marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

2015-01-01から1年間の記事一覧

『幻島はるかなり』紀田順一郎

「どこの家の戸棚にも骸骨がしまってある」というイギリスのことわざではじまる。因みに「骸骨」とは、人に知られたくない家の秘密や内情を指し、殺人や幽霊話のことではない。日本に幻想・怪奇文学の伝統を根づかせた評論家・作家紀田順一郎の回想録である…

『海の光のクレア』エドウィージ・ダンティカ

もともとは表題作の短篇がきっかけとなってできた長篇小説。同じ町に暮らし、それぞれがどこかで関わりを持ちながら、それとは気づかない複数の人物が入れ替わり立ち替わり現われては、一つの短篇の主人公を演じてゆき、綯い合わされた幾筋もの糸が縺れあい…

『ヴィーナス・プラスX』シオドア・スタージョン

気がつくと昨日と同じ服を着たまま見知らぬ部屋にいた。男の名前はチャーリー・ジョンズ、二十七歳。すぐに分かることなので説明すると、チャーリーがいるところは未来の地球。核戦争で絶滅した人間に代わり、ドームで覆われた世界レダムに暮らしているのは…

『歌の翼に』トマス・M・ディッシュ

においのようなものがある。自分の好きなタイプの小説かどうかが分かる。書き出しを少し読むだけで伝わってくるものがあるのだ。文体というのでも、話法というのでもない。漠然としていてつかみようがないのだが、そこにはっきり漂っている、まさににおいと…

『グラックの卵』ハーヴェイ・ジェイコブズ他

奇想・ユーモアSFの傑作アンソロジーである。こういう選集は、編者のセンスが物を言う。選ぶ人と感覚が合わないと、何だこれは、ということにもなりかねない。編訳は浅倉久志。個人的にはユーモア小説というのは、特に好きなほうではない。面白い小説は好…

『アジアの岸辺』トマス・M・ディッシュ

短篇集の巻頭を飾る一篇が持つ意味は大きい。初めての作家なら書き出しを読んで、この後読み続けるか、そこで本を閉じるかが決まる。「降りる」は、冷蔵庫内や食器棚に並ぶ日常的な食べ物の羅列ではじまる。あまりSFらしくない開始だ。「60〜70年代の傑作…

『イラクサ』アリス・マンロー

書き出しは謎のような箴言のような一節ではじまる。あるいは、真空管があたたまって回路がつながったラジオから聞こえてくる会話のような。そんな切れ端だけでは、なんともつかみがたい見知らぬ他人の人生の中に土足で入り込んだような落ち着かない気持ちの…

『フロベールの鸚鵡』ジュリアン・バーンズ

生地を訪ねてみれば、偉大な作家が手ひどい扱いを受けている。銅像の一部は欠け落ち、小説に登場する鸚鵡のモデルとなった剥製があろうことか複数の場所に本物として飾られている。作家の名はフロベール。『ボヴァリー夫人』で有名な近代リアリズム小説の巨…

『ディア・ライフ』 アリス・マンロー

「罪。彼女はほかのことに注意を向けていた。なんとしてでも探し求めようとする注意力を、子供以外のものに向けていたのだ。罪」。グレタは女流詩人だった。夫と子どもがいる女にとっては、あまり誉められる生き方ではない。夫は寛容で干渉しないが、積極的…

『小説のように』アリス・マンロー

生者と死者を分かつ境界を、人は苦悩にかられて思いつめる行為を通して越えることができるのだろうか。触法精神障碍者の施設にいる夫からの手紙にあった、死んだ子どもが別の次元に存在するという言葉に動揺する妻を描いた「次元」。マンローの短篇ではお馴…

『林檎の木の下で』アリス・マンロー

短篇集といってまちがいはないのだけれど、通常のそれとはいささか様子がちがう。本文に附された「まえがき」によれば、二部構成の第一部は、スコットランドで羊飼いをしていた一族が新天地を求めてアメリカ(カナダ)に移住し、原野を切り拓いてゆく、いわ…

『愛の深まり』 アリス・マンロー

アリス・マンローの短篇小説を読んでいると、小さい頃身近にいた、嫁の愚痴を聞かせるために早朝まだ鍵のかかっている我が家を訪れた祖母の念仏仲間や銭湯の床に長々と長躯を伸べて体操をする車引き上がりの隣家の隠居といった、いまだにくっきりとした映像…

『善き女の愛』アリス・マンロー

映画『スタンド・バイ・ミー』風にはじまるのが、表題作『善き女の愛』。春の朝、三人の少年が初泳ぎを自慢するために出かけた川で見つけたのは、近くに住む検眼士のウィレンズの死体だった。第三者の視点でひとしきり小さな田舎町を素描したかと思うと章が…

『バディ・ボールデンを覚えているか』マイケル・オンダーチェ

『バット・ビューティフル』の「あとがき」でジェフ・ダイヤーが誉めていたので、どんな本だろうと思って読んでみた。何人ものジャズ・ミュージシャンの人生の一場面を「想像的批評」という方法で活写した本の書き手が称揚するだけに、かろうじて写真一枚を…

『マリアが語り遺したこと』コルム・トビーン

原題は“The Testament of Mary”。「マリアによる聖書」とでも訳せばいいのだろうか。マリアは頭に「マグダラの」とつかない方のマリアである。ブッカー賞の候補に挙がったそうだが、冒涜的だという批判の声が上がり、候補にとどまった。作者コルム・トビーン…

