marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

2014-01-01から1年間の記事一覧

キャベツとアンチョビのパスタ

妻がボランティアのスキルアップ講習のため、出かけていて昼は自分で何とかしなくてはいけない。いつもなら、何かはあるのだが、ここ三日というもの、次男が夕食に来られないので、買い物に行かずに済ませている。妻は昨夜も友人との会食で、回鍋肉を作って…

『モンフォーコンの鼠』鹿島茂

オノレ・ド・バルザックといえば、一作品の登場人物を他の作品でも使い回す「人物再登場法」を駆使し、総体として『人間喜劇』という一大世界を創りあげた19世紀パリを代表する大文豪だが、そのバルザック本人や関係者、さらには作中人物や友人ヴィクトル…

「元気なぼくらの元気なおもちゃ」ウィル・セルフ

[rakuten:guruguru2:11294162:image] 期待にたがわぬウィル・セルフ本邦初の短篇集。多くの作家の短篇を集めたアンソロジー『夜の姉妹団』で一篇読んだだけだが、妙に心に残るものがあったのがウィル・セルフという作家だった。巻末の邦訳リストにあったこの…

「南山城古寺巡礼」

京都国立博物館で開催中の「南山城の古寺巡礼」展に行ってきた。特別展がこの15日で終わってしまうので、梅雨空の具合を気にしつつも出かけてきたのだった。 はじめは、駅で昼食をとってからゆっくり見学と思っていたのだが、近鉄特急の連絡が予想外にうま…

『古代の遺物』ジョン・クロウリー

『エンジン・サマー』、『リトル、ビッグ』で知られるSF、ファンタジー界にとどまらないジャンル横断的な作家ジョン・クロウリーのおよそ四半世紀にわたる短篇の中から12篇を発表年代順に配列した著者最新の日本オリジナル短篇集。寡作、しかも代表作『…

『夜の姉妹団』柴田元幸編訳

少し前の本だが、図書館の新着図書のなかにジョン・クロウリーの『古代の遺物』があるのを見つけ、検索をかけたら、表題作の短篇が収まった柴田元幸訳編による、この一冊が引っかかってきた。スティーヴン・ミルハウザー、スチュアート・ダイベックはじめ、1…

今日、ダイニング・セットを新調した。

妻が、友人を夕食に招待したとき、年代物の食堂の椅子が気になった。革張りのそれは、お気に入りの一品だったが、なにしろ、古びてきていた。特に、頭のあたる部分は、ニケが乗っかって来ては爪をとぐものだから、バリバリに毛羽立っていた。 気のおけない友…

『ナイチンゲールは夜に歌う』ジョン・クロウリー

短篇集と呼ぶには、少し長めの二作を間に挿んで、天地創造神話をクロウリー流にアレンジした日本語版の表題作「ナイチンゲールは夜に歌う」と、作家が昼間のバーでアイデアを練る姿をスケッチしてみせる英語版表題作「ノヴェルティ」の四作で構成される、ク…

『リトル、ビッグ』ジョン・クロウリー

読み終えた後、それについて何か語りたくなるのではなく、いつまででも読んでいたくなる、そんな本である。物語の中から出たくなくなる。読み終えてしまえば、そこから立ち去らねばならない。いつまでも、この謎めいた屋敷や森や野原のなかで迷い子になって…

『エンジン・サマー』ジョン・クロウリー

大洪水の水が引かず、ノアの方舟が何世代にわたって航海を続けたと仮定しよう。ノアも息子たちも死に絶え、何千年も過ぎて陸地が見えたとき、そこに人々がいたとしたら、その人々には、ノアの子孫は地上の者とは思えなかったのではないだろうか。方舟には方…

日曜日、日盛りの芝生には誰もいない。

遷宮効果もうすれてきたのか、観光バスの数はめっきり減って、近頃では徴古館ももとの静けさをとりもどしたようだ。 育成中の芝生は、まだ生えそろってはいないが、リスや小鳥くらいは歩いていてもいいだろうに、日曜日というのに子ども連れの母親もいない。…

『屋根屋』村田喜代子

上手いタイトルをつけたものだ。上から読んでも下から読んでも、右から書いても左から書いても同じ漢字を使った最短の回文「屋根屋」である。もっとも、作者が名うてのストーリー・テラーとして知られる村田喜代子。この人の書くものならタイトルが何であっ…

『アルグン川の右岸』遅 子建

物語の舞台となっているのは、中国内モンゴル自治区とロシア国境を流れるアルグン川の東岸。かつて日本が満州国と呼んで支配していた土地で、中国最北端の地である。語り手はその地に長く暮らすエヴェンキ族の最後の酋長の妻で齢九十歳をこえる。エヴェンキ…

『ケンブリッジ帰りの文士 吉田健一』角地幸男

「序にかえて」を一読すれば分かるように、著者の吉田健一に寄せる思いは、単なる作家論の対象であることをはるかに超えている。初めてその文章に出会った時から実際にその謦咳に接するまで、まるで道なき広野を行く旅人が辿る先人の足跡のように、著者は吉…

『ブルックリン・フォリーズ』ポール・オースター

「フォリ−」とは愚行を意味する名詞だが、複数形の「フォリーズ」になると、女性たちの歌や踊りを中心としたレビューを意味するのが通例だ。となれば、表題の意味するところは、ブルックリンを舞台にした愚行の数々(についてのショー)、といったことにでも…

『日の名残り』カズオ・イシグロ

主人公スティーブンスは、ダーリントン・ホールと呼ばれる由緒正しい名家の執事である。大戦後、ダーリントン卿は失脚、館はアメリカ人ファラディ氏の所有するところとなる。家付きの執事として仕えることになったスティーブンスに新しい主人は、一度ゆっく…

ただいま改修中

連休といっても、毎日がやすみの身ではどうということはない。いつものように、朝から読みかけの本(因みに今日はカズオ・イシグロ著『日の名残り』)を読み、散歩の時間になったら、帽子とマスクとサングラスをつけて外に出るだけだ。 今年の連休は上天気に…

『書庫を建てる』松原隆一郎/堀部安嗣

『劇的ビフォー・アフター』というテレビ番組がある。狭小住宅や危険家屋で暮らす施主の依頼に応え、その家屋をリフォームする過程を、司会者とゲストがクイズなどに答えながら視聴者とともに見守り、リフォーム前と後の落差に感動する施主の反応を見て楽し…

『十二の遍歴の物語』G・ガルシア=マルケス

ガルシア=マルケスの訃報に接し、その死を悼んで何か書きたいと思ったが、『百年の孤独』はもとより、すでに多くの著書や関連する書物について書いてしまっている。そこで、あらためて翻訳された書名を眺めわたしてみたところ、未読の短篇集を一冊見つけ出し…

『寂しい丘で狩りをする』辻原 登

表題はエピグラフに引かれたヘミングウェイの「たしかに、狩りをするなら人間狩りだ。武装した人間を狩ることを長らくたっぷりと嗜んだ者は、もはや他の何かに食指を動かすことは決してない」(「青い海で―メキシコ湾流通信」)から採られたもの。いかにも物…

 49章

エイモスの運転で、リンダがやってくる。マーロウはシャンペンでもてなそうとするが、リンダのボストンバッグを部屋に入れかけたところで口論になる。シャンペンくらいでベッドをともにする女と見られたくない、と怒り出すのだ。一度は、謝るマーロウだが、…

 48章

家の中で待ち構えていたのは、メンディ・メネンディス。警告を無視したマーロウに報復するための来訪だった。メネンディスはマーロウを三度殴るが、話の途中で相手の隙を突いてマーロウもやり返す。メンディが床に倒れたところでバーニーが登場する。すべて…

 47章

ジャーナル紙の記事を受けて、スプリンガー地方検事は記者会見を開き、公式見解を発表する。ジャーナル紙の編集長ヘンリー・シャーマンは検事の発言をそのまま紙面に掲載するとともに、署名入りの記事ですばやく反論する。モーガンが心配して電話をかけてく…

 46章

長い一日も終わろうとしていた。マーロウは車を飛ばしてヴィクターズへ向かった。開けたばかりのバーでギムレットを味わいながら、夕刊を待とうというのだ。記事はマーロウの望むとおりの形で載っていた。別の店で夕食をとって家に帰ると、バーニーから帰り…

 45章

事務所に戻ったマーロウは、たまっていた郵便物をボールに見立て、郵便受けからデスクへ、デスクから屑籠へ、と併殺プレイを独演し、ほこりを払ったデスクの上に写真複写を広げると、もう一度読んだ。そして、顔見知りの新聞記者であるモーガンに電話をかけ…

『映画術』塩田明彦

現役の映画監督による、「映画と演出の出会う場所から映画を再考する」という視点からの連続講義。映画学校で生徒を前に講義した内容を原稿化したものである。ところで、『映画術』という表題を持つ本には、すでに晶文社刊『定本 映画術 ヒッチコック/トリ…

 44章

舞台はヘルナンデス警部の部屋。先日とちがっているのは、シェリフが不在であることと時間が昼間であること。部屋にはバーニー・オールズのほかにローリング医師と、地方検事の代理であるローフォードという男がいた。そのローフォードについての記述。“ a t…

『レオナルドのユダ』レオ・ペルッツ

話は一四九八年三月のある日に始まる。ロンバルディア平原が驟雨に見舞われたこの日、ミラノ城にモーロことルドヴィーコ・マリア・スフォルツ公を訪れたのは、サンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ・ドミニコ修道院長であった。院長は食堂の壁に描かれるは…

『写字室の旅』ポール・オースター

写字室というのは、中世ヨーロッパの修道院で写本をする人が使った部屋。映画『薔薇の名前』に、そういう部屋が出てきたのを覚えている人も多いだろう。他の使用に供さず、ただひたすら物語を紡ぐことだけのために用意された部屋。主人公が収監されている(…

『豊国祭礼図を読む』黒田日出男

「豊国祭礼図屏風」とは、慶長九(一六〇四)年八月、秀吉の七回忌に執り行われた豊国神社臨時祭礼の模様を描いた六曲一双の屏風である。現存する作品が二点あり、ひとつは京都の豊国神社所蔵の狩野内膳作、もう一点は名古屋の徳川美術館蔵の岩佐又兵衛作と…