と化した物語作者」)にふれた四章に、著者はじめての本格的吉田健一論である「時間略解」を併せて収める。

吉田健一の文学について、その愛着を語った文学者は河上徹太郎中村光夫をはじめ、枚挙に暇がないが、ここまで、その文学が目指した志の高さ、思惟の深さについて触れ、引用の煩瑣を恐れることなく精密な考察を尽くした論をはじめて読んだ気がする。一読後、引用された吉田の文章をもう一度その本文の中で味わいたくなり、書架から『文学の楽しみ』を取り出し再読した。以前は難解とも感じた文章が嘘のように明快に読み取れることに驚きを禁じ得なかった。その文章がなにゆえ、難解と思われがちであるのか。それについて触れた吉田本人の文章を引用し、その答えとする。

我々には何か書く時に我々に既に持ち合わせがある言葉と文体で表せる範囲内に書くことを限る傾向があり、勢ひそれは他のものも書き、又読者の方でも大方の見当を付けて期待してゐることでもあるから書くのに苦労することがないのみならず出来上つた文章が解り易いといふ印象を与へる。(中略)併し我々が実際に或る考へを進めるといふのは話を先に運ぶ言葉を探すことに他ならなくてその上で言葉を得ることは考への進展であるとともにそれを表す文章の開拓でもあり、かうして考へが言葉の形で進んで終りに達した時にその考へも完了する。(中略)書く方は言葉とともに考へを進めるのであるよりも自分が得た言葉に導かれて一歩づつ自分が求めてゐることに近づき、これを読む方でも同じことをして書く方に付いて行くことになる。それは書くものにも読むものにも或る程度の努力を強ひずには置かないがそれを読み難い、書き難いとするのでは言葉を使ふといふことの意味がなくなり、ヴァレリイを読んでゐて気が付いたもう一つのことといふのはヴァレリイにあってはこの努力が当然であるのを通り越して極めて自然な形で行はれてゐることだった。(『書架記』「ヴァリエテ」)

『ブルックリン・フォリーズ』ポール・オースター

ブルックリン・フォリーズ
「フォリ−」とは愚行を意味する名詞だが、複数形の「フォリーズ」になると、女性たちの歌や踊りを中心としたレビューを意味するのが通例だ。となれば、表題の意味するところは、ブルックリンを舞台にした愚行の数々(についてのショー)、といったことにでもなるのだろう。オースターらしい洒落っ気のあるタイトルではある。

都会に生きる孤独な男の存在論的不安の追究とでもいえばいいのか、カフカベケットの不条理劇を思わせる初期三部作に魅せられ、オースター・ファンになった読者も少なくないことだろう。あの細部を削ぎ落とした抽象的、思弁的な作風が懐かしく感じられるほど、最近のオースターが書くものは変貌を遂げている。ストーリー・テラーとしての才能に覚醒した感のある中期の作風にも、それは感じられはしたのだが、孤独感や絶望、ニヒリズムへの傾斜など、随所にオースターらしさが、まだまだ残されていた。

それが、どうだ。ここのところの、訳者の言葉を借りれば「人生が終わった」「中高年」の男性を主人公にした作品群に見られる露悪的とでもいえばいいのか、露骨なセックス描写や、心身の衰えを含め、ある意味で諦念ともとれる、あるがままの人生に対する肯定のあからさまな頻出振りは、はるけくもきつるものかな、の感が深い。表紙カバーの折り返し部分から、真摯な眼差しで、こちらをみつめる著者の写真は変わらないのに。

オースターも歳をとった、ということだろうか。文学志望の青年らしい衒気や客気が消え失せ、舞台裏をそのまま見せたような、あまりにも気取りのないスタイルがかえってわざとらしく思えるほど、自虐的な人物設定や、露骨に過ぎる政治的状況に対するアジテートに、作家的な弱まりを見るべきなのか、と疑いたくなる。ファンとしては、そうではない、と思いたいのだが。

主人公ネイサンは、妻と離婚し、娘とは別居中。癌の手術後、長年勤めた会社を辞め、余生を「愚行の書」と呼ぶ書き物のために使おうと、ブルックリンに引っ越してきたところ。ゲイの店主ハリーが経営する行きつけの古本屋で見つけたのは、かつては将来を嘱望された文学青年だった甥っ子のトムのでっぷりと太った変わり果てた姿であった。妹の失踪を契機に博士論文を放棄し、自暴自棄の生活を送っていたトムだったが、ハリーの店で働くことで生活を立て直し始めていた。そんな二人のところへ、トムの妹の幼い娘が訪ねてくる。

その子ルーシーを親戚に預けるためヴァーモントに向かう一行をアクシデントが襲う。エンジンの故障で泊まったホテルが気に入ったネイサンは、旅の始まる前に聞いたハリーの金儲けの話を思い出し、ホテルを買い取りトムに経営させることを考える。人生の夢破れ、一敗地に塗れた中年男二人が、性懲りもなく美女に惚れたはれたの挙句、とんでもない行動に出る。多種多様な人間がともに暮らす街、ブルックリンを舞台に引き起こす悲喜こもごもの人生模様。

オースターが自家薬籠中のものとする有り得ない偶然の頻出は、ファンなら当然許せるところだし、終り良ければすべて良しといった大団円も、まあよしとしよう。人は誰しも死ぬ。老年が近づけば、自分の人生を見つめる視点も、おのずからその最後の方に引き寄せられるのかもしれない。自己というものの不確実性や、父と子の確執といった主題を追いかけていた若き作家も、今では自分と折り合いをつけ、家族というものの持つ価値や、人の死という誰しも避けられない運命を直視することで、この世の大多数の無名者の人生という、誰も見向きもしないが、その実、誰にとっても大事な物語の持つ意味に気づいたのだろう。

9.11という悲劇に襲われたニュー・ヨークに住む作家として、この日の記憶を風化させることはできない。そんな作家の思いが伝わってくる結末に、オースターならではの才気が感じられる、余韻の残る終わり方である。

『日の名残り』カズオ・イシグロ

日の名残り
主人公スティーブンスは、ダーリントン・ホールと呼ばれる由緒正しい名家の執事である。大戦後、ダーリントン卿は失脚、館はアメリカ人ファラディ氏の所有するところとなる。家付きの執事として仕えることになったスティーブンスに新しい主人は、一度ゆっくりイギリス見物でもしたらいい、と旅行を勧める。初めは遠慮したスティーブンスだが、かつていっしょに勤めた女中頭で、今は結婚して田舎で暮らすミス・ケントンから来た手紙のことを思い出し、訪ねてみようと思い立つ。

小旅行の間、スティーブンスの脳裏に去来するのは、数々の歴史的事件の舞台となったダーリントン・ホールの栄華の日々であり、いっしょに働いていた有能な女中頭ミス・ケントンの思い出である。人手不足もあり、満足の行く仕事ができないスティーブンスは、もう一度ミス・ケントンに戻って来てほしいと考えている。今回の休暇旅行は彼にとってはそういう意味のある旅行だった。しかし、ジョーク好きのファラディ氏は、「おいおい、スティーブンス。ガールフレンドに会いにいきたい?その年でかい?」と、からかうのだった。他者であるファラディ氏の価値観と主人公の価値観との相違が暗示されている大事なところだ。

回想のなかに当時のドイツ駐英大使リッペントロップの名が度々登場することからも、英国とドイツの間に再度戦端が開かれようとしていた時代であることがわかる。スティーブンスが仕えるダーリントン卿は、第一次世界大戦後の賠償問題で疲弊したドイツに同情的で、宥和政策を推進しようとしていることが言葉の端々から伝わる。卿を崇拝する主人公は、卿の仕事が円滑に進むよう、交渉の舞台であるダーリントン・ホールの運営に心を砕く。

執事という職業はイギリスにしかなく、他の国のそれは召使である、と言われるほど、英国人にとって執事という職の持つ意味合いには重いものがある。スティーブンスが目指すのは「品格」を持った執事である。では「品格」とは何か。スティーブンスは言う「品格の有無を決定するのは、自らの職業的あり方を貫き、それに堪える能力だと言えるのではありますまいか」と。この言葉が、彼の行動、意思決定を終始つかさどる。尊敬する父も、そのように生きてきた。スティーブンスに感情がないわけではない。おそらく、執事という職を辞しさえすれば、自分の思いを表面に出すこともできるのだろうが、執事である間は、執事であることを貫き、それに堪えるのだ。

読者から見ると、朴念仁の石部金吉にしか見えないスティーブンスだが、執事という生き方しか知らない彼にとって、より良い執事をめざす限り、気がおけず、能力について尊敬も覚える女性を前にしても、同僚の線を決して越えることはない。それは、ヒューマニズムの問題や、イデオロギーに関しても同じである。主人の決定に異議を唱えるなどということは、執事としての分を超えることになるからだ。彼の考える「品格」を持った執事である、ということは「頭」や「心」は主人に預け、有能な「手足」として働く、いわば「道具」に徹するということである。

ダーリントン・ホールで暮らしているうちはそれでよかった。しかし、たとえ車で出かける数日間の旅行にしても、一歩屋敷の外に出れば、そこは異世界である。スティーブンスは執事ではなく、一人のイギリス人として扱われる。はじめは、とまどい、やがて上流階級の人間と見られることに快感を覚え、本来の出自を隠すようになる。そこには「品格」をもった執事スティーブンスの姿はない。むしろ、それがスティーブンス本来の姿であった。

「執事」という殻をかぶり、本来の自分をみつめることを怠ってきたつけは、この旅行の真の目的であったミス・ケントンとの再開できっちり払わせられることになる。スティーブンスの腹積もりでは、不幸な結婚に陥っているミス・ケントンをそこから救い出し、もう一度ダーリントン・ホールに連れ戻し、かつての愉しい日々を再開する、というものだった。しかし、その期待はあえなく潰える。彼が顧みることのなかった時間は、他の人間を成長させるに充分な時間であった。夕闇迫る桟橋で、こみ上げる涙の苦さ。

アメリカ人という他者の洗礼を受けることで、名残りの日々を過ごすための新たな生きがいを見つけることになるスティーブンス。ほろ苦い結末だが、人生の夕暮れを照らすやさしい光が、そこにさしているようだ。鼻をかむためのハンカチを貸してくれる男の言うとおり「夕方が一日でいちばんいい時間」なのかもしれない。

蛇足ながら訳について一言。1990年に、この翻訳が出たとき、丸谷才一氏は書評の最後に「土屋政雄の翻訳は見事なもの」と、付け加えるのを忘れなかった。そのことに異議はないのだが、72ページで、ダーリントン卿の「これは誇張ではあるまい?」という質問に対し、スティーブンスが「とんでもございません」と答えているのが気になる。文化庁は、誤用ではないとしているようだが、「品格」を大事とする英国の執事が使う言葉とは思えない。ここは、「とんでもないことでございます」と訳してもらわないと、スティーブンスも浮かばれないのではないだろうか。

ただいま改修中

 連休といっても、毎日がやすみの身ではどうということはない。いつものように、朝から読みかけの本(因みに今日はカズオ・イシグロ著『日の名残り』)を読み、散歩の時間になったら、帽子とマスクとサングラスをつけて外に出るだけだ。

 

今年の連休は上天気に恵まれている。我が家の周りは、日曜日ということで、隣近所の店も休み。静かな通りに時折、他府県ナンバーの車が行き過ぎて行くばかり。いつもの道を通り、改修中の倭姫の境内に入った。遷宮の関係で、ずっと放ったらかしになっていた公園の整備が着々と進んでいる。

 

さすがに連休中は、工事関係者も休みらしく、静かな苑地には、人の気配すらない。ここはいつもこんな風で、絶好の散歩コースなのだが、昨今は観光客も増え、車の出入りも頻繁で落ち着かないことはなはだしい。今日はいつもの徴古館にもどっているのがうれしいかぎりだ。

 

ルノートル式の庭園も、以前とは趣が変わった。もうしばらくすれば、潅木も芝生も生長し、見映えがよくなるだろうが、今は少々痛々しい。

 

美術館の裏に回り、工事中の箇所を見て回る。こちらの方は、まだ工事が始まったばかりだ。あまり手を入れないほうが好ましいのだが、こちらの勝手にはしてくれない。すっかり工事が終わるのは九月の末である。そのころには、以前の植物園のときのように歩き回れるようになるのだろうか。そうなるといいのだが。今から待ち遠しい。

 

『書庫を建てる』松原隆一郎/堀部安嗣

書庫を建てる: 1万冊の本を収める狭小住宅プロジェクト
『劇的ビフォー・アフター』というテレビ番組がある。狭小住宅や危険家屋で暮らす施主の依頼に応え、その家屋をリフォームする過程を、司会者とゲストがクイズなどに答えながら視聴者とともに見守り、リフォーム前と後の落差に感動する施主の反応を見て楽しむ、というあれである。番組のミソは、設計を担当する「匠」と呼ばれる建築家に、あらかじめ注文はつけるけれど、それがどんな風に具体化されるか、施主は完成するまで見せてもらえないところにある。この本は、ちょうどその書籍版といったら、よく分かるかもしれない。

もちろん設計図や模型は施工前に示されるし、施主はそれに納得して契約するわけだが、それなりに著名な建築家に設計を依頼する時点で、ある程度、建築物が施主の意向に沿っていさえすれば、その具現化は、建築家のアイデアが中心になったものになる。つまり、金を出し、そこに住まうのは施主の方だが、建物は「誰それの(設計した)家」になってしまう、という点で両者はよく似ている。

それでは、施主は満足していないかと言えば、そうではない。自分の希望を深いところで受け止め、とうてい素人ではなしえない造形にまで導くという点がすべてをクリアしてしまうからだ。この「書庫」の凄いところは、施主である松原氏の希望、それは、たとえば浴槽に浸かりながら草花を眺める、とか、屋上庭園だとかいう、いわば通俗的な願望は、あっさりうっちゃって、その心理の深いところにある、祖父の残した「イエ」の継承という本質をズバリとつかみ出し、円筒形の吹き抜けの内側に仏壇と本をすっぽり納めてしまったことにある。

建築家は、アレクサンドリア図書館だとか、納骨堂だとか、その発想のよって来るところを書いてはいるが、円筒形のなかに「仏」を納めるという観点から見れば、この書庫は「経筒」や「厨子」、もしくは「持仏堂」の一種と考えることができる。それかあらぬか、建築家の文章からは、共に記憶を蔵する場所としての書物と墓所の類似に思い至ったことが述べられている。

平行四辺形の形をした八坪ほどの狭小地に書庫を建てる。しかも、そこにはかなり大きな仏壇を納めることが必須条件となっている。なぜなら、この書庫は、祖父の残した実家を売却した費用でまかなわれているからだ。というよりむしろ、祖父の思い出の残る実家とその土地を、そのまま残すことができなかった直系の孫が、新築書庫という形で祖父の位牌の入った仏壇を安置する建物を建てる、というところにこそ深い意味が込められているのだ。

事実、冒頭から書き起こされるのは、松原氏の家の来歴であり、多分にこみいった家庭事情なのだ。裸一貫で事業を起こし、成功者となった祖父は、信頼していた人間や国家にその財を奪われ、最後には魚崎の実家だけが残る。父は資産家であった家の思い出に生き、実態から目を背け、他者と縁を切り、残った資産を独り占めする。しかし、阪神淡路大震災で、その実家も倒壊。父の死後は、兄妹三人で分割相続することになる。

実家にあった石や樹木まで移築、移植しようという、家の継承ということに対する松原氏の強い思い入れには共感する人もそうでない人もいるだろう。評者も長男として仏壇を引き継ぎはしたが、父母の建てた家は白蟻の被害もあり、解体してしまった。狭い土地のことで、庭も木もない。特に思い出に残るようなものもなければ、それを失くしたことで悔いるところもない。所詮は人によるのだろう。

松原氏は、仏壇や庭木に対するほどには、本自体に思い入れは少ないようで、仕事に使う資料として検索、取り出しに適した形で常時一万冊を収納できることに主眼を置いている。写真で見たところ納められているのは、現在公刊されている本に多い白い背表紙が目立つ。所謂書庫というより、アナログのデータベースといった印象を受ける。そのなかで異彩を放つのはなんといっても立派な仏壇であろう。白檀の香の匂いが漂ってきそうな荘厳な佇まいを見せている。文庫や新書も多く並んだ書棚にはそこまでの迫力はない。

建築家と施主が、一つの建築物が完成するまでの思いをそれぞれ語るという形態も興味深く、どこにも直角を使用しない矩形を底面とした躯体内部に複数の円筒形を刳りぬいたRC造の小豆色の書庫、というなかなかお目にかかれない建築の出来上がるまでを、どうぞじっくりと検分されたい。