『101/2章で書かれた世界の歴史』ジュリアン・バーンズ

世界の歴史という割には、思いっきり西洋それもキリスト教世界中心。日本人もインディオも賑やかしに出てはくるが、料理でいえば刺身のつま。どんな料理でも注文できる場所で朝昼晩食べたいのが、ベーコン・エッグスとベイクド・トマトの乗っかったイギリス…

『バット・ビューティフル』ジェフ・ダイヤー

村上春樹の小説は読まないが、彼の訳になる小説やエッセイ類には結構お世話になっている。特にチャンドラーの翻訳と、ジャズ関係の文章は必ずといっていいほど目を通す。一昔前、植草甚一氏が果たしていた役割。ニュー・ヨークの本屋やレコード店をめぐって…

『敗者の身ぶり』中村秀之

「身ぶり」という、それ自体は曖昧な多義性を持つものを、意識的、無意識的を問わず、ある時代に固有の精神や経験を具現するものと読むことで、講和条約発効前後に発表された日本映画を分析したもの。テマティスム批評の流れを汲む映画批評である。採りあげ…

『怪奇文学大山脈Ⅲ』荒俣宏編纂

このシリーズも三巻目。副題に「西洋近代名作選 諸雑誌氾濫篇」とあるとおり、二十世紀の西洋怪奇文学を広く雑誌に渉猟したものである。70年代に日本でも怪奇幻想文学がブームを呼び、夢野久作や久生十蘭、小栗虫太郎などの作品が次々と復刊され、読み漁った…

『ジョン・コルトレーン「至上の愛」の真実』アシュリー・カーン

「マイルス・デイヴィス『カインド・オブ・ブルー』創作術」を書いた音楽ジャーナリストが柳の下の泥鰌をねらって(かどうかは知らないが)世に問うた「レコード本」の二作目である。邦訳に引きずられていったいどんな真実が明かされるのだろうと期待しては…

『ダールグレンⅡ』サミュエル・R・ディレイニー

煙に閉ざされた灰色の都市ベローナに腰を据えた「キッド」は、レイニャとの会話から自分がまた狂いはじめているのかと疑惑を抱きながら街を徘徊する。スコーピオンズの<ねぐら>に寝泊りすることで、しだいにリーダー的存在に昇格し、グループを仕切ってい…

『ダールグレンⅠ』サミュエル・R・ディレイニー

暴動が起き、多くの人々が逃げ出した都市ベローナにやってきた男は自分の名前さえ忘れていた。街は荒廃し、昼間でも煙に覆われている。理由は分からないが政府や他都市から隔絶されて救援の手は届かず、医療や日々の食事にも窮する在り様。残った人々はコミ…

『ウッツ男爵』ブルース・チャトウィン

副題にある通り、ある蒐集家の物語。かねがね北方ルネサンスに興味を抱いていた語り手の「私」は、雑誌編集者からルドルフ二世――アルチンボルドが野菜と果物で肖像画を描いた、錬金術に関する厖大な蒐集でも知られる神聖ローマ皇帝――について書くように依頼…

『プードル・スプリングス物語』レイモンド・チャンドラー+ロバート・B・パーカー

愉しむために本を読んでいるはずなのに、いろいろな本を読んでいると、心がささくれ立って感じられることがある。そんなときは、お気に入りの作家の本を読んで、気晴らしをするに限る。それで、何冊か新しい作家の本を読むごとに、馴染みの作家の書いた本を…

『ベータ2のバラッド』サミュエル・R・ディレイニー他

主にニューウェイブSFの中篇を集めたアンソロジー。表題作になっている「ベータ2のバラッド」を書いているサミュエル・R・ディレイニーの短篇集『ドリフトグラス』を読んで、その才能に驚いたばかりなので同じシリーズ中の本書を手にとった。編者が若島正氏…

『パリ環状通り』パトリック・モディアノ

セーヌ・エ・マルヌ県にあるホテルのバーで四人の男女が酒を飲んでる。痩せて背の高い男がミュラーユ、そのそばにいる逞しい身体の男がマルシュレ、奥の方に立つ女が支配人のモー・ガラ。肘掛け椅子に座っているのが「私」の父だ。引出しから出てきた一枚の…

『ドリフトグラス』サミュエル・R・ディレイニー

四六版二段組で約六百ページの短篇集。本邦初訳や新訳を含むSF、ファンタジーのジャンルに属す短篇小説が十五篇、それに「あとがき」のあとに、唯一の中篇「エンパイア・スター」(新訳)が収められている。ディレイニーに馴染みのある読者なら収録順に読…

『遠い部屋、遠い奇跡』ダニヤール・ムイーヌッディーン

一九七〇年代終りから二十一世紀にかけて、パキスタンのパンジャーブ州に大農園を経営する地主ハールーニー家に関わる人々のそれぞれの人生を描いた連作短篇集。時代の移り変わりとともにそこに生きる人々の意識や生活が大きく様変わりしてゆく様子が、主人…

『東方綺譚』マルグリット・ユルスナール

『東方綺譚』は、ユルスナール若書きの書。アムステルダムに住まう老画家を描いた一篇を除く八篇が作者の生地であるベルギーからみて東方(オリエント)に位置する地方を舞台にするのがその名の由来。ブリュッセルの名家に生まれ、教養ある父と家庭教師によ…

『イヴォンヌの香り』パトリック・モディアノ

冬の夜更け、湖畔の温泉保養地を訪れた話者は、取り壊されたホテルや明かりの消えたショー・ウィンドウをながめ十二年という時の流れに思いを馳せる。季節外れで人影のない街路をぬけ、そこだけは賑わいを見せる駅前広場に足を向けたとき、列車を待つ金髪の…