marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

『ソロ』ラーナー・ダスグプタ

ソロ (エクス・リブリス)
『ソロ』という音楽用語に似つかわしく、小説は第一楽章「人生」、第二楽章「白昼夢」と題された二つの章で構成されている。この章につけられた名前の意味は、小説が終わりを迎えるころ意味を明らかにする。その意味を知った読者は、作者の巧妙な作為にはたと膝を打つにちがいない。それはありそうで、今までなかった小説の書き方である。もしかしたら先例があるのかもしれないが、すぐには思いつかない。

第一楽章は、ブルガリアのソフィアに住む盲目の老人の「人生」を描いたもの。話者は、はじめその人物を「男」と呼ぶ。映画の冒頭で、キャメラがひとりの男に焦点を当て、少しずつ近づいていくように。やがて男の現在の様子が、食べる物も人に恵んでもらい、人の助けを得ねば薬も飲むことができない惨めな状況であることが明らかにされてゆく。それと同時に今のソフィアという街の有様も、音やにおいといった盲人に残された感覚器官を総動員して描写されてゆく。この導入部が効果的だ。

男の名はウルリッヒ。大好きだった音楽を父に取り上げられ、その代わりに化学を愛するようになる。ベルリンの大学で化学を学ぶが父の死により学資が続かず志半ばで帰国。化学への夢をあきらめて会社に勤め、やがて親友の妹と結婚。子どもを授かるも、夢をあきらめた夫に愛想をつかして妻は子どもを連れて家を出る。共産主義国家となってからは工場勤務を命じられ、退職後は年金暮らしで今に至る。

オスマン帝国から独立、幾度の戦争を経て共産主義国家となり、ソ連崩壊後資本主義化されたブルガリアは強国の意向に沿うように工業化される。その結果、化学工場から排出される薬物により大地は汚染された。オスマン・トルコやソ連といった大国にはさまれたブルガリアという国の近現代史を背景に、かつてはそれなりの夢も才能もあった男が、家族の桎梏と歴史の波に翻弄され、最後に残されたわずかな日々の慰めまで奪われてしまう無残な人生を、突き放したようなさめた筆致で語るのが第一楽章だ。

第二楽章は、ぐっと曲想が異なり、アップ・テンポでスリリング。ブルガリアとは黒海をはさんだ対岸にあたる、グルジアの王家の血を引く少女ハトゥナとその弟が、ブルガリア出身の若者ボリスとアメリカで出会ったがために起きる悲劇。住民が逃げ出してしまった土地で豚を飼いながら、ヴァイオリンを弾き続けてきたボリスは、ワールド・ミュージックの辣腕プロデューサーに見いだされて渡米。トラブルに巻き込まれたハトゥナも弟と二人アメリカに渡る。

体制が代わるたびに、元スポーツ選手などの有名人が政治家になり、金を蓄え、やがて実業家になる。しかし、実態は麻薬を扱い、女を売り飛ばすギャング同様の稼業だ。早晩暗殺され失脚する運命。しかし、その刹那的な生にしか、生きることの快楽を見出せない種類の人間がいる。ハトゥナがそうだ。弟はその価値観を認めず、詩を書くことだけを愛していた。ところが、ボリスの曲を聴いたことで二人は共鳴しあう。友から片時も離れられない弟、弟を愛する姉は音楽家を憎む。三角関係が軋みを上げはじめる。

大物実業家が何人ものボディ・ガードに囲まれ、城の内部を要塞化した邸宅を立て、世界中で武器を売買する。美女たちが夜ごとパーティーに集まり、奔放な音楽家は業界のしがらみなど気にせず、好きな相手とセッションしては勝手に配信してしまう。音楽家の失墜を策謀した女は情報を操作して追い落としをはかる。華やかな世界とその陰で蠢く人々の姿を描く第二楽章は、いったいあの陰鬱な第一楽章とどうつながっているのか?

実は第二楽章で語られるストーリーの素材は、そのほとんどが第一楽章の中に象嵌されている。ただし、語られるのはほんのわずかで、最初に読んだときは、そのあまりの短さに読み飛ばしてしまう。それが作者のアイデアだった。九十代後半のウルリッヒの記憶からは多くのものが抜け落ちていても不思議はない。ただ、とげのようにひっかかって離れないものだけが断片的に残っている。

目の見えない男の楽しみはテレビ番組から聞こえてくるニュースや隣人の立てる物音、街に聞こえる騒音といった素材をもとに、日がな自分が組み立てた「白昼夢」を見ることだった。そこに登場するのは、生きていれば今はもう七十代になっているはずの子どもだが、夢の中ではまだ若いままだ。ボリスやハトゥナはウルリッヒがかつて接した人々の記憶を頼りに作り上げられた夢の創造物、というのが作者の見立てだ。

再読してみて驚いた。あれがこれになるのか、と。白昼夢の何とけばけばしくおどろおどろしいことか。ウルリッヒの実人生がついえた夢の破片の集積物だとしたら、白昼夢はその可能態である。母の遺品を買い叩いた骨董商の記憶は、いつまでも心の片隅に残っていて、ハトゥナの手によって復讐される。あきらめた音楽家の夢はボリスによって成し遂げられる。所詮夢ではないか、というなかれ。かつて荘周は夢の中で胡蝶になって遊び、覚めて後、果たして荘周が胡蝶の夢を見たのか、それとも今の自分は胡蝶が見ている夢なのか、とつぶやいたというではないか